今日読んだ文章によると、

私たちの学び方には、大きく分けて二種類ある。

 

知識を蓄えるという学び方と、

知識と出会うという学び方。

 

前者は、自分自身はそのままにしておいて、知識を積み重ねること。

 

後者は、モノを深く考えたり、それによって自分を見つめていくことで、

それによって、今までの古い皮を脱ぎ捨てて、新しい人間に変わっていくこと。

 

学生時代の学びは、前者の学びであったと思う。

 

しかし、大人になった今の学びは、

終わりのない過程で、その成果は変わり続けることでしか示されない。

 

知識を「知っている」だけでは、何も変わりはしない。

 

知識に具体的な行動が伴って「やっている」ことが、変わるためには不可欠で、

それが「できている」状態になって初めて、知識が自分のものになったと言える。

 

勇気が必要になることもあるけれど、

学ぶことで、常に幸せをアップデートし、最新の自分でいたいと思う。

 

 

参考 大乗刊行会 ブディストマガジン 大乗 PR版 11月号

 

 

 

 

きもちは

真空パックして とっておけない

 

すごくしあわせなきもちを

つらいときのために とっておくとか

かなしみを和らげるために 

よろこびをしまっておくことは

できないんだ

 

だから 

きもちはわいてきたそのときに

ぜんぶしっかり あじわいつくそう

 

ぜんぶしっかりあじわいつくしたという経験は

心にいつまでものこって

輝きつづけるから

 

ずうっずっと

たからものだから

 

その昔

たった一粒の種をまいたのは、

わたしでした。

 

その種は芽を出し、

美味しい実はできなかったけれど、

美しい葉っぱを

たくさんつけました。

 

2013年7月

 

○ ● 〇 ● ○ ● 〇 ●○ ● 〇 ●○ ● 〇 ●○ ● 〇 ●

 

まかれた種のいくつかは、

長い間の眠りにつきました。

 

穏やかに優しく心地よい、春のような眠り。

 

時が熟し、いつしか私の中で核となり、

呼び覚まされて放たれる時は今。

 

私は輝き、愛され、その輪は永遠に広がっていきます。