この1週間、何だか贅沢な時間を過ごしている気がしている。
今まで何者かになろうとして、いつなるかもわからない、理想の未来を思い描いていた。
それがまさに左脳が言っていた理想だったと気づく。
なりたい未来は、
もっと成長してもっと稼げるようになって、
経済的に豊かになって、
両親を旅行に連れていって、
お金で選択できないとかではなく、やりたいことを何でも選択できるとか、
将来のお金の不安を解消したいとか、
旅行をしまくるとか、
漠然とそんなものだった。
それって本当にやりたいことなの?
今思えば1年ほど前から少しずつ感じてはいたんだろな。。
心の違和感。
もやっと胸に残る感覚を持ち続けていた。
好きな作家さんがいて、
『もし明日死ぬとしたら何をする?』
『もし明日死ぬとしたら今やっていることをやる?』
『何をやり残したら後悔するんだろう?』
『あの世にお金は持っていけないんだよ。』
そんなことを何度も何度も伝えてくれていた。
明日は極端だったとしても、
あと半年、て思ったら。。?
・家族と過ごす時間を増やして、家族の思いに触れる。今の私は両親との時間。
うんうん、これは外せない。
・丁寧な生活ができる心の余裕
丁寧な生活って??
ご飯が美味しいとか、
家の掃除をしてスッキリとか、
この手触り探してた!とか
空の青を見て美しいと感じるとか、
音楽を聞いてこれ音の響きが好きだなぁとか
友達の時間に集中して心を寄せて過ごすこと
とか。。
頑張ってお料理を!とか端から端までお掃除完璧に!てことではなく、
何か特別な何かをすることではなくて、
日々の生活の中で五感をしっかりと味わっている生活が丁寧な生活なのかなと最近思う。
シンプルにやりたいことってこういうことなのかもしれない。
じゃあ、
それって何者かにならないとできないこと?
急に左脳で考えていた理想の未来が若干どうでも良くなった。そりゃ経済が豊かである方がいいのかもしれないけれど。
そのきっかけは先日の出来事だった。
実家に帰った時、79歳の父に呼ばれた。
「ボケ防止のためにこれを始めたんだ」と合唱団のチラシを見せてくれた。
年末にみんなで第九を歌うそうで合唱団に入ったとのこと。
今まで自分の趣味だったりそんなことを私に言うことなんてなかった父が。
照れくさそうに教えてくれたのだ。
「すごいじゃん、父さん✨めっちゃいいじゃん!
応援するよ〜!!」
素直にそう思えて。
嬉しくて応援したくて。。
心の奥からじわじわ溢れてくる感覚。
(↑この溢れてくる感覚を言葉にできるように学び中笑)
あぁ。。
私は大事な人を全力で応援できる自分でいたいんだなぁ。。
何者かにならなくてもそれってできるじゃん。
スッと自分の中に入ってきた。
時間に追われて何者かになろうとして頑張って。
ゼロか100しか選べないから、自分の感情抑えて理性を働かせて全力で走る
でもその日々は、両親との時間も友人との時間もすごく忙しなくて。
どこか心あらずで、会話の内容を覚えていなかったり見逃していたりすることも多くて、何だか充実感がなかった。
気づいた今、また自分の感情抑えて行動していたことに気づく。
左脳で考えた未来を横に置いたら、
この1週間急に生活に色がついてきた。
最近作った塩麹やしょう油麹や玉ねぎ麹、これを肉につけてみたくなったり、
しょう油麹にするとしょう油に甘みが出て深くなることに気づいたり。
昔専門店で何度も試飲して選んで買っていたくらい緑茶が好きで。冷蔵庫に眠っていたお茶を水出ししてみる。
水出しするとお茶の色は褪せないことを発見。
お茶の深い香りが鼻を通って、奥に甘みがやってくる感覚。
これが好きでお茶を買っていたよなぁ。。
こんな時間が好きだなぁ。。
目の前の友だちの話をもっと知りたいし共感したい。て感じて話に耳を傾けている自分に気づいたり。
ちょっとしたことがとっても嬉しくて尊くて。。
何者かにならなくても。
今の自分で。
十分な贅沢を感じることがあって。
楽しめることって日々の中にあったんだなぁ。。
その楽しんでいる自分を、集めてくるだけなんだなぁ。。
こーんなすぐそこに、あったんだな。。。