『産むも産まないも女性の「勝手」である』

という記事を読んだ。


常日頃、自分が考えていることに近いと思った。





本当に世の中には、呪いの言葉がそこかしらにぶちまかれていて、
気がつかずに引っかかってしまっている時もある。


「産むも産まないも女性の「勝手」である」だけど、個人の「勝手」だと思う。






結婚をしたら、「子どもの予定は?」と聞かれることが少なからずある。(私に聞いてくる人ってあまりいない方だとは思うけど)


いつもなら「うちはいらないんですー」と言うだけで済むか、
親しい間柄ならば理由①〜③辺りを話す。
(①は建前的理由、③は本音。故に③の出番が一番少ない)



でも先日、初めて会った年上の女性に「この先に子どもを産むつもりはあるんですか?」と聞かれた。


いつものように「ないです」と答えた。


「え!?」と返ってきた。
ものすごく驚いた顔をして、何度も私の表情を確認していたので、
もう一度


「ないんです」



と言った。




仕事の内容に関わるからその質問が出たのだけど、
だからこそ私の返答に戸惑っている様子が伺えた。




それ以上理由などは聞かれなかったので、特に何も言わなかったけど、
久しぶりに強烈に「子どもいらないの!?」と言わんばかりの表情を見た。



理由も言うべきだったかな。





ただ、同じ女性にも、もちろん男性にも、呪いの言葉の意識に違和感を持たない人は本当に多い。


数年前に女優の山口智子さんが、ご自身の子どもを産まないという選択について話されていた時、
中々理解してもらえないことを公の場で言ってくれて強く共感できたと共に有難かった。

影響力のある人の言葉って有難い。(共感できるものに限る)


現在は、海外や国内でもこのような考えを公表する人は増えたけど、

日本は特に、呪いを呪いとして認識していない人が多い。

有難いことに周りには理解してくれる人が多いけど、
それでも私は何度も傷ついたことがあるよ。


呪いにかかっている部分もあるかも。




でも、本当に本当に「産めないことにはさまざまな背景がある」んだよ。





以前、レストランで子どもが騒いでいるのを嫌だな〜と思ってイヤホンの上から耳をふさいでいたのを子連れの男性が見て、子どもにこう言っていた。

「ああいう大人になっちゃダメだからね」。


子どもを連れているのが当たり前で、
騒いでいる子どもを嫌がるのは「自分も子どもだったことがあるのに、最低の人間だ」とも。(私がイヤホンしていて聞こえないと思ったんだろうね)


じゃあもし私が子ども嫌いとかではなくて、「さまざまな背景」から子どもが欲しいのに産めなくて、
子どもの声とか姿を見るだけで辛い人だったらどうするの!?!?
もし流産とかしたばかりで、やっと元気になって来たばかりの人だったら!?!?


そんな背景がある人には、その言葉は暴力以外の何者でもないと思うんだけど。
それを連れていた子どもに言うことにも驚いた。

私はその子どもに「あなたのお父さんのようにこそならないでくれ!」と本気で思った。



私はそのような背景ではなかったけど、騒ぐ子どもを嫌がる=子どもが嫌いという考えの構図は、恐ろしい。





友だちの子どもは可愛い。
それ以上にもそれ以下にも思わない。
自分の子は別格で可愛いらしい。
そりゃそうでしょう。
でも別格で可愛いものは、碧で充分。
老後がさみしくない?とかもあるよね。
そんなのその時になってみないとわからないし、
老後じゃなくても寂しい時は多々あって、その度に対処してきてるんだから、寂しかったら対処するしかないでしょ。
というか、自分の寂しさを埋めるために子どもを産むのか。
そういう考えもあるのね。私は賛同しないけど。




選択肢がある時代だからこそ、「産めないことへのさまざまな背景」がたくさんあるよ!!
十人十色!






この件に関して、結構考えることがあるから、
私も呪いにかかっているのであろう。