リスカ・アムカ・ODしてた頃のお話を

したいと思います。

はじめてリスカをしたのは中1の秋くらい

でした。その時まだ病院には行ってなく

不登校になりかけていたときでした。

苦しくてしょうがなくてカミソリを

目にしたとき躊躇なく手首を切りました。

血が流れるのをみたら涙がでてきたことを

覚えています。精神科にかかり鬱と診断

されたあと春になりクラスが変わり

わたしは『またがんばろ』っとおもい

学校にいっていて1年の頃から仲がよかった

友達と学校では過ごしてました。

私立だったのもあって1クラスに女子は

9人か10人で少なかったので

友達は固定なかんじでした。

ひとりの友達にはリスカをしてることを

話してましたし、精神科の通院も

話してました。それが今の親友です。

中2になってリスカすることは増えて

いったんですがその頃V系とジャニーズが

好きでジャニーズは昔から好きだったので

そこで高校生のお友達や同い年の友達が

できリスカは減っていき小学生の頃から

ませててメイクとかしててそれがエスカレート

して学校終わりにはカラコンとつけまを

した俗に言う『ギャル』になってました。

服も109で揃えてて14歳の頃は見た目も

あってか中学生にはみられてなかったです。

そういうこともあり中3になり

死ぬこととか馬鹿らしくなってて

その頃には親からもらってたお金で

遊びまくってたのもあって現実逃避

してました。

高校にはエスカレートで入って

文化祭まで順調で資格や英検も取って

学年で数番だったのにいきなりつらくなって

『学校辞めたい』っとお父さんに言ったのを

覚えてます。そのときおばあちゃんが

通信制だけどスクールにも5日間通うのを

勧めてくれてそこに通うことにしたら

最初は行けなくても徐々に行けるようになり

そこはちゃんと卒業しました。

高校入ってすぐマックでバイトをして

いたので普段リスカをすることは

なかったのですが1回だけしてしまいました。

彼と別れるってときでした。

ODもしました。『別れるなら死ぬ!』

っていうのではなく忘れたいから

してしまいました。それが彼にばれ

追い詰めてしまったと言われ仲直り

したのですが久々に切ったとき

はやくこうしたかったって、

中2から我慢して高3でしてしまいました。

わたしが彼と話してた人はこれから先も

彼と表していく人です。

その彼は来年式を挙げることになってる

旦那様になる方です。

話が戻って高3でした1回を切りにまた終わり

次は大学1年のときです。医療系の学部で

勉強がすごくて自分に異変を感じ

中1の頃にかかってた病院に自分で

予約をいれかかりました。

その時言われたのが『双極性障害』です。

病名はやっぱりなってかんじでした。

薬を飲みはじめても苦しくて

カミソリを探して切りました。

そこから闇が深くなりやめることのできない

ものになっていきました。

シーツは血まみれでリスカだと大学で

みられたら面倒だから腕に変更したり

親友と大学で仲良くなった友達は

全部言ってました。

大学の友達も病みを抱えてる人だったので

話しやすい人がそばにいることは支えでした。

彼とは大学1年で別れ付き合ったり別れたりを

繰り返して最後と決めて付き合いはじめてた頃

が一番酷かったです。留年したので大2の代の

ときに復縁してそのときから大学を

辞めるまでは日常ではなかったけれどODが

やめれなくなってました。

ODして記憶がないのに誰かと話したり

ごはん食べてたって人多いと思うんですけど

わたしは彼に『会いたい』と電話を

したそうです。お母さんと彼は連絡を

取り合ってわたしが家にいることが確認

でき彼は帰ったそうですが終電に

間に合わなかったと言ってたので

本当に申し訳ないなと思っています。

大学をやめたのが2016年の秋でした。

それからは引きこもってリスカを

する毎日でした。

2017年4月にお父さんには内緒で

大学に入るために自分で説明会いって

試験受けたりしてるときは

前向きになれたのですが

いざ、大学にはいったらガイダンスの1日

だけいって半年でやめてしまいました。

毎日行けない自分と戦いお母さん、

おばあちゃん、彼には嘘をつき

それが苦しくてリスカをするODをする

悪循環が生まれました。

そのとき支えだったのが彼が買ってくれてた

ディズニーの年パスでした。

土曜は一緒にディズニーにいき

笑うこと楽しむことを忘れないで

いられました。

2016年は家にいたくて行けない日もありました。

2017年にはいかない日はなくなってました。

その頃な金曜に彼の実家に行き土曜ディズニー

に行き連泊して日曜の夕方帰ってました。

わたしにはその3日間が人として過ごせる

時だったのです。

腕いっぱいに傷をつけ産んでくれたお母さんの

