演奏会終了して1週間…。
日に日に燃え尽き感が増してる感じがする。
とりとめもなく振り返ってみることにする。
まずは演奏面。
今年の大きなテーマは「強弱」
コンミスとしても、チームマンドリンとしても、強弱、メリハリ、空気を読む(笑)。
音楽に対する考え方も、その人それぞれの音量の基準も全く違う人たちの集まりで、どれだけのことができるか?
意識付けというか、発信、啓発はがんばってみた。
じゃぁ自分がどれだけできたかと言うと…。
ノスタルジーまでは記憶があるんだけど、国境なしはちょっと「記憶にございませんm(__)m」
後で音源聞くと、あーあ。という感じだけど、でも、他の曲を聞くとやってきたことに意味は十分あった、と思える結果。
国境なしはメインだからまぁいいか…。
各パートイロイロあったと思うけど、今回良かったと思ったのはギター。
パーりーが突然パー練を始めた。
あれは良かった。
本番へのパーリーの意気込みが伝わったと思う。それが良かった。
あとは、自分がセカンドのヘルプも思いきってできたこと。
指揮者の「心配なら弾けばいい」の一言に背中を押され、「そうか、私はセカンドのパーリーだし」と、心配な部分を弾いてフォローできた。
そして結果、コンミス3年目にして目標達成!
指揮者に満足してもらえる演奏会になった!指揮者が満足=全員が満足!それがクインティナ~!
あとは運営面。
今年は去年の反省がすごく生かされていて、役割分担が素晴らしかった!
ステージセッティングには課題が残ったようだけど、来年は絶対にクリアできると思う。
前日リハの後に、マンドリンの席を大きく変えたんだけど、その時も私一人ではなく、一緒に見ていてくれる人がいて、テープの貼り変えなんて頼んだらしてもらえた。
調弦を頼んだ人たちを集めたら、他の人もわらわらと集まってくれて一緒に話を聞いてくれた。
調弦の時、廊下がうるさかったら「静かにして!」って声がちゃんと聞こえた。
調弦のスケジュールを話したら、ちゃんとその通りにみんなが動いてくれた。
集合写真もすぐに並べた。
前夜祭で賛助の人たちが
「調弦や裏方のことはいくらでも協力するから、そういうストレスなくやって」
って言ってくれた。
そんな言葉をかけてくれた人たちだけでなく、全員が「他人事」ではなく、チームの一員としての自覚を持って動いていた。
私はコンミスとして、パーリーとして、誰よりもがんばろうと思ってきたけど、その分気持ちの面でたくさんたくさん助けてもらった。だから最後までがんばれた。
みんなに感謝。
がんばったことを素直に認めてくれる仲間に感謝。
そして、こんな素晴らしいオーケストラでコンミスをさせてもらって、誇らしい気持ちでいっぱい。
「寄せ集め」なのに、あんなにやさしくてあたたかい音が出せるのはクインティナだけだぞ!
あんなにすごい修正能力を発揮できるのもクインティナだけだぞ!
全国のお土産が集まるのも、パートお集まりの時間があるのも、ステージに行く前に「点呼しなくていいの?」ってパーリーに聞く余裕があるのも、クインティナだけ!
ありがとう64人のオーケストラ。
今年が凄かったからと言っても、不思議と来年へのプレッシャーはなく、来年も一生懸命やっていたら結果は付いてくると思える、そんな今年だった。
早く弾きたい。次いってみよー!
うちのクラブのみんなが苦手なのがpp。
でも、この前賛助の人が来て一緒に練習して、
苦手な人は多いのかもしれない、と思った。
先日お琴の師範をされている方と会って話した時に
「ppはその曲の中でのppであり、ffであり、その曲全体の音量が基本。個人のppが基準ではない」
という話をされていて、
あー!そうそう!それが言いたかったの!!
と思った。
音楽の感覚や考え方を言葉にするのは難しい。
その方は理論をきっちり勉強されたと言われていたので
やっぱり人に伝えるためには勉強が大事だなぁと痛感した。
語彙のない私は、人の言葉を借りてみんなに伝えます(>_<)
でも、この前賛助の人が来て一緒に練習して、
苦手な人は多いのかもしれない、と思った。
先日お琴の師範をされている方と会って話した時に
「ppはその曲の中でのppであり、ffであり、その曲全体の音量が基本。個人のppが基準ではない」
という話をされていて、
あー!そうそう!それが言いたかったの!!
