病院から帰ると余計不安になり、2週間も待っていられない!と、ネットで症状を調べた。
出産によって肛門括約筋まで切れるのは3度裂傷、私のは更に酷い、腸まで切れる4度裂傷。
縫合をしても、腸って常にガスだったり便だったり、何かしらの通り道であるから、うまく治らない事が多い。そのまま穴が空いたまま治ってしまう事が多いらしい。それを直腸膣ろうという。

そうだったのか!と、そこで初めて詳しくを知る。病院で教えてくれずに、ネットに教わる世の中なのか...

その日だったか数日後だったか忘れたが、便意が来て、トイレ行くまでに少し我慢というか力を入れたら...膣から漏れてきてしまった...これで私は間違いないなく直腸膣ろうな訳だ...

更にネットで調べてみると、治すには人工肛門(ストマ)とやらにしなくてはいけないらしい。人工肛門て何?お尻に穴開けるの?と無知な私だったが、調べてびっくり、お腹に開けるのか...しかもずっと便が出てるのか...とショック。
え、赤ちゃんの世話だけで手ーいっぱいなのに、その上に自分のそんな処理まで手をかけないといけないの?匂いは漏れないの?これから息子連れてたくさん外出しなきゃいけない機会出てくるよね、抱っこはできるの?どうしたらいいの!?と、絶望的に...
もちろん、命にかかわる病気の人達を救う事のできる、ストマだって立派な医療方法なんだと思うけど。子供産んだばかりの母親には酷すぎるよ。

それでも、世の中には直腸膣ろうで、ストマになった人だって、たくさんじゃないけどいるんだし...私も受け入れないとなのかな。
と、一旦はストマになる事を覚悟した私ですが、やはり他に治療方法はないのか!調べに調べた。
横で息子が寝ている間、起きていても、少しぐらい泣いていても、ほっぽってネットにかじりついてしまう。罪悪感...かわいい盛りなのに。こんな病気にならなければもっと構ってあげられるのに。寝顔を見ていられるのに...と何度も思った。でも、病院は信用ならないから自分で何とか探すんだ!息子よ!すまん!

お陰様で収穫あり!直腸膣ろう自体かなり症例が少ないらしく、かなり苦労した!ジネコという医療サイトで見つけた、京都にある病院。ストマなしで完治した人が何人かいるそうな!
もう一つ、誰か医者の卵?だかの人が書いたブログ、それに載ってるのも同じ病院!
詳細調べて早速電話してみる。
受付であろう女性に事情を説明すると、先生に代わってくれた。年配の男性の声。
「人工肛門なしで治せますか?」
「治せるよ、もちろん100%とはいえないけど、今のところみんな治ってる。遠いし、きちんと自分が納得した上で来て欲しい。東京の病院で人工肛門にすると言われたらこっちに来てもいいんだよ」と。
涙が出たし、神様に思えた。今でもその先生の事は私、神様だと思ってる。
すぐさま診察に行きたい!と伝えた。
「あぁ、それならおいで」と。

そんなこんなで産後2週間もしないうちに父を引き連れ、フラフラの体で東京から京都へ向かった。この無理がのちのち体に来ない事と、出産前の体の機能が戻る事を願って。




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出産当日、病室で休んでいる時に先生がやってきて話をした。

会陰切開をしたんだけど、裂けた傷が深すぎて腸の粘膜まで切れてしまった事。縫ったんだけど、そこは実は産婦人科の領域ではないので退院後、外科に見せに行って欲しいとの事。それは4度裂傷という事。肛門括約筋も切れてしまっている事。

大事な事を色々話してくれたんだけど、ぶっちゃけ私は出産後で苦しい陣痛を乗り越えた達成感で高揚してて、あまり聞いてなかった。というか、あー、だからあんなに長い事縫ってたのねぇ、腸も縫ったのね、念のために外科へって言ってるだけで普通に治るでしょ、肛門括約筋もそのうち治るでしょー、ぐらいにしか思ってなかった...

実際しばらくは会陰の傷もお尻も痛いし、イマイチ感覚もなかったからよくわかんなかった。

でも、退院して実家に戻ってきてからかな?明らかにお尻の筋肉の感覚がない事に気付く。締める事もできない...便意を少しでも感じたらすぐさまトイレへ駆け込まないと間に合わない...息子を抱っこしていようが授乳中だろうが、母にパスをしてトイレへ駆け込む...

