常々 思い悩んでいることがあって

今回それが強く現れているので

ここに書き残します

気持ちの整理のためと、記録のため



思いのまま書くので何を言ってるか分からないところもあると思いますし、病気や障害を抱えている方を否定するかのように感じられることもあるかと思います。
ネガティブすぎて読むのがつらい方もいらっしゃると思いますので、ご了承いただける方だけこの先を読んでいただけたらと思います。

病気や障害を抱えている方を否定する意図はありません。
あくまで自分にそこまでの価値がないと思っての考えなので、不快に感じてしまう可能性がある方はお控えください…

自分の気持ちだけを素直に書きましたので
もっと大変な人はいる、自分の方が大変、甘え、その考えは間違っているなど、指摘するような内容のコメントは控えていただけると幸いです…










悩んでること…



友人関係、恋人関係問わず

私と付き合う人に申し訳ないと感じること


私は走ったり運動することはもちろん、
長距離を歩いたり、プールで遊んだり
温泉に入ったり、他にもたくさんのことができない

それどころか、車椅子を押してもらったり
もしものときは助けを求めることもあって
周りにいる人たちに負担をかけてしまう


だから、私と一緒にいる人へ
申し訳ない気持ちが常にある

それを感謝に変えようと
感謝の気持ちだけを伝えるようにしているけど


やっぱり心の底では

こんな自分と付き合っていて楽しいのだろうか

って考えてしまう


私がもし健康だったら


みんなと同じように、
色々なことを楽しめたと思う

私に気を遣って、これはやめようか
これはこうしようかって配慮してくれるのは

とても嬉しい半面
気を遣わせて申し訳ない気持ちでいっぱい

私がいなければ
車椅子を押す負担もなく
身軽に遊べたのに

車椅子がある分、気を付けなきゃいけないことや
諦めなきゃいけないこともあって

こんな周りに大変な思いをさせてまで

自分が好き勝手に生きるのってどうなんだろうって


私個人は諦めるしか選択肢がないことでも
相手にとっては、私と一緒でなければ諦めなくて済むことなのに私のために諦めさせてしまうのが申し訳ない


車椅子を自走するのは心臓への負担が大きいから厳しい
電動車椅子を考えたこともあるけど
いつも車椅子に乗ってるわけじゃないし
費用面でもすぐに実現するのは無理そう


そうなるとやっぱり周りの助けが必要だけど

どうしても歩けないわけじゃないのに
車椅子を押してもらってるのも
中途半端な気がして申し訳ない


長く歩くと副作用で足に激痛がはしって
立ってることもできなくなるから
車椅子に乗ってる


我慢すればみんなに負担をかけないのに
甘えてるなぁって思う


でもこの足の痛さは本当にすごい
ハイヒールで何時間も立ってるみたいな足の裏の痛みとリンパなのか血管なのかが圧迫されているような痛み

立つこともできないし、しゃがんでも良くないならない

先生曰く、足のポンプ機能が弱まってるのと
血管拡張薬の効果で足に血液が溜まって
血液が身体中に循環されず、足を圧迫してるんじゃないかと

弾性ストッキングとか、柔らかい靴とか
片っ端から先生にオススメされたものを使ってみたけど
効果は全くなし
解決方法もなし

座るか横になって痛みが引くのを待つだけ

立ってる限り悪化しかしない

それが耐えられないならロキソニンとか
鎮痛剤を飲むしかないって


それもつらいなら薬を減量するしかないと


肺高血圧症の治療は副作用がとてもきついから

副作用のつらさで生きる希望をなくすくらいなら
薬を減量する=薬の効果が弱まる


だから私は減量を断り続けてきた


こんな頑張ってるのに
足踏みみたいな治療続けていける自信ないよ



話が逸れてしまったけど

そんな理由で、遊びに行く時は
いつも車椅子は欠かせない


友達にはいつもごめんって気持ちを持ち続けてる

私も友達と一緒に軽やかに歩きたい



恋愛もそう


恋愛には消極的になった


置いていくのも失うのも怖い


私は長生きできないことが確定していて

胸に管を繋がれて
できることは限られているし
車椅子とか看病とかお世話になることも沢山ある

心だって健康にはいかない

わけもなく泣いてしまう日もあれば

相手に申し訳なくなっていなくなろうとしたり
泣いたり、惨めになったり


そういう自分を見れば見るほど


健康な人に憧れてしまう

大切な人だからこそ
自分より
健康な人の方が良かったんじゃないかと


健康な人だって人の力を借りることはあるし
いつ死ぬかも分からない
病気になる可能性だってある

そんなことは分かっているけど


“現状”そうなっている私からしたら

今 元気ならうらやましい対象になる


