涙が勝手に落ちてきました。
まぁ、終了後は、なんか憑き物が落ちたかのような、この笑顔ですよ(笑)
この講座で、私が最後に向き合ったのは
存在価値がない自分
自分で自分のことをそう感じて、
必死に存在価値のある自分になろうとし続けてきました。
講師は、
心屋マスター塾でお世話になった、ひらいなずさん。
今さらですが、
マスター受講中の1年前の私。
因みに私は幼い頃、自分は不細工であるというコンプレックス持ってました。
でも、この写真、自分で言うのもなんですが、結構可愛く写ってませんか?
と、思ったら
やっぱ不細工だった(笑)
で、
この頃は精一杯
存在価値のある私、を
必死に演じてました( ・ε・)
マスター来たからには、
自分の内面と向き合って、掘り下げて、
たくさん気付かねば!!
ねばねばねばー!!!
ほらー!
みてみて!!
なずさん、私、どんどん気づいてるーー!!!
ほめてほめて!!!
という、心の声が凄かったです(*´ω`*)
ほめてほめて!!!
ってな感じで。
ところが。
今日の講座で、改めて幼い頃の自分と向き合い。
1年前に向き合ってた案件が再び浮かび上がり。
順番に自分の現在の悩みを話し、なずさんがカウンセリングしてくれているとき。
私はモヤモヤしている事を伝えて、
次の人の話を聞いているとき、急に涙腺が決壊。。。
( ;∀;)あ、あれ?
それは、
マスター中に向き合ったと思い込んで終わらせていたこと。
(つд;*)?
それは、
弟が親の役に立つ存在で、私ではなかったという記憶。
自分の中の【好きという感情】【愛情】を切り捨てることになった記憶。
そして、自分自身が切り捨てられてしまったと感じた記憶。
無力感。
自分は存在価値がないと絶望した記憶。。
○○だから、無価値な私。
マスター中はそう片付けて、
○○な私を受け入れる。
をやってましたが。
本当の根っこは、そこではなかった。
シンプルに、【無価値な私】と向き合わなくてはいけなかった。
そして、そのもっと根っこには、
最初に引いた、ぢんさんおみくじに
すべての答えが書いてありました(*´ー`*)
※1年前に引いたときは、何でこれが出るのか意味がわからなかったです。
お父さんと、
お父さんにくっついている、
歌や響く声で喋ることなどの
私の好きなことを
否定しなければならなかった、
自分の【好き】という気持ちの存在を、殺さなければならなかった、
そしてその事を、自分に隠しておかなくてはいけないと思って、巧妙に隠し続けたこと。
そこに気づいてしまって、
感情より先に涙が落ちてきました。
お父さんはわがままなところもあるけど、
子どもたちの事を、
私の事を、本当に可愛がってくれていて、
たくさん誉めてくれていたのに。
そんなお父さんを嫌いにならなきゃいけないなんて、
それはそれはツラいにきまってる。
お父さんが大好きでいいよ。
声が響いてもいいよ。
歌を歌いまくってていいよ。
自分のフルネームを堂々と名乗っていいんだよ。
私の存在に、なんの価値も役割もなくていいよ。
私はここにいて、
ただ、笑ってるだけでいいよ。
それに気づくための、
長い、長い戦いでした。