ひとにぎりの星の下で

ひとにぎりの星の下で

空の神秘について、ひと一倍興味があるのに、天体のことを何一つわかっていない。でも、夜空の星を見上げるときはわくわくする。地上のみんなに幸せが降り注ぎますように。
短編小説とエッセイを、載せていきます。

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私は銭湯フェチである。

以前、ブログに「現実と銭湯」という出来事も書いた。

この日も、ジョギング後の汗を流すために、まだ外が明るいなか銭湯へ向かった。

都会の真ん中のきれいな銭湯で、大理石の床だけ見ても、まるで温泉のようである。

湯船の奥には、ステンレスの手すりに区切られた、バブルジェットのスペースが3つあり、勢いよく泡を吹き出していた。

掛け湯をして、湯につかろうとヘリをまたいだ時に、奥のバブルジェットのど真ん中に、白くてでかい若者がいた。

強烈な存在感で、明らかに手すりから肉がはみ出しているようだった。
背中に当たった水流は左右の肩から盛り上がり、上は頭を越し、太ってはいるが、差し詰め後ろにモワモワを伴った観音さまのようにさえ思えた。

その瞬間から、彼を「相撲取り」と名付けることにした。よく見ると顔も、ざんぎり頭の逸ノ城に似ていた。

その後、再度湯船に入ったところ、また相撲取りと鉢合わせた。まさに相撲取りばりの「もそ~」とした動きが憎めない。

また、湯船の中の腰掛の段のろころに行きたかったのであろう。
私ともう一人のおじさんの間をまっすぐ突っ切れば、目的は達成できただろうに、おじさん側の脇を「もそ~」のままぐるっと遠回りをして腰掛に座った。おそらく気を遣ったつもりなのだ。

相撲取りはゆるりと動き出して、また、バブルジェットに向かった。

肩を半分出したくらいの中腰をキープして、そのままスーっと進む様は「ゴジラ」を彷彿させた。

それから、私の中で、彼は「ゴジラ」になった。

のぼせ気味で、脱衣所に向かうと、来たばかりのおっさんが私のロッカーの真上に荷物を入れ出していた。

ジャケットを着ているおっさんの後ろからの背中は、パンパンで貼っていて、真ん中の縫い目からはち切れそうだった。
背中の真ん中がパクッと空いて、サナギのセミが脱皮するように、正真正銘の成虫のおっさんが出てきそうな勢いで、ぞっとした。

そして、裸になったおっさんのお腹は、見事なモチモチ感で、恵比寿様のようだった。

「こりゃ横綱だ」

横綱は、貫禄いっぱいで浴場に入っていって、豪快に水をかけているのが、ガラス越しに見えた。

その間にゴジラは着替えを終え、目の位置を一定に保ったまま前方ムーンウォークで、のれんをくぐって出て行った。

一人脱衣所に残った私を写した全身鏡には、大関クラスのお腹があった。












深夜残業の夜食にと、同僚の女性が、りんごを置いて帰っていった。
会議用の広いデスクの真ん中に、素っ気なく置かれた5個のりんご。

そもそも、自分も含めて、日々都会の生活の中でりんごというのはどういう買われ方と食べられ方しているのだろうか?
食後のデザート、来客時の茶菓子のかわり、お菓子やサラダの材料、ジュース。
しかし、りんご1個が強烈な存在感を主張して求められる時代は昔のお話。
すこし高級なスーパーや青果屋さんではブランドものを1個売りしているが、りんご1個だけを求めて店に入るお客がいるのだろうか? 
そして、食べるときは、おそらく、ナイフで皮をむくであろう。
変色しないように、かるく、塩水につけるかもしれない。他の果物と彩りを考えて盛りつけをするために。
思えば、テーブルにはそんな風に出されているのが普通であろう。まるまる1個、「はいっ」と出される機会はそうそうない。


アメリカ北西部の片田舎に滞在していた頃があった。
おつき合いもあり、近くのゴルフコースによく連れて行かれた。
正直ゴルフは好きではない。
1番ホールでティーショットを打ったその瞬間から、終わったときにクラブハウスで食べるステーキサンドが頭に浮かぶくらいなので、上達するはずがない。
ここアメリカでは、ゴルフは特別なスポーツではない。
パブリックなゴルフコースは3.5ドルでハーフが回れたりする。子供も多い。たまに一緒に回っては、我々のあまりの下手さ加減にに始終ばかにされていた。
この国から、タイガーウッズのような天才プレーヤーが生まれているという事実には納得が出来る。

そんなコースの中に、ティーショットを打つ高台からフェアウェイをまっすぐに見たど真ん中に、りんごの木がある、パー4のホールがあった。
はじめはりんごの木だとは気がつかなかったが、夏から秋にかかった頃に、小さめで、つやのある実をつける。
誰にことわる事もなく、みんな木からりんご取って、そのままかじりながらプレーを続けていた。
まねしてやってみた。
酸味のある素朴な味だった。
ゴルフは苦痛だったが、そんなのんびりとした時間と風景は好きだった。


洒落た持てなしもなく、ごろりと、出されたりんごをみて、可笑しくなりそんな事を思い出した。
うっすらと外が明るくなり始めたころ帰り支度をし、1つ手に取り、エレベータホールに向かった。ビルのエントランスを出たとき、手でキュッと、一拭きし一口かじって、手を挙げてタクシーを止めた。
飲み明かした若者や外人であふれる夜明け前の街をガラス越しに眺め、かじりかけのりんごに視線を移した。運転手がルームミラーから不思議そうな視線をちらつかせていた。

