ドロフィンママのブログ

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29歳で初めて家族ができましたが、わたしの人生、ずっと幸せです。
~ばいばい、天涯孤独~

Amebaでブログを始めよう!

昨日は、来日しているダディとママと会える日が最後で


今日はもう成田だと思っていたら、、



一日ずれていたことをギリギリ昨日知った私・・叫びあせるあせる


あ~もう~(-_-)/~~~ピシー!ピシー!



ってことで、今日はダディとママは都心にあるホテルの庭園を観たり


お土産を買うためにショッピングに出かけるそうです。



なので、夜に恵比寿で待ち合わせクラッカー



最後のディナーですおにぎり



明日は成田からシンガポールにビジネスでいくそうです。

おおよそ3週間の滞在です。


70歳近いのに、なんてパワフルラブラブ

あこがれちゃいます恋の矢



今日は晴れて良かったラブラブ!

アメリカから素敵なダディとママが来日して、わが家のなでし娘ちゃんも

晴れて国際デビューを果たしましたラブラブ!ラブラブ


21日からずっと一緒に過ごしています雪


なでし娘ちゃんのここ数日のお気に入りsongは

「A~B~C~D~~音譜」です音譜


「A~B~C~D~・・・」のあとは、EFG~と続いてほしいところが

ABC~と戻りますが・・・わら


ダディとママの住む町には電車がない程、小さな町です。



でも、空気が澄んだ綺麗な町です。

広大な土地に、鮮やかな緑がどこまでも続いて

堂々と山がそびえたつ。

広い道路に面した牧場には、町のみんなが食べる牛も誰もが目にできる。


動物との共存が日常的に感じられる町。


子どもが育つ環境としても最適。


ダディとママは東京で乗りなれない電車をたくさん乗り

疲れているはずなのに

私やなでし娘ちゃんのために滞在中の時間を割いてくれます。


それがとても嬉しいです。


私のつたない英語にもめげずに耳を傾けてくれて

ちゃんと聞き取ってくれている。


下手な英語だけど、それでもしゃべらないよりしゃべった方が全然いい。


明日で日本で一緒に過ごす最後の日。


本当はすごく寂しい。。。


でも、明日もハッピーで素晴らしい一日を送れますように。




アメリカのモンタナ州から都内のホテルまで、


はるばる23時間もかけて日本に来てくれました、ママとダディ。


マイナス20度の銀世界で冬を過ごすママたちは、


日本の暖かさを楽しみにしていたようだったけど、あいにくの雨模様でした雨雪の結晶



でも、心は晴れ晴れ晴れ



涙涙の再会、言葉はいりません。


本当に、よく来てくれましたラブラブ!



1週間はあっという間に経ってしまうだろうから、


1分1秒を大切に共有しないとラブラブ



動物園の予定を雨で屋内の水族館へ変更ラブラブ!


水族館はモンタナ(彼らが住んでいる周辺)ではめずらしいようで


見入っていました。


我が家のなでし娘ちゃんは、病み上がりで終始機嫌が悪かったですが


ママとダディとの3ショット、やっと見れた念願の光景に


私は嬉しさでうっとりとろけそうでしたよラブラブ!



感無量。

ずっとずっと目に焼き付けておきたい愛おしい光景でした。




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明日もまた雨みたいだけど、楽しむぞ!!!!!!

21日に、約4年ぶりに大切な大切な、アメリカにいる家族に会えますラブラブ


まだ、娘がおなかにいたときに来日して以来キスマーク

本当は、私が会いに行きたかったけど、結局行けずじまい。。。しょぼん




モンタナに住む、70歳を過ぎた老夫婦。

3歳の時に、私はこの2人と運命的な出会いをした。


私が乳児院にいたときで、残念ながら記憶には殆ど残っていない出会い。

おぼろげに覚えている記憶が、人から聞いた話しによって

自分がかすかに残った記憶をイメージして繋ぎ合わせたものなのか、

逆に、本当の自分の記憶なのかも区別できないくらいだけど、


彼女たちが、当時私によくしてくれたことだけはずっと知っていた。

一緒に過ごしている時の写真も何枚か持っていた。


当時、3歳の私はおかっぱ頭で前髪が一直線に綺麗にそろっていて

昔らしい純日本人・・・下町風情の顔(もちろん、今も)をしていた。


写真を見ても、面影なんてもんじゃないほど今も全然変わっていない。

3歳にして、すでに完成された一生の顔(笑)。



そんな私の隣には、対照的にほりの深い顔にブルーの瞳、白い肌に茶色い髪の

がっちりした体形の男性と、背は高くほっそりとした優しい顔の女性が一緒に写真の中で笑っていた。


わずかの期間を一緒に出掛けたりして過ごしたのだが、

結局別れてしまい、その人たちはアメリカへ帰国していった。



再会を果たしたのは、それから17年もたった20歳になった頃だった。

のちに、この夫婦が私の大切な「ダディ」と「ママ」になったのだが・・・。


なぜ、私が3歳の時に乳児院で

ダディとママと出会ったのか?

理由は知っていた・・・というか、物心ついたころに

私が引き取られた里親からその写真を渡されたと同時に教えてもらっていた。


でも、どうして別れたかは誰も本当のことは教えてくれなかった。


曖昧に、なにかを隠して遠ざけるように・・・。

でも、口をそろえて同じ理由を語った。


別れた理由は、私にある・・と。


私が、そのアメリカ人夫婦を拒否したからだと。


今思えば、なぜもっといろいろ聞かなかったのかと半ば悔しい気持ちもあるのだけど、

その頃はそれで納得してた自分もいた。


このことや、再会のことはまた少しづつ書いていくことにしよう。


私を本当の苦しさから解放してくれたダディとママ。


私の娘をやっとやっと会わせられるのが、たまらなく嬉しい。


神様のいたずらか、、、


私たちが出会った3歳と同じ、娘も今3歳になっている。


わたしにはその偶然さえ神秘的に感じてしまう。


先週の土曜日から娘の熱が続き、冬籠りのような生活が続いた数日間。


でも、今日、ママからきたイーメールを見たら

もうすぐ会える実感がわいてきて、心に火がともって暖かさに包まれたようになった。


早く会いたい。


英語ができない私だから、そこがとても不安だけど・・・。


でも、早く会いたいな。