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昨日のイノセンスありがとう!僕は昨日初バーフローで楽しかった。
雰囲気的にルームが一番いいかなと思うけど、バーフローの方が音はとれやすいようなきがする。
他のdj達のプレイもすごくよかった。もっと見たかったが、最近学校でインフルが流行っているせいでどうも具合悪かった。今日は5時まで布団からあがられなかった。
今までいろんなパーティーに参加させてもらったけど、やっぱりイノセンスは特別だと思う。みんなが協力し合いながらやっているおかげで、最初から 最後までは本当に楽しめる。厳かなイベントというより友達のあつまり。パーティーの中のパーティー。毎回参加させていただいていることはとても感謝してい ます。
次のイノセンスは4月4日に開かれる予定。一緒に楽しもう!
さて、今日は僕の一番好きな画家を紹介したいと思う。実は僕が大学生の頃美術を専攻したかったが、ある先生に「どうせお前なんか才能がない」と言われて諦めた。しかし、そのおかげで日本に来ることを決心して、新しい友達がいっぱいでき、いい国に住めるようになった。
バーネット・ニューマンは僕と違って他の人に何を言われようと自分のビジョンをやり遂げたので本当に尊敬すべき存在だった。しかも彼の作品は美しくてとても迫力がある。
彼の生涯についてウィキペデアで調べて、下記に日本語版を載せたので興味がある人は読んでください。
またバイバイ!(^-^)/
バーネット・ニューマン(Barnett Newman; 1905年1月29日 - 1970年7月4日)はアメリカの美術家。抽象表現主義とカラーフィールド・ペインティングの代表的存在。
ニューマンはロシア系ユダヤ移民の子としてニューヨークに生まれた。ニューヨーク市立大学シティカレッジで哲学を学んだ後、父親の服飾業を手伝った。1930年代から絵を描き始めた。そのころの作品は表現主義風だったというが、後に彼はそれらをすべて処分した。
1940年代には最初シュルレアリスムを試したが、やがて独自のスタイルを築きあげた。彼の画面は、巨大な色面が細い縦線(ジップ)で区切られる のが特徴である。ジップを用い始めたころの作品では、色面はまだらになっていたが、やがて色面は単色で平坦なものになった。ニューマン自身は1948年以 降の「Onement」シリーズによって自己のスタイルが確立されたと考えていた。
生涯を通じて、ジップは彼の作品の主役であった。1950年代の作品には、「The Wild」(203cm×4cm、ニューヨーク近代美術館)のように、ジップそれ自体が作品となったものもある。 ニューマンはまた、ジップの3次元版とでもいうべき彫刻もいくつか制作している。
ニューマンの絵画は純粋に抽象的に見えるうえ、当初は「無題」とされた作品も多かった。彼はのちにそれらの作品に題名を与えたが、それらが示唆す るものは、しばしばユダヤ的な主題であった。例えば1950年代に制作された「アダムとイヴ」がそうである。「ウリエル」(1954年)もそうだし、また 「アブラハム」(1949年)というとても暗い絵画は、聖書の登場人物でありまたニューマンの父(1947年に没した)の名でもある題名を与えられてい る。
「The Stations of the Cross」シリーズ(1958年-1964年)はモノトーンの連作絵画である。この連作はニューマンが心臓発作から回復してすぐに制作されたもので、一 般にはニューマンの画業の頂点を示すものとして認識されている。この連作は「レマ・サバクタニ(なぜ我を見捨て給う)」という副題がつけられている。十字 架上のキリストが叫んだ言葉である。ニューマンはこの言葉が、彼の時代にとって普遍的な重要性を備えていると感じていた。この連作はホロコーストの犠牲者 に捧げられたものとみられている。
ニューマンの晩年の作品は「Who's Afraid of Red, Yellow and Blue」シリーズに見られるように、純粋で鮮やかで色を巨大なカンヴァスの上に用いるものが多くみられる。「アンナの光」(1968年)は幅7.1m、 高さ2.3mあり、彼の作品中最も大きい。題名は1965年に没した彼の母の名に由来している。晩年は「Chartres」(1969年)をはじめシェイ プト・カンヴァス(四角形以外のカンヴァスを用いた絵画)や、滑らかな鉄片を用いた彫刻にも取り組んだ。初期の油彩と異なり、晩年の作品にはアクリル絵具 が用いられた。
ブロークン・オベリスク (ヒューストン、ロスコ・チャペル)
彫刻作品では、ピラミッドの頂点にオベリスクを逆さに立てた「ブロークン・オベリスク」が良く知られている。ニューマンは「18 Cantos」(1963-64年)と題するリトグラフ連作(ニューマンによれば音楽をイメージした作品だという)も制作している。また、数少ないが、 エッチングの作品もある。
ニューマンは1950年代のニューヨークでの活動において、他の美術家と共に、ヨーロッパ絵画の様式に拠らない独自の抽象表現を築き上げたこと で、一般的には抽象表現主義の美術家として認識されている。しかし、クリフォード・スティルやマーク・ロスコら他の抽象表現主義の美術家が用いたような表 現主義的な筆触を拒絶し、はっきりした輪郭と平坦な色面を用いたことからすると、ニューマンの作品はポスト・ペインタリー・アブストラクションやミニマリ ズムの嚆矢と見ることができる。
ジャクソン・ポロックのように話題性に満ちた人物と比べると、ニューマンの生前の評価は低かった。クレメント・グリーンバーグはニューマンを熱烈 に支持したが、晩年になるまで彼の作品が真剣に取り上げられることは少なかった。しかし、彼はより若い世代の画家に対しては大きな影響を与えてきた。
ニューマンは1970年、心臓発作のためニューヨークで没した。




