先日、私の伯母が亡くなりました。

65歳でした。


6年前に乳癌を患った伯母。


オペをして両乳房の全摘をしましたが、リンパ節にも転移していて、その後は脳、肺、腎臓、肝臓、骨へと転移が広がりました。


仕事をしながら、長年に渡って抗がん剤や放射線治療を受けていました。


元々恰幅の良かった伯母ですが、会うたびに(私の実家の近くに住んでいます)どんどん痩せていき、脱毛が進み、弱音を吐くようになりました。


脳腫瘍にはガンマナイフ治療を何度かしましたが、腫瘍は消えては再発し…と繰り返しました。


「次に再発したら、もうガンマナイフの治療はやめようかなぁと思って」


と、最後に会った6月のとき言っていました。


そのときは少しふっくらして、「最近やっと食べられるようになって」と話していて少し安心したけど、帰るときに「また今度ね」と挨拶した歳に、なんだか胸騒ぎして、泣きそうになったのを思い出しました。


緊急事態宣言が終わり、伯母に会いに実家へ帰ろうと思った矢先、骨転移の影響で腰痛がひどくなり、動けなくなったので入院になったと聞きました。


コロナのため面会禁止なので、何も出来ずにいました。


そのうち、肝臓の数値が異常に高く、肝不全を起こしていることがわかりました。


その時点で、余命数週間と告げられました。


伯母はこのとき、意識レベルも落ちてきていて(たぶん肝性脳症)、少し話ができる程度でした。


余命を告げられると、「家に帰りたい」と泣いたそうです。


伯母の娘(私のイトコ)は何とか家に連れて帰ろうとし、自宅退院を目指しました。


でも、病院や地域の方と退院前カンファレンスをした日には、もう意識もなかったそうです。ベッドや訪問診療などの手配をすると、早くても4日後と言われ、「もしかしたらその日まではもたず、病院で最期を迎えるかもしれない」とイトコは言われたそうです。


しかしイトコは、


「母は『家に帰りたい』と私に言いました。今はもう喋れないけど、今でもそう思っていると私は思います。だから私は絶対に家に連れて帰りたい。家に連れて帰ることで寿命が短くなっても、それでいいです。これは遺される家族のワガママです。家に帰る途中で亡くなったとしても、それでいいです。家に帰すって行動することが、私ができる最後の親孝行だから、それを諦めたら私は一生後悔します。だからお願いです。家に帰るのを手伝って下さい。」


と頭を下げ、結局その日の晩に伯母は家に帰りました。


夜には往診医が来てくれて、「あと半日くらいかと思います」と言われたそうです。


金曜日の夜、仕事が終わったら子ども達を連れて車で帰ろうと思っていましたが、その日の昼間に伯母は息を引き取りました。


家に帰って、わずか20時間後でした。


わずか20時間でしたが、伯母の家族にとってはかけがえのない時間だったと思います。


そして伯母は、家に帰れて本当に嬉しかったと思います。


私が伯母の家に着いたのは20時過ぎでした。


まだ温かい伯母の身体に触れ、そして今にも目覚めそうな穏やかな顔を見て、


「おつかれさま。ありがとう。」


と声をかけ、涙が止まりませんでした。


私が低学年のとき、母がパートに行っている夏休みの間などは、毎日伯母が面倒を見てくれました。


一人娘のイトコと私を姉妹のように可愛がってくれ、私の子ども達もまた自分の孫のように可愛がってくれました。


友人も多く、人望もあつく、いつも自分のことより人のことを優先するような、本当に本当に優しい人でした。


「○○ちゃんは立派だねぇ。看護師さんなんてすごいよ」


と会うたびに言ってくれていたけど、私は何も出来なかった。


何もできなくてごめんね。


と眠る伯母に手を合わせて言ったら、


「そうなことないよ」


と聞こえた気がして、どこまでも優しい伯母に涙が止まりませんでした。




もう苦しまず、美味しい物たくさん食べて、たくさん笑ってね。ありがとう。