2018.7.23
約9年間、病気と闘った父親が天国へ行きました。
初めて病気と分かった時のこと、今でも覚えてる。
ショックが大きすぎて、毎日1人で泣いてたな。
仕事してても泣けてくるから、トイレで泣いたな。
その時は24時間そのことばっか考えてた。
けど、悲しんでる姿を見せたらアカンって、辛いのは私じゃなくて病気になったお父さんにお母さん。
自分を安心させようとネットで色々調べるけど、逆効果。
いいことも書いてるけど、悪いこともたくさん書いてあって更に不安は大きくなる。
だから、手術後の先生の言葉がこんなにも嬉しいことはないって思った。
あの時、癌=死
とか、
癌=抗がん剤
抗がん剤=しんどい
とか、最悪なことしか考えれんくて、、、
でも結果、手術成功。その後の治療はなし。
抗がん剤もしなくて大丈夫です。
って言われて、めっちゃ安心したのを覚えてる。
けど、その後の定期受診は正直、毎回不安やった。
5年再発しなければ完治って言われてたけど、それまでの検査は、毎回帰ってきて結果聞くまで不安でしかなった。
で、嫌な予感がする時ってやっぱ当たるね。
家に帰ってきた空気でなんとなく感じてた。
あっ、あかんかったんや…って。
案の定再発。
結果、この9年間で何回手術して、何種類の抗がん剤しやったやろ。
本当はめちゃくちゃしんどかったはずやのに、癌ってこんなものなん?抗がん剤ってこんなものなん?って思わせるくらい、ほとんど辛いとかしんどいとか言わなかったし、見せなかったなぁ。
2017年の年末。
とうとう最悪の結果に。
もう、手術も出来ない。
抗がん剤もない。
余命は月単位。
余命を突きつけられるってどんな気持ちなんやろ。
何を考えてるか正直分からないくらい、あまり何も言わないお父さん。
余命を言われてからの7ヶ月間。
1人の時はやっぱ泣いてたのかな?
怖くて、怖くてしょうがなかったのかな?
私が沖縄移住してから亡くなるまでの約2年間。
沖縄での生活を始めてほとんど一緒にいなかったし、こんなにも早く逝くとも思ってなかったから、もっと一緒に過ごせる時間作ってあげたらよかったなって思うことも正直あるけど、あのタイミングで沖縄行くこと許してくれたのは、お父さんの中でも何か思うことがあったのかなぁって今になって思います。
都合のいいように解釈してるって言われたらそれまでやけど…
自分より家族のこと。
家族のために仕事をする。
友達も全然いなくて、飲みに行くこともない。
お酒は家で。
休みは家族の為。
数ヶ月に一回、仕事帰りにパチンコ行くくらい。
そのくらい、自分のことよりも家族を大切にしてきた父親。
少しくらいハメ外してもいいのに、クソがつくくらいの真面目人間。
我慢強くて、最後まで生きることを諦めなかった。
こんなにもかっこいい人みたことない。
心配ばっかかけて、迷惑ばっかかけて、反抗ばっかして、生意気な娘やったのに、最後の最後まで、たくさんの愛情をありがとう。
亡くなった日のこと、
ドラマ以上にドラマみたいな最期。
あの数分、いや、あの数十秒は、一生忘れることはないと思います。
本当に、本当にありがとう!
まだ実感がない部分もあるし、ぼーっとあの日のことを思い出しては涙が出る日もある。
けど、どこかで見守ってくれてる気がするし、まだまだ心配でたまに沖縄まで来てそうな気もするから、早く安心してもらえるよーに、これからの人生も全力で突き進んで行こうと思います!
32年間本当にありがとう。
そして、長い闘病生活お疲れ様でした。