ダイヤオレンジ自分の人生において『結婚』を望むのであれば、この人を逃したらもうチャンス無いだろうな、、!
と本能が言いましたので、昨年の1月に出逢った人と、早々に結婚することにしました。
付き合ったらいずれ結婚するだろうな、と思ったので迷うこともなく。出逢って2ヶ月くらいかなぁ。
私の本能に巻き込まれてくれた旦那さん、ありがとう。


ダイヤグリーンほどなくして有難いことに、赤ちゃんができました。
なんとなく妊娠している気がしたので、検査薬で確証を得るまでがチャンスとばかりに、お酒を嗜みました。
検査薬を使ってみたら待つこともなく、みるみるうちに陽性ラインが出て、思わず笑ってしまったことを覚えています。
年齢を考えると、ほんとに運が良くありがたいなぁと思います。

友人が出産した産婦人科が近くにあったので受診し、先生に分娩予約をしますか?と聞かれ、流れ的に『はい』と言い、その瞬間に東京での出産が決まりました。
6月下旬くらいです。


ダイヤオレンジ7月に入って心拍確認が出来たので母子手帳を貰いに区役所へ行き、膨大な資料を封筒いっぱいに貰って大事になってきたな~と思いながら、とりあえずファイリングをして棚にしまいこみ、心を落ち着かせました。
そしてシューズを履くようになりました。

ラッキーなことにこれといった悪阻もなく、でもきっぱりノンアルコールに切り替え、ダンスレッスンも自重し、自宅でのストレッチと筋トレにしました。

ノンアルコールは大体飲みましたが、アサヒドライゼロの冷えた瓶が1番好みです。
缶だとチューハイかな。

味の無い水やお茶が飲みづらくてジュースやカルピスばかり飲んだり、疲れると電車酔いをするくらいで元気な妊娠初期でした。
あ、でも夜は凄く眠く、ご飯とお風呂以外はずっと寝ていました。



ダイヤグリーン平行して引っ越しと結婚式の準備を進めました。

当時は階段のみ建物の4階に住んでいまして、まぁどうにかなるかなぁとノンビリしていましたら、ある日旦那さんが仕事から帰ってくるなり家のドアを開けて開口一番、ただいま、もなく『引っ越しをしよう!』と言いましたので、引っ越しすることにしました。
引っ越した先の隣のマンションには大学時代の友人が住んでいる、というミラクル付きです。

結婚式は親族のみで行いました。
特に何をするでもない式にしましたが、白無垢と綿帽子を着て三三九度ができて。親戚の皆さんが楽しそうで嬉しかったです。
ウェディングドレスは舞台衣装で着たことがあったので、白無垢が着てみたかったんですね、私。

明治神宮であげたのですが、ちょうど11月の観光シーズンで、観光客の方が式殿までの花嫁行列みたいな道のりをびっしりと囲っていて、写真も凄い勢いで撮られて、インスタで世界デビューしたかもしれない、とインスタ登録をしてハッシュタグ検索をしてみましたが、特に見当たらず、世界デビューはお預けになりました。



ダイヤオレンジ9月には、結果的に出産前最後となる撮影がありました。
産後復帰はどんな作品になるのか楽しみでもあります。
出産を経てなんか成長しているという噂がなきにしもあらず、です。


ダイヤグリーン10月中旬くらいから少しずつお腹が出始めて、マタニティ服を着るようになりました。
言わなきゃ分からない程度でしたが、ゆるめの服を持っていなかったのと、メタボスタイルでの着こなし(腰ばきをして、上にお腹の肉を乗せるスタイル)が限界に近くなってきていました。
お義母さんと水天宮に安産祈願にも行きました。
正直に言えば、こんなもんかぁという感じでした笑

この頃から、湯船でタオルに空気を入れて風船みたいにして、お湯の中に引き入れてそこから空気をポコッと出すのを楽しむ、みたいな遊びが自発的に体内で行われ始めました。
胎動ってやつですね。
そして検診で性別も分かりました。見間違えるなんてことはなくハッキリと男の子でした。



ダイヤオレンジ11月下旬にはバイト先の後任者が異動してきて、怒濤の引き継ぎが始まりました。
あんなにデスクワークを頑張ったのは、社員を辞める前に後任者2人に引き継ぎをした時以来です。
引き継がれる方は大変だったと思いますが、引き継ぎ、となると頑張る癖が、私にはあるようです。
このくらいにやっと重い腰をあげて、徐々に妊娠したことを公表し始めました。

お腹も目立ち始めて、電車で席を譲られたり、外食では店員さんに生物が大丈夫か聞かれるようになりました。
ある日いきなり階段の登り降りがつらくなって、呼吸困難かと思うくらい息切れするようになり、凄くびっくりしたことを覚えています。



ダイヤグリーンなんとか引き継ぎを終え、年内で産休に入りました。
色々な人に送別や餞別をしてもらって、うひゃーとか思いながらも、最終出勤日は感慨にひたることもなくアッサリ退社しました。
片道二時間弱の通勤も、やっと一息です。

