続日本100名城が4月6日(城の日)、東京都千代田区の
文部科学省記者クラブにおいて、日本城郭協会理事長に
より発表されました。
群馬県では東吾妻町指定史跡「岩櫃城」、県指定史跡の
「名胡桃城」、県重文指定史跡の「沼田城」が選定されま
した
吾妻郡、利根郡における真田三代の城が選ばれました。
ご存じのとおり、上州先方衆である真田氏が小県郡真田郷
の国人領主(小名)から、真田氏「新興の祖」である幸綱にお
いて永禄年間に吾妻郡へ進出し岩櫃城を根城にして地侍衆
の軍事指揮権を掌握。
そして、昌幸において天正年間後期に利根郡四郷(名胡桃
郷、沼田郷、片品郷、生品郷)に侵攻して名胡桃城、さらに
沼田城を押さえたことで武田氏「北上野郡司」ともいうべき
行政統治権を掌握したうえで信幸(信之)に引き継がれ、
真田三代にわたり沼田領を領有化したことにより真田氏が
戦国大名化していくうえで極めて重要な地域と城でした。
真田氏が在城した期間は以下のとおりです。
岩櫃城・・・・・永禄6年~元和2年(1563~1616)の54年間余
名胡桃城・・・天正8年~元和8年(1580~1590)の11年間余
沼田城・・・・・天正8年~天和元年(1580~1681)の102年間余
ちなみに、
上田城・・・・・天正13年~元和8年(1585~1622)の38年間余
ということで、吾妻郡の岩櫃城と利根郡の沼田城の重要性
が理解できます。
あっ、名胡桃城も戦国時代の終焉の引き金となる「名胡桃城
事件」により小田原北条氏五代が滅亡するきっかけとなった
城なので、城として使用されたのは短期間でしたが戦国史
上で極めて重要な城でした。
中世から近代へのターニングポイントにおいて、真田三代が
「従えば所領安堵や恩賞、従わなければ一族皆殺し」の
権謀術数(調略・謀略)の限りを尽くして、一族の命運と身命
を賭して駆けずり回った戦場であり城だけに、選定されたこ
とはジモティとして非常にれしい
ヾ(≧▽≦)ノ
岩櫃城
名胡桃城
「天空の城下町 沼田」 (タモリさんの命名?)























































