そよkaze

そよkaze

日々心に浮かんだあれこれを
綴ってみようと思います
残照に立つ気はないけれど立ってるわけで
書けるうちが花と思っています。
お読みいただけたら嬉しいです。

久し振りに 我が心の故郷に戻った気分です。

 

台風で蹂躙されそうな日々が続いて

私は気圧の変化で ふらふらでした。

 

今朝など吸入の時間まで待てずに 緊急用の吸入を初めて使いました。

今まで朝に息苦しさなど感じたこともないのにね。

 

その薬って喘息の発作の時に使うらしくて

結構強かった様で 楽にはなったものの 副作用で手が震えてしばらく

家事は出来ません。

 

それも収まり すっかり元気になりました。

 

考えてみれば二十代の青春時代に 憧れの君がバドミントンの部長をしていたので

私も入って楽しく過ごしていましたが

その人が転勤であっけなく 我が初恋は終わったのでした。

 

その頃から、長く練習を出来ない自分がいて

今度はダンスに夢中になりましたっけ。

 

でも大好きなジルバとかタンゴとかは 息切れして途中でパスとなったり

それでものんきな私は、別に気にもとめずにやり過ごしてきました。

 

それからうん十年

ある日友人と川縁にジョギングしましたら とても続かず

皆に迷惑をかけるので辞めて 呼吸器科で診察を受けましたら

 

「あのー。まさか肺気腫ではないですよね。?」

 

『いえ、立派な肺気腫ですよ」

 

「。。。。。。」

 

まさか!

夫が肺気腫と肺がんで闘病中です。

『先生 私たばこは吸ったことないし・・・」

 

『喘息気味だったでしょ?

それに旦那さんもエラいヘビースモーカーだったようですし。

副流煙で受動喫煙となる可能性もあるし」

 

意地悪?な先生はきっぱり言い放ちました。

 

考えてみれば両親は大変な愛煙家だったし

母親っこの私は 何時だって母のたばこのにおいを浴び続けたし

おまけに生まれつき肺が弱くて喘息持ちでしたから

ずっと前からこうなることに運命づけられていたのでした。

 

まあ運命と思えば 恨みようもなし

あと5年も生きればいいやと思っていたのに

10年以上たっても死ぬ気配はない。

それどころか『老いてますます盛んね』とか友人に言われる今日この頃ですもん。

 

私は夫と同じ病とは絶対言いたくなかったし

意地悪先生は

『未だ踊りもやれるし宝塚観劇もいけるし

あんたは酸素ボンベいらずに平均寿命ぐらいは長生きできるさ』。

 

あの~、別に長生きしたいと言うよりは 

御贔屓が真ん中張っている時まで 観劇できるぐらいの間は

元気でいたい訳で(苦笑)

 

      

 

元気と言ったって

坂道は上れないし 階段はパスでエレベーターを探す身で

今シニアの皆さんに大人気なグランドゴルフも無理だし

町内会のバス旅行もパスだしetc...

 

でも、料理はお手の物だし

カラオケだって喉の調子が良いときは 歌姫だし(うそうそ)

お座敷踊りなら未だ踊れるし こうやってブログも未だ続けられる・かな?

シニアカーで山ほどの買い物も出来るし。

 

これぐらい出来たらもう文句なしさと空元気で今日も生きておりますです。

 

でもやっぱり 海外旅行も行きたかったし

国内の旅だって いつも大劇場ばかりではなく

ついでに京都に行ってみたいとかは

無理なんですよね。

 

ま、いいかとそれはさっぱり諦めて お家で映画を見たり中国ドラマを見たり

結構楽しくやっております。♪