とはいえ年末年始。
今度はお家のお仕事。掃除やら実家への挨拶やら忘年会や新年会であっという間に日々が過ぎ、
1月中旬からやっと、ほんとに何もしていなかった出産準備を始めました。
必要リストと現金を握りしめ、大手赤ちゃん用品店で店員さんもびっくりするくらいの大量買い物をしました。
それを2回くらいしてやっと、必要最低限のものが揃い、これでいつ産まれても大丈夫と一安心したのと、何事もなく無事に産まれてきてほしいという不安みたいなもの?が混ざるようになりました。
お腹はどんどんどんと、大きくなっていきました。


ダイヤオレンジそしていよいよデスクワークによる足のむくみと、お菓子の大量摂取による体重増加と向き合い始めました。
時は、すでに妊娠前から14キロ増。まぁアウトですね。
ですので産休に入ってから気をつけて、結局、休みに入ってからは体重を増やすことなく過ごしました。
えー、運動と糖分です、ポイントは。



ダイヤグリーンという事でやっと、ノンビリした日々、です。

まぁ他にも旦那さんがヘルニアで手術したり、とか、私自身は懲りずにワークショップに行ったりと、周りが心配するくらいの日々でしたが、よくも悪くも環境に馴染みやすい性格らしく、私としてはあまり大変だったなぁという印象はなかった日々です。

二度寝したり、適当な昼御飯を食べたり、ほんとに沢山の友人と会ったり、映画館に徒歩で通ったり、私のバイブル浅田次郎を読んだり、マタニティヨガをしてみたり、セルフでマタニティフォトを撮ったり、たまごクラブを買ってみたり、英語の勉強をし直したり。あと保育園見学にも行ったな。自由気ままの集大成みたいな時間を過ごしました。
こんなにゆったりした日々を過ごせるのは、あと20年後ぐらいだと思うほどです。
55歳かぁ。

ベイビー本人はというと、たくさんの友人や仲間や職場の人達にお腹を撫でくり回して貰って、すくすくと元気に育っていました。日に日に胎動が強くなり、油断するとおぉっ、となるほどのキック力です。
ただ彼が反応するのは女性が触った時が、ほぼです。
産まれる前から正直者な子です。


ダイヤオレンジ最後の最後、予定日2週前に高血圧になり、検査結果次第では早く産むことになりそうでした。
予定日よりも10日前の4日AM3時くらいから、規則的なお腹の痛みが。
これはきてるな、と思い用意していた入院グッズを仕上げました。
間隔を図りながら8時まで様子を見て、痛みと格闘。
そして10分間隔になり病院へ電話し入院することになりました。
いよいよ、です。

入院したら安心したのか陣痛間隔が広くなってしまうも、一晩中、規則的な陣痛と格闘するのが地味につらく。
ウトウトしては起きるを繰り返して、朝、です。
5日の朝の検査結果で、促進剤を打つことになりました。

促進剤を打ってからは寄せては返す陣痛に翻弄され、いつ終わるのか果てが見えない~と途方にくれて、実際に、いつ終わるの~とか言ってました。

いきみ始めてからは楽になって、
陣痛のピークといきみのピークのリズムを合わせる、という得意の感覚値の領域へ。
最後は力を抜くと、赤ちゃんが自力で滑り出てきました。
最後までいきむのかと思っていた私は、急に、力抜いて~いきまないで深呼吸して~と言われて、頭が???になっていました。
ほどなくして産声が聞こえました。


ダイヤグリーン産まれたばかりの赤ちゃんを胸に抱いて、ほんとに人間が入ってた~と思いながらもヘロヘロで意識朦朧。

促進剤を打ってからはほぼずっと目をつむっていたので、裸眼平均0,05の両目で久しぶりに見た世界は、なぜかはっきりと見えたような、でもぼんやりしていたような、そんな気がします。
立ち会ってくれた旦那さんや、母親、お義母さんがいなければ、途中でくじけそうになるくらいでした。

促進剤を打ってから5時間。
予定日より9日早く、男の子を出産しました。
早い方らしいですが、私にはとても長く感じた時間でした。


ダイヤオレンジそしてその夜から、母子同室の生活。
ヘロヘロな身体で、お世話をしたり母乳をあげたり、夜泣きの洗礼を受けたり。

3日くらい経つとお互いに少しずつコミュニケーションが取れるようになりました。
日進月歩です。

助産師さんが個人個人に、丁寧にアドバイスや面倒を見てくれて、この病院じゃなかったら母乳も諦めていたかもしれないし、もっと子育てに途方にくれていたかもしれないなぁと思います。
そのくらい、都倉さんの場合は~、を教えてくれました。
また、家族や友人も遊びにきてくれて。なんだか楽しい入院生活でした。

そして退院日の朝、子供を抱えて病室から入り口への廊下を歩いている途中に、いきなり感極まって涙が溢れてきました。
自分でもビックリ。
入院中は別世界感があって。
でも今から退院して、外の世界での生活が始まるんだなぁ、と実感したのかもしれません。
産院から家まで、涙ぐみながら赤ちゃんを抱っこして歩きました。

自宅に帰って来て、夜は母と妹達と我が家で夜ご飯。
とっても楽しい一時でした。

 
ダイヤグリーンこれから、どんな毎日が待っているのでしょう。
既に色んなことで一喜一憂して。
1日があっという間に過ぎ、夜中は毎晩、冒険です。
これからもちょっとしたことに一喜一憂しながら、毎日が過ぎ去っていくのだろうなぁと思います。
だから日々楽しみながら、今を大切に過ごして行きたいなぁ、と思う今日この頃です。
(長かった、今に到達するまで。)