野田知佑さんの本を読んでいる。

生き方を模索する若き日の野田さんの放浪記だ。


もうすぐ30歳になる私の悩みは
10代、20代前半の若者が抱えているものと
同じだと今さらながら気が付いて少し恥ずかしい。

それでも40歳になっても50歳になっても
きっと私は変わらないんだろうな。


チワワの愛犬はカヌー犬ガクにはなれないし、
私も野田さんのようには生きられない。

私がすぽっとはまる穴はどこにあるのかな。

久しぶりに心震える出会いがありました


$colorful

キャラクターものに心を動かされなくなって
どのくらい経つでしょう…遠い目

$colorful

かわいい・・・ラブラブ
栗城史多 という人を知った。

単独で世界七大陸の高峰を無酸素で登頂するアルピニスト。



どうしてだろう。

どうして行けるのだろう。

死ぬかもしれないのに。

どうしてだろう。

どうして闘えるのだろう。

そんなに苦しいのに。



彼は1982年生まれ

彼の身長は162センチ

彼の体重は60キロ



人間ってすごい。
猫になりたい。

そんな日もある。

筋肉つけなくちゃ。

心にも体にも。
成人式を止めればいい。

20歳になったからといって一堂に集めて、
来賓の方々の話を聞かせてどうするのだ。

そこで大人になった自覚がムクムクと芽生えた若者が果たしているだろうか。

そこで祭りだ。

成人式の代わりに祭りなのだ。

成人式に暴れる若者が毎年ニュースで流れるが、
噴出するエネルギーをもてあましているのだろう。

だからこそ祭りだ。

突然こんなことを言い出したのは、
京都鞍馬の火祭のドキュメンタリーを見たからだ。

影響されやすいのである。

那智の火祭りは以前から見たいと思っていたが、
鞍馬の火祭りもすごかった。

人間はもともと火が好きなんだろう。
花火の後に小さな焚火をして妙に興奮した覚えがありませんか?

鞍馬の火祭りでは「ちょっぺん」という儀式があって、
その儀式によって若者は鞍馬の男であることを認められるそうだ。

タバコを吸えるとか、お酒を飲めるとか、投票権が持てるとか、
大人になるということはそんな特権を自動的に与えられることではなくて、
一人前だと認められるか認められないか、そういうことだと思う。

だからいっそのこと成人式を全面撤廃して、
全国で地域の祭りを復興させ成人の儀式を行えばいいのだ。

勿論、儀式は簡単なものではなくて、少しだけ命の危険もあったりして、
どこかの国のバンジージャンプのようなものだったりするのがいい。

ああ、一生大人になれそうにない。

ドキュメンタリーではちょっぺんの儀式を迎える17歳の若者を追っていたのだが、
その父親という人がこれまたかっこいいのである、the日本の男なのである。

大和撫子には程遠いけれど、日本男児には憧れるのである、
勝手なのであーる。

「可愛いから」という理由で女装をする若者が増えているそうだが、
男の色気を目指すならばふんどしだ。ふんどしセクシー。

ふんどしを着こなしてこそ、日本の男と認められるのだ。

ひきしまったお尻と筋肉のついた腕も成人の条件とします。