この時間のこの瞬間、りんご一個を片手に持っているのは、世界中で自分ひとりだけかもしれないと思いながら、もう一口、かじった。
人生ゲーム

                                向島けい
    1 



助手席で綾子が吐き捨てるように言った。

「ちょっとぉ、エアコンつけてる?」

団扇代わりに帽子をパタバタさせながら、ウィンドウを全開にした。

「開けんなよ。つけてるんだからさぁ」

暑いはずだ。もうかれこれ一時間、渋滞にハマっている。


7月の強い日差しは、片側2車線の国道16号線のアスファルトを、容赦なく、照射し、熱気がそのまま動く気配のない車内に上がってきている。

この日のデートのために、綾子の実家の自家用車を借りた。10年以上も前の大衆車である。エアコンがイカれていても不思議ではない。
さいたま西部の市街地に彼女の実家がある。そこを出てすぐに16号線にはいり横浜方面へ向かっている。

綾子とは大学生の頃から付き合い始めて6年になる。短大だった彼女に2年遅れて、僕は社会人になった。
お互い学生だった頃は、毎日のように会っていた。それが、彼女が大手保険会社の事務職に就職してからは週末だけになった。
その後、綾子は会社をやめ、一人暮らしを始めた。役者を目指して劇団に入るためだった。ちょうど1年前のことである。そして、それからは月に一度、会うか会わないかの状態が続いていた。

「なんで、16号なの?」
「このまま南で横浜じゃん。ほかにはないだろ」
「関越で首都高経由の方が速かったんじゃないの」

一瞬、胸の奥が乱れた。なぜ、そんなルートを知っているだ。綾子は車にうとい。これまで、数えるほどかドライブをしたことはない。首都高という発想が彼女から出るはずがない。
僕は、口からでかかっていた疑問を飲み込み綾子を見た。
助手席の窓越しに、路肩に止まっているオープンカーが見えた。若い4人の男女が乗っていた。後部座席の2人は、立ち上がっていた。

「なんか、人生ゲームみたいだな。あの車」
「本当だ、オープンカーは2シートだよね。やっぱり」
ケタケタと笑って綾子は言った。

胸が、また、騒ぎだした。

「いつか、オープンカー買いたいな。外車の」
「馬鹿じゃない。最近の若ものは堅実だから、そんなことにはお金を使わないのよ」

(おまえを狙っている男は自由になる車を持っているんじゃないのか)

僕の胸のざわめきが、そう訴えていた。

「あのさ、哲也。」
人生ゲームの車を見たまま綾子が、改まったように言った。
「ん?」
「今月、家賃代貸してくんないかな。」
「えー。バイトはどうしたの?」
「今度の芝居の練習があってさ、あんまり出られなかったんだよね」
「マジかよ、ありえないだろ」
「おねがい」

横浜の海の上の雲は、すでに、茜色にそまっていた。








    2



綾子は劇団の舞台で、少しずつ役をもらえるようになっていた。
それにつれて、練習の拘束時間も増えていた。

「あのさ、今バイト割りに会わないからさ、夜キャバクラやろうかと思ってんだけど」

と突然言われた時は、さすがに、驚いた。

あの横浜ドライブ以来度々、綾子はお金を無心してきた。
短大のときの友達とヨーロッパ旅行、保険がきかない歯の治療、自前で芝居の衣装を買わなければいけない、などなど。
理由は様々だが、その都度、僕は少なくない金額を渡していた。
そんな矢先の彼女の発言だった。

「そんなにお金が必要なら、実家に帰ればいいだろ」
「わかった、そうする」

あっさり即答されて、拍子を抜かされた。

綾子は実家近くの主要駅の繁華街にあるキャバクラで働きだした。それからというもの、僕たちのデートの場所はそのキャバクラになった。

「おまえはオレのこと、商売の道具としか考えてないだろ!」
「私のこと大切に思うんだったら、助けてくれたっていいでしょ」

この会話を最後に、お互いの連絡は止まった。






    3



夢を見るようになったのは、半年もしてからだろうか。
学生時代、つきあい始めて間もない頃の夢だ。喧嘩や言い合いは、数え上げたらきりがない。
それでも、楽しいことや嬉しいこともいっぱいあった。綾子の笑顔や怒った顔はいつでも思い出すことはできる。
しかし、夢に出てくる彼女は、毎回、淋しそうに俯いていた。

深夜、また、その夢に起こされた。
僕は、自転車置き場の奥でホコリをかぶっているオートバイを引っ張りだした。学生時代に乗っていたものだ。
セルボタンを押した。力ない音でエンジンは始動を拒んだ。キックペダルを出して、ステップから立ち上がって、大きく足を振り下ろした。7回目で、マフラーから白い煙をモクモクと出しながら、僕のオートバイは目を覚ました。
夏の夜のじっとりとした空気の中、環状8号線を北に上り、新青梅街道を西に向かって走った。
600cc単気筒の音は郊外の夜にとっては爆音だ。幹線道路から細い道に入る手前でエンジンを止め、そのまま惰性で彼女の家の前まで行った。
暗闇の中、2階の彼女の部屋だけが静かに光っていた。約束どおり、小石をひとつ拾い、窓に向かって投げた。 学生時代と同じように。

窓の奥の影がはっきりと現れた。
長身の若い男のシルエットが周りを見渡した。

僕はとっさにエンジンをかけ、静まりかえる住宅街の中を走り去っていた。



     4



メールの着信音が鳴った。 綾子からだった。

『舞台、観に来てください』

添付されていたチラシの