目の前で狂いながら切ったこともあります。

自分が痛い思いをして産んだ娘が

自分で自分に傷をつけるところを

みるなんてほんとにつらかったと思います。

『本当にごめんなさい』

って気持ちで今はいっぱいです。

お父さんに『でていけ、お前なんかいらない、

社会のやくにたたない人間は死ねばいい』

などの暴言を廊下を通るたびに言われ

死ねばいいは直接言われたことないけど

罵声や今後のことを怒鳴り声で言われると

苦しくと切ってました。

彼が『ウエディングドレス着るときに

傷があったらあやちゃん辛いと思うから

一緒にやめよ』

って言われたとき

『わたし結婚するんだった、やめなきゃ』

っとおもいそれからしたくなったら

『約束したんだから結婚するんだから』

っと言い聞かせてます。

破ったことも最初はありましたが

今は傷を消すために手術をうけるために

どうしたらいいかや彼の親の前で隠すための

火傷やタトゥーを隠すコンシーラーを知り

試してみようと思って前向きです。

ただ、その時リスカを辞めるとODが酷くなって

しまってました。病院に運ばれたの2回ですが

運ばれてもおかしくない量を飲んでました。

1回目は精神科のない病院で点滴血液検査

心電図の対処をしてもらいました。

2回目はお父さんにいろいろ言われて

死にたくなってその日もらってきた薬

すべて飲みました。その時薬を多く飲んで

たので2週間分でもすごい量でした。

下に救急車がいるからって言われ

お母さんと部屋を出ようとしたのだけ

覚えていてそのあとの記憶はありません。

緊急入院して胃の洗浄をしてもらったそうです。

起きたら朝の6時とかだったかな

鼻は管に繋がれて尿も繋がれ

身体はバンドで拘束され

手にはミトンがされ腕も拘束。

涙がでました。生きてることの嬉しさと

この無様な姿に。

点滴を交換にきてくれた看護師さんに

管を抜いてもらいそのあとの許可が

おりて身体は自由になりましたが

眠ったり起きたりを繰り返し

夕方親が迎えに来てくれました。

このまま入院にしてほしいと親は

頼んだのですがここは拘束するところ

だから違うところの紹介状を書いてくれる

ことになりその日は帰りました。

お父さんとちゃんと話をしたのはその日が

何年ぶりかで嬉しかったのを覚えてます。

そのままお寿司を食べにいって幸せだな

って家族だなって思えた日でした。

わたしはその日ODをしてよかったとまで

思ってました。お父さんと話せたこと

お父さんがわたしを理解してくれたこと

それが嬉しかった。

その後デイケアに通うことをかかってる先生に

勧められたけど老人が多く友達には

慣れないと思ってしまい通いませんでした。

そこから大量に飲むことはなくても

度数の高いお酒でプチをしたりしてました。

あるとき全然効かないことに気づき

自然とする回数が減りやめれました。

今でもしたくなります。

でもしたいのは癖でしたいだけで

そこに『死にたい』という気持ちは

ないのです。

今までずっと口癖のように

『死にたい、死にたい、消えたい、

もうやだ、死にたい』と言っていたのに

今は『生きたい』です。

彼はいつも『一緒に頑張ろ』

って言ってくれました。

『わたしは1人じゃないから大丈夫』

と言い聞かせのようにしていた時も

あります。

誰かに助けを求めなければリスカもODも

麻薬でやめれません。

強い意志でも負けてしまう。

『死にたい』と思ったら負けてしまう。

わたしは就職しましたが2週間

持ちませんでした。1日休んだらクビでした。

そのあとのバイトは2日いったら次の日から

行けなくなりました。

『できることとできないこと』

『できない日とできる日』

があることをわかって病気を受け入れよう

と彼に言われて病院に通いながら

今は過食で激太りした身体のためにも

毎日ジムに通ってます。

それが今のわたしの日課です。

そのことはまた違うときにおはなしします。




通信制の高校は教えて欲しい方が

居ましたらお教えできます。



リスカやOD悩んでる方沢山いると思います。

リスカは一生の残り、ODは死ぬことも

あります。なんて理解のないようなことは

いいません。

ただ辞めることはできると思って欲しいです。

あとわたしはピアスも自傷行為と言われるほど

あいてました。両耳で27、舌ピ1、口ピ1。

ピアッシングの人もいると思います。

わたしは1年前くらいにジムの体験で

取らなきゃで舌ピ以外全部取ったときに

もういいやと思いやめました。

舌ピは半年前くらいに彼のためにとりました。

誰かのために生きるのもいいなって

今は思ってます。

またブログ更新します(^^)

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。