岡山から倉敷へと移ったのが師走の声を聞いた頃
急に寒さが厳しくなりましたね(。>0<。)
11月初旬からの旅なので、極寒コートは持ってきていましたが、
コートを変える位では、身体が寒さに追いつきません
倉敷では3日間3ステージと時間的に余裕もありました。
(前園先輩が撮った超素敵な写メをお借りして)
硝子の卓球台に映った倉敷城です
倉敷最終日の交流会では12月2日当日バースデーの
津田先輩と、翌日3日バースデーの文美を
会員の皆さんと出演者皆から嬉しいサプライズで
翌日は倉敷から尾道への移動日
夜にはちょっとお姉さん・兄さん世代で親睦会
こうしたひと時も長い旅の間には大事
もしかしたら、家族よりも一緒にいる時間が長いかもしれません。
さて尾道から広島へ
「日本が負けた時、私は広島で産まれたんよ。
母がピカに遭った5日後に私はこの世に生をうけたの」
夢千代にとって、生まれ故郷の広島での公演。
夢千代と同じ苦しみ、忘れたい過去を背負って生きてる
方が、大勢いらっしゃるここ広島。
力まずいつもの通り、精一杯の気持ちでつとめよう
と、自分に言い聞かせての4日間でした。
被爆65年の節目の年に初演の幕を開けた
『夢千代日記』ですが、
早いもので、来年は70年を迎えます。
体験された方から、辛いお話を伺った時
「涙を心に呑んでお話しますから、
これからはあなたが伝える人になって下さい」
と託されました。
お陰様で公演は再来年まで続きます。
前向きに生きていく夢千代に負けないように
これからも精一杯の舞台をつとめてまいります。
さぁ今日は広島から電車で30分程の呉公演
寒さに負けずに