21日に、約4年ぶりに大切な大切な、アメリカにいる家族に会えます
まだ、娘がおなかにいたときに来日して以来
本当は、私が会いに行きたかったけど、結局行けずじまい。。。
モンタナに住む、70歳を過ぎた老夫婦。
3歳の時に、私はこの2人と運命的な出会いをした。
私が乳児院にいたときで、残念ながら記憶には殆ど残っていない出会い。
おぼろげに覚えている記憶が、人から聞いた話しによって
自分がかすかに残った記憶をイメージして繋ぎ合わせたものなのか、
逆に、本当の自分の記憶なのかも区別できないくらいだけど、
彼女たちが、当時私によくしてくれたことだけはずっと知っていた。
一緒に過ごしている時の写真も何枚か持っていた。
当時、3歳の私はおかっぱ頭で前髪が一直線に綺麗にそろっていて
昔らしい純日本人・・・下町風情の顔(もちろん、今も)をしていた。
写真を見ても、面影なんてもんじゃないほど今も全然変わっていない。
3歳にして、すでに完成された一生の顔(笑)。
そんな私の隣には、対照的にほりの深い顔にブルーの瞳、白い肌に茶色い髪の
がっちりした体形の男性と、背は高くほっそりとした優しい顔の女性が一緒に写真の中で笑っていた。
わずかの期間を一緒に出掛けたりして過ごしたのだが、
結局別れてしまい、その人たちはアメリカへ帰国していった。
再会を果たしたのは、それから17年もたった20歳になった頃だった。
のちに、この夫婦が私の大切な「ダディ」と「ママ」になったのだが・・・。
なぜ、私が3歳の時に乳児院で
ダディとママと出会ったのか?
理由は知っていた・・・というか、物心ついたころに
私が引き取られた里親からその写真を渡されたと同時に教えてもらっていた。
でも、どうして別れたかは誰も本当のことは教えてくれなかった。
曖昧に、なにかを隠して遠ざけるように・・・。
でも、口をそろえて同じ理由を語った。
別れた理由は、私にある・・と。
私が、そのアメリカ人夫婦を拒否したからだと。
今思えば、なぜもっといろいろ聞かなかったのかと半ば悔しい気持ちもあるのだけど、
その頃はそれで納得してた自分もいた。
このことや、再会のことはまた少しづつ書いていくことにしよう。
私を本当の苦しさから解放してくれたダディとママ。
私の娘をやっとやっと会わせられるのが、たまらなく嬉しい。
神様のいたずらか、、、
私たちが出会った3歳と同じ、娘も今3歳になっている。
わたしにはその偶然さえ神秘的に感じてしまう。
先週の土曜日から娘の熱が続き、冬籠りのような生活が続いた数日間。
でも、今日、ママからきたイーメールを見たら
もうすぐ会える実感がわいてきて、心に火がともって暖かさに包まれたようになった。
早く会いたい。
英語ができない私だから、そこがとても不安だけど・・・。
でも、早く会いたいな。