不安が募る中、義姉に付き添ってもらい地元の大きい公立病院へ。
産院の先生に紹介状を書いてもらっていた。内容は、4度裂傷、一度産婦人科を介して、その後外科へ回して欲しいとの事。
かなり待って、内診したところ、産婦人科の若い先生は、上の先生に相談してくるとの事。しばらく待って、上の先生とやらの内診。また奥へ相談に行ってしまう。
さっきの若い先生が戻ってきて、今は様子を見るしかないと言われた。肛門括約筋の事を聞くと、それも今はどうなるかわからないと。
「自然に治るんですか?」
「わからないので様子を見るしかない。2週間後にまた来て下さい」の一点張りで外科に回してもくれなかった...
「腸と膣は隣り合っていて、硬い便によってろう口(トンネル)ができて、膣と膣が繋がってしまうと大変なので、便を柔らかくする薬を出します」
あのー、それ産院でも聞いたし、薬ももらってるんですけど。( TДT)何の為に公立病院まで来たのかわかりゃしない上に、不安を大きくさせる言い方しかしない。大きい病院はそんなものなのかな。
「既になんとなく、悪露に便が混じってるような気がする」
って言っても、
「気のせいかもしれないし、今はまだわからないから。中途半端に変な事は言えないから」
としか言わない。変な事って何!?

そんなこんなで何も収穫もなく、大きい病院なので待ち時間だけはやたらかかって帰宅した。





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2012年3月22日、2時1分。
息子が誕生した。

20日の深夜に破水疑惑で二度、産院へ行ったが二回とも違い、寝不足の中、その日は約4時間程ウォーキングをしたと思う。予定日を5日過ぎていた為、早く産みたかったから。今思うと、歩かずにちゃんと休んでおくべきだったのか。いや、歩いて陣痛を起こさないと、赤ちゃんはもっと大きくなって更に難産になったか...

帰宅してゆっくりお風呂に浸かる。すると夜には陣痛きた!!

21時頃には産院に到着していたと思う。もともと子宮口はほとんど開いてなかったから、病室のベッドで子宮口が開くまでの戦いが始まったのだ。
とにかく痛くて眠れたもんじゃない...
旦那は病室のマッサージチェアで、私のうめき声を聞きながらの就寝。たまに起きては腰をさすってくれた。ありがたいけどあまり効果なし(笑)

朝8時頃、5センチまで開いたというので陣痛室へ移動。ここからがまた戦い。朝食を出されたけど食べられる訳もなく。
更にいきみたくなってくるのを逃すのがまた辛い...こんなにも辛いのが!甘く見ていたな!

そして14時頃、ようやく全開になったのか、分娩台へ上がり、いきみ許可がおりる。ここまでくりゃ後少し!ってよく聞くよね。助産師さんも、
「日が落ちる前には産まれるからねー」
よし頑張ろう!いきむ!休む。いきむ!の繰り返し、気付いたら17時。やっぱりそんな甘くないか...
日勤の助産師さんは、
「今日中には産まれるから頑張ってね」
と言いながら夜勤と交代。本当に?!さっき暗くなる前にはって言ったじゃん!

見かねたのか?日勤の別の助産師さんが、無理矢理破水させてくれた。その瞬間、陣痛MAXへ。
先生がやってきて、促進剤を使う事に。
えっこれ以上痛くなるの?

そんなこんなでいきみを繰り返すが促進剤のレベルは上げられる一方。ついに吐き気きた!ゲロー!...が、食べてないので吐くものなーし!

20時頃。どうやら回旋異常らしい。赤ちゃんの顔が違う方向いてて降りてこれないんだと。帝王切開にしてくれー!と何度も懇願するが、このまま続けると。優しい先生が鬼に見えた...

ついに出た!吸引ぶんべーーん!神に見えた!なんかラッパみたいな形したやつでブィーーンて吸引するのね。それで出てくるかと思ってたら大間違い!少し降りただけなのね...

体勢を変えつつ更に悶え続けると、いきみ感MAXに!助産師さんに伝えると、「降りてきたか!」とモニター見る。
「あと少しだよ!」って。
もうその言葉は信用しませーーん(T-T)

病室へ休みに行った旦那を、母が呼びに行く。旦那ももう、あと少しという言葉は信用していなかったそうだがとりあえず分娩室へ来た。

更にラッパで吸引され、「次波が来たら今までで一番のいきみで」って。
雰囲気的にいよいよ来たかって感じがして、信用し、頑張った!

瞬間、トゥルンって出てきた(。>д<)オギャア!

楽になり、ホーっとしてると、旦那がへその緒を切っている。やっと終わったのか!感動よりも放心だった。

赤ちゃんは拭かれたり計られたり色々されて、私のところへ。かわいい!でも宇宙人!
そして保育器に2時間だけ入るとの事で、私は会陰切開の後を縫われる。ちょっと痛いけど今までの痛みに比べたらヨユー。
が、やたら縫ってる。長い。こんなに時間かかるのか?と思ったけど、初産の私は、みんなそんなもんかぁーと思って大して疑問には思わなかった。40分ぐらい縫ってたかと思う。

そして、既に寝落ちしそうな私はタンカで運ばれ回復室へ。とっても気持ちがいい。生きてきた中で一番気持ち良く眠れたような気がする。

後で聞いたけど、この病室史上一番長い陣痛、分娩時間だったそうな。

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