13年前のきょう。あの日曜日の朝

 

わたしはプーケット島の海にほど近い

 

マンションの一室で寝ていた。

 

早朝、地震が起きたのをうっすらと

 

今でも覚えてる。

 

 

タイでは地震なんて起こらないと思ってたし、

 

震度2くらいだったので、さほど気に留めず

 

2度寝してしまった。

 

 

 

しばらくすると

 

けたたましくドアをたたく音で起こされた。

 

同じマンションに住む住民が

 

 

 

「津波だ!今すぐ逃げろ!」

 

 

と叫んで、教えてくれた。

 

 

 

私は部屋にひとりぼっちだった。

 

もうパニックだ。

 

自分ひとりの身を守ることすら

 

どうすればいいのかわからない。

 

 

パジャマのまま部屋を飛び出して

 

マンションの最上階にいき

 

救助を待つ。

 

 

 

 

道路の50メートルくらい手前まで

 

すでに波が押し寄せてきていた。

手が震えて必死で屋上の手すりに摑まる。

 

でも、一体誰が来てくれるの?

 

異国で頼れる家族もいない。

 

わたしは心細くて震えていた。

 

 

不安でがちがち震えていたときに

 

友人から電話がなった。

 

「えり、今どこにいるの?今助け来てるから!」

 

まじかに迫っている津波を横目に

 

友人がバイクで迎えに来てくれた。

 

2人でとにかく山のほうへバイクを走らせて必死で逃げた。

 

 

そして翌日の朝、ビーチへ向かった。

 

 

そこには

 

 

ありえない景色が広がっていた。

 

 

道路は横転した自動車でふさがれ

 

海岸沿いに並んでいた土産物店は

 

波にさらわれて消えていた。

 

見覚えのある、繁華街のデパートも

 

レストランもお土産物屋さんも

 

がれきに埋もれていた。

 


死体が転がるビーチからは

 

今まで経験したことのない異臭が漂ってきた。

 

 

何もかも変わってしまった。

 

 

そこはまるで

 

映画で観る戦場のようだった。

 

 

バイクで走りながら、涙がとまらない。

 

きのうまで、ビーチパラソルが並び

 

ジェットスキーやパラセイリングが飛び交い

 

ローカルや観光客で和気あいあいとして

 

賑わっていたあのビーチはなくなってしまった。

 

全てが変わってしまった。

 

 

大好きだったビーチが、

 

変わり果てた姿。

 

 

 

ビーチから150メートルほど

 

働いていたホテルでは、玄関先の道路が冠水。

 

津波がやってきて

 

車が大きな音を立てて玄関近くまで

 

流されてきたそうだ。



ホテル付属の海辺のレストラン2棟は

 

津波にさらわれて跡形もなくなった。

 

 

 

津波の経験がなかったプーケットの人々。

 

最初の津波が来る前、一気に引き潮になり

 

引きあがった砂浜には

 

たくさんの魚たちが浮き出てきたそう。

 

 

そんな珍しい光景に

 

人々は興味津々と沖へ出て、

 

魚を見に来て、たくさん犠牲になった。

  

 

テレビをつけると容赦なく亡くなった方の映像が流れる。

 

 大津波は25万人以上の命を奪い、多くの外国人旅行客も死亡。プーケット島でも400名以上が亡くなりました。

 

改めて、あまりにも被害が甚大で深刻で

 

私の経験や想像をはるかに超えるものだったと知った。

 

震災直後から刻々と伝えられる

 

現地の凄まじい映像を見ながら

 

震えが止まらなかった。

 

 

あの日から、わたしは常に

備えあれば憂いなし!

と心に刻んでいる。
 
起こってからでは、遅いんだ。
 
ぜったい起こらないなんて、どこにもないんだ。
 
防災グッズも完璧に準備している。
 
子供達を絶対に何があっても守る!!
 
そう固く心に誓って生きています。