と思った。
音楽の感覚や考え方を言葉にするのは難しい。
その方は理論をきっちり勉強されたと言われていたので
やっぱり人に伝えるためには勉強が大事だなぁと痛感した。
語彙のない私は、人の言葉を借りてみんなに伝えます(>_<)
昨日の練習では、指揮者から何度も
「音のしまい方」という言葉が出た。
「音をしまう=音を切る」ことだと思うけど、これが難しい。
「消えるように」切る
「抜いて」切る
という表現がよくあるけど、言葉で言ってしまうと要するに「小さくして切る」ということ。
でも、「消える」のと「抜く」のは違う。
両方に対する私のイメージは、言葉にするとちょっと違うけど、例えば「消える」が音量を小さくして小さくして聞こえないようになる、ということだとしたら、「抜く」はふっと力を抜いて弾けなくなって聞こえなくなる、という感じのイメージ。
例えばのそんな違いがある。と自分では認識してる。
自分の技量でもそれがうまく表現できているか??は自信のないところだけど、昨日の練習で寝ながら(?)みんなの演奏を聞いていて、「消える」も「抜く」も抽象的な指揮者のイメージを伝えられているだけであって、じゃあ、具体的にどう弾けば良いのか?なんてきっとみんな誰からも教えてもらってないよなぁと思った。
「消える」のと「抜く」のは違う。
さあ、これをパートリーダーとしてどう伝えるか?が次の課題かな。
「音のしまい方」という言葉が出た。
「音をしまう=音を切る」ことだと思うけど、これが難しい。
「消えるように」切る
「抜いて」切る
という表現がよくあるけど、言葉で言ってしまうと要するに「小さくして切る」ということ。
でも、「消える」のと「抜く」のは違う。
両方に対する私のイメージは、言葉にするとちょっと違うけど、例えば「消える」が音量を小さくして小さくして聞こえないようになる、ということだとしたら、「抜く」はふっと力を抜いて弾けなくなって聞こえなくなる、という感じのイメージ。
例えばのそんな違いがある。と自分では認識してる。
自分の技量でもそれがうまく表現できているか??は自信のないところだけど、昨日の練習で寝ながら(?)みんなの演奏を聞いていて、「消える」も「抜く」も抽象的な指揮者のイメージを伝えられているだけであって、じゃあ、具体的にどう弾けば良いのか?なんてきっとみんな誰からも教えてもらってないよなぁと思った。
「消える」のと「抜く」のは違う。
さあ、これをパートリーダーとしてどう伝えるか?が次の課題かな。
2016.6.10
雑感
最近の私のテーマは、トレモロのメロディーの弾き方です。
バイオリンと同じように、ただトレモロを続けながら左手の音だけを変えてもトレモロでメロディーは続きます。が、1音1音の変化はこれじゃモヤモヤなのでは?じゃあ、どう弾けば音がクリアに、かつ美しいトレモロのメロディーとして聞こえるのか?
なーんてことを考えながら弾いたりしています。
22年も弾いてるといろんなことが無意識化していますが、基礎が弱い私は、こういうことを意識してやるのが大事なんだろーなーと思います。
考察。2015.6.14
今日、高校生が演奏するバイオリン演奏を聴いた。
澄んだ音色に若々しさが新鮮な演奏だった。
ここで考察。
バイオリンもマンドリンも、どうすれば音量を上げることができるのか?
弓で弦をこするとき、
ピックで弦を弾くとき、
弱いと小さな音しか出ないし
単に強いと、不快な音になってしまう。
よく、どうすれば大きい音が出るのか?と聞かれるし、
中には「とにかく力を入れて…」と言う人がいるけど、
果たしてどこに力を入れたら
「美しくて大きい音」が出るのだろう?
以前、前コンミスがレッスンに行って
「先生に、どれだけ大きい音を出すときも、ピックは落ちるか落ちないかくらいの力で持つ、って言われたけど、そんなの無理だー」
と珍しく困っていたのを思い出す。
要するに、
「力が入ると、動きの自由さは失われる」
ということを考えると(合気道の理屈)
ただ力を入れたらいいというものではない。
現段階での美しくて大きい音の限界を知りつつ
その中で力を抜くことができてこそ
その音量を超える演奏ができるようになる…
ということかな。
それの繰り返しで、少しずつ音量を上げていけるのではないか?
美しくないと、大きな音でも意味はないので
その両方の向上を目指すことが必要だし…
と考察して、今日は弾くこともなく1日が終わる。
でも、深夜に楽譜の整理をしながら、
マンドリン音楽を聴いてほっとしている私は
マニアなんだなぁとつくづく。
今日、高校生が演奏するバイオリン演奏を聴いた。
澄んだ音色に若々しさが新鮮な演奏だった。
ここで考察。
バイオリンもマンドリンも、どうすれば音量を上げることができるのか?
弓で弦をこするとき、
ピックで弦を弾くとき、
弱いと小さな音しか出ないし
単に強いと、不快な音になってしまう。
よく、どうすれば大きい音が出るのか?と聞かれるし、
中には「とにかく力を入れて…」と言う人がいるけど、
果たしてどこに力を入れたら
「美しくて大きい音」が出るのだろう?
以前、前コンミスがレッスンに行って
「先生に、どれだけ大きい音を出すときも、ピックは落ちるか落ちないかくらいの力で持つ、って言われたけど、そんなの無理だー」
と珍しく困っていたのを思い出す。
要するに、
「力が入ると、動きの自由さは失われる」
ということを考えると(合気道の理屈)
ただ力を入れたらいいというものではない。
現段階での美しくて大きい音の限界を知りつつ
その中で力を抜くことができてこそ
その音量を超える演奏ができるようになる…
ということかな。
それの繰り返しで、少しずつ音量を上げていけるのではないか?
美しくないと、大きな音でも意味はないので
その両方の向上を目指すことが必要だし…
と考察して、今日は弾くこともなく1日が終わる。
でも、深夜に楽譜の整理をしながら、
マンドリン音楽を聴いてほっとしている私は
マニアなんだなぁとつくづく。






