人は誰かのお役に立ちたい。
誰かからの好意を受け取らないということは
相手の機会を奪うこと
相手からの好意を否定すること
て教えてもらったことをふと思い出した。
年々認知力が落ちている母
昔は私たち兄妹に対してとても厳しい人だった。
大人になってから近所のおばちゃんに聞いたけれど、井戸端会議をしていても時間になったらさっさと引き上げて、家のことに集中していたそう。
「本当にきっちりしてる人だったよ。私たちにはあぁはできんかったわ〜」
それを聞いた時にショックを受けたのを覚えている。
近所の友達からも有名なくらい厳しい母。
全ては子供達のためで、厳しい分、自分自身を律していたのだ。
最近の母は瞬間忘れてしまう。
父と二人暮らしなのに、
毎日のように買い物に行き、
日によっては朝晩買い物に行くそう。
実家の大型冷蔵庫ともう一つ一人暮らし用の小型冷蔵庫があるのだが、それらの中はいつも物に溢れている。
賞味期限が切れたもの、
いつぞやかに作ったのであろうおかずの残り、
仕込み中のもの
同じ種類の野菜や
さまざま。。
どう考えても2人分ではない。
電車に乗れば降車駅の改札で切符がないことに気づきカバンの中を大捜索を繰り返す。
今日話した話は翌日には忘れてしまっていることも多い。
出かけるはずもない日に新幹線の駅で待っているメールが届くこともある。
ごめんね、とできなくなったことに対して謝る母。
「いろんなことができなくなって。。」
「お母さんあかんね〜。すぐ忘れちゃう」
「ごめんね〜。お母さん何もできないから」
わざとではないことはわかっているけれど、
なかったことのようになっている母に対してつい感情が出てしまうこともある。
謝ってほしいわけでもない。
母ができなくなることが増えてるし、覚えることが難しくなってるの、そんなんわかってる。
そんな自分をあかんあかんって言わなくていいのに。。
ただ元気でいてくれたらいいだけなのに。
甥っ子が昨年秋に生まれて、兄が毎日のように可愛らしい写真をグループLINE送ってくれる。
「頑張ってる姿は楽しいね」
「今日も頑張ってるね」
「頑張ってみてあげて」
とコメントする母の「頑張る」がいつも気になる。
頑張らなくてもいいし、頑張らなくても見るだけで楽しいのに。。
あれ?
母はずっと頑張っているのか。。。
ずっと頑張ってないといけないと思っているのか。。。?
冷蔵庫の中の状態は母の心の状態?
私たち兄妹が学生になって、母が働き始めた。
育ち盛りでよく食べる私たち。
どんなに忙しくても、お弁当をつくってくれていたし、ちゃんと家でもご飯をつくってくれていた。
そこが繋がるかはわからないけれど、
頑張って何かをやらないといけない、でも頑張れなくて混沌としている母の心の中を、冷蔵庫をみた時にのぞいたような気持ちになった。
ごちゃごちゃ、なんだなぁ〜。。。
「そんなふうにあかんって言わなくていいのに」
「大丈夫だよ、気にしなくて」
一瞬イラっとすることはあってもそれぶつけないように常々伝えている。
でも母にとってはそんな言葉が欲しいわけではなかったのかもしれない。
実家に帰った時、
朝ごはんを特にパンは食べなくなったことを何度も伝えているのに、起きてみるといつでもパンが温められる状態に準備されていたり。
洗濯物は自分で洗うと言っているのに気づいたら洗ってくれていたり。
お寿司があるのにご飯を炊いて出してくれたり。
自宅へ帰る時、雨の日でも傘をさして、私の車が見えなくなるまで見送ってくれたり。
そこまでしなくていいよ。大丈夫だよ。
て
母を気遣って言っている言葉も、
そんなん母にはどうでもよくて。
自分は何もできなくなったと思っている母にとって、
瞬間に忘れる母にとって、
今、この瞬間、
ありがとう。
て。
母が当たり前にやってくれたことに対して
ただ私が素直に受け取ることが
喜びになるのかもしれない。
先日、聴講の時に突然母が自宅へやってきた。
「今日ゴミ捨て場のお掃除当番だと思って」
と。
お願いしたのは数ヶ月前の話。
仕事でどうしてもお掃除できなくてお願いしたのだ。
「なんか今日だと思っちゃって。。
ごめんね。迷惑かけちゃった」
申し訳なさそうに帰る母。
聴講中だったのでその時には何も言えなかったけれど。
「ありがとう。
私が仕事でできないと思ってきてくれたんだよね?すごく嬉しかったよ。
お茶も出せなくてごめんね。」
母の喜ぶ返信に私も心がじんわりと温かくなる。
忘れてしまってもいい、
私がその時その時に。
やってくれたことに対して
ありがとう。
て伝え続けたらいい。
今、直接、
ありがとう。
て言えることが、決して当たり前でないこと。
そのありがとうによって、
母が笑ってくれたら。
それだけで十分私は嬉しいんだなぁ。。。
いつもたくさんの愛を
ありがとうね。