ないものねだりだ

よく、
健康な人だっていつ病気になるか分からない
いつ死ぬか分からない
人の助けを借りるときもある

だからみんな平等だと主張する人はいるけど

いつなるか分からないまま元気な今を生きてる人と
実際になって確定された未来に向かって苦しみながら今を生きている人は同じにならないと思う

そんなの結果論なんだ

今を生きてるんだから
今が大事だし今を考えるのはおかしいことじゃないはず

今の自分を見て、今起こっていることを見て
気が病むのは当たり前じゃないのか













例えば、3次元の推しがいたり
好きな人がいたとして

その人が自分を見たらどう思うだろう

ってことを考える


大小あれど、みんな何かしら病気や障害を抱えて生きているから私だけ特別ということでもないけど

私によほどの魅力があるならまだしも


“欠陥”の私をあえて好き好んで選ぶ人はいないだろうって思う


推しや好きな人とお近づきになれるかとかそういうことじゃない

そもそもそのできるできないの選択肢すら与えられないんじゃないかって思ってしまう

これはだいぶ偏った考えだとは思う

私からしたら、普通の人なら
人と人として出会って、そこから先は相性にもよるかもしれないけど一応選択肢は生まれると感じてる

でも自分は

病気だと知って気を遣って優しくされても
対等でいられてる感じはしない


高齢者の介護のような、腫れ物に触る感じ


そうなるのが目に見えてる

健康に越したことはないんだ

だってみんなが想像する人生って

健康であることが前提であることが多いんだから


好きだからこそ、自分のことで面倒かけたくない
心配させたくない悲しい思いをさせたくない
がっかりされたくない


例えば、例えば、推しと対面したとしても

やっぱり、病気と闘ってる“かわいそうな人”というイメージを持たれて、

ボランティア精神というか、社会福祉的な気持ちで接するんじゃないか


酷い妄想だと思うし、自意識過剰だけど
そこまで考えてしまう





何が言いたいかというと


一人の女性、人間として見てもらいたいのに


病気というステータスが強すぎる


誰と出会ってもそうなることが怖い


病気を隠して生きていくのは無理だし

病気も私の一部だと受け入れようと思っている反面


病気の人と思われたくない気持ちを持ってしまう


管に繋がれていない人に憧れる
ほとんどの人だけど


管もバッグも身につけず身軽でいいなって


自分は薬がなくなったら生きていられないとか
カテーテルが切れたらとかリスクを沢山抱えて生きてるけど、そういう心配のないっていう意味でも身軽な体がうらやましい


震災とか何か事件に巻き込まれた時を考えても
やっぱり自分は不利すぎる


自分でもこんなにうんざりするくらい
生きていくのが大変なのに

それを一緒に支えてもらうなんてできない
怖い


支えてくれる人を失った時も怖い
自分一人で生きていけるのか

置いていくのも失うのもつらい

だからこれ以上誰かと関係を深めるのは怖い



今周りにいてくれてる人たちには
言葉では表しきれないほど感謝してる

それと同時に申し訳ないと思ってる


自分でも矛盾した気持ちに苛立ちをおぼえることがある


腫れ物に触るように病人扱いされたくない

でもサポートがないと難しいことがいっぱいある

でも相手に負担をかけたくなくて頼めない


みんなについていけない

みんなの後ろ姿を見る度

自分の無力さに悲しくなる


強くありたいけど助けてほしい

自分勝手だと思う


そんな気持ちのややこしさにも

周りを巻き込んでしまいそうだから余計に

怖い



尊厳、というのかな

病気で自分の価値を侵されたくない
人間らしくありたい




私のせいで周りの人のできること楽しめることを狭めたくない

この気持ちも強い


健康でいたかった

みんなと同じように色んなものを楽しみたかった


いや、もっと大変な人もいる
私は十分好き勝手生きてる方なのかもしれない


でも、だからといって
じゃあ自分は幸せだと思って
すんなり受け入れるのは簡単じゃない

あくまで言い聞かせてるだけ


そう思うように心がけてるだけ



せめてカテーテル卒業できないかな

ワンピース着たい

湯船に浸かりたい

プールに入りたい

身軽になりたい

リスクを抱えたくない

カテーテルを見た人に
可哀想な目で見られたくない


健康になりたい

健康になりたい

健康になりたい


普通の生活がしたいだけ


普通の人と見られたい
けど、病気は知ってもらわないといけない

配慮してもらいたい気持ちもある
本当に助かるから


だけど気持ちが素直にいかない
病気の自分をまだ受け入れられてない


ワガママで自分勝手で嫌になる