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9月最終の週末如何お過ごしですかぁ~^^
秋晴れのあやぴ地方デス晴れ
 
 
さて、この日もとてもイイお天気でした・・・翌日の台風が嘘の様に・・・霧にひひ
 
 
だんじりを観た後は、行ってみたかった岸和田城へGO自転車DASH!
 
 
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思った以上に天守閣も立派で感激でしたよ~o(^▽^)o
コレは明治の廃城で一旦破壊されたそうですが、
平成になって復元されたものだそうですね
 
 
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別名『千亀利城』とも言うんですね~
 
伝承では、建武新政期に楠木正成の一族和田高家が築いたといわれています。
天正13(1585)年、羽柴秀吉は紀州根来寺討滅後、伯父小出秀政を城主とし、
秀政によって城郭整備され、天守閣もこの時に築かれました。
 小出秀政・吉政・吉英、松平(松井)康重・康映をへて寛永17(1640)年、岡部宣勝が入城
(6万石、のち5万3千石)、以後明治維新まで岡部氏13代が岸和田藩を統治しました。
 天守閣は文政10(1827)年に落雷で焼失、維新期には櫓・門など城郭施設を
自ら破壊したため、近世以前の構造物は堀と石垣以外には残存していません。
 現天守閣は昭和29年建造された3層3階の模擬天守。本来は5 層天守であったことが
絵図などで確認されています。城跡は昭和18年府指定史跡。
(市のHPより)
 
 
平成19年4月1日より岸和田城が観光施設として生まれ変りました。
 岸和田城ウエディングをはじめ、多聞櫓・隅櫓をギャラリーや各種イベントに
使用することで、観光振興の拠点として活用しているそうです
 
 
常設展示室を観てみました。
 
だいだいの城主の肖像画や甲冑が状態良く飾られてますね~
 
 
 
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そして2階で企画展示を今やっていて、ココでもナント!
新島八重の縁がある土地だという事が解りました!
 
 

企画展「新島八重と岸和田」

 明治11(1878)年7月新島襄がキリスト教伝道のため来岸し、同年末には新島八重が女性への布教のために来岸しました。今話題の新島八重と岸和田との関わりやその背景、
その後の歴史への影響等について関連資料によって紹介します。
 
 
 
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何故、新島八重が岸和田へ来たのか?
 
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ココでも八重と襄の直筆書簡が展示されてましたよ~
(ピンボケでゴメンなさい)
 
コチラが襄
 
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コチラが八重。
 
 
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ヤッパリ達筆!!(*゚▽゚*)
 
天守閣からの岸和田の眺めで~す
 
 
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面白いお庭デスね!
 
 
 
 
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暑い日だったので、高い所の風は気持ちいいですね~
 
 
 
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小さなお城なのかな?って観に行くまで勝手に思ってたので、
思った以上に見応え有った素敵なお城でしたよ~ヽ(´ー`)ノ
 
 
 
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オマケのランチナイフとフォーク写真~
 
 
 
 
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翌日泊まったホテル大阪東急インのバイキングランチで~す!
ステーキは漏れなく丸まる一枚焼いてくれます
 
 
 
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他にも肉料理・魚料理・パスタ・pizza・カレー・お寿司・今回は
茶そばが新しくお目見え~!!ラーメン
 
ステーキは脂身のとこは丁寧に取り除いて食べなきゃねっ
 
ってか、こんだけ食べてる時点で意味無いか・・(・∀・)
 
 
デザートは自分で好きなだけ漏れるソフトクリーム
とナタデココヨーグルトを足して。ソレとマスカットのゼリー。
 
 
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お腹イッパイになりましたぁ~
 
 
 
ビジホにしてはオサレなレストランですキラキラ
 
 
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今度、夜ワインでも飲んでみよ~っと
 
 
ではでは~好い秋晴れの週末をお過ごし下さいね~
 
 
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良かったら見てみて下さいね~(^^;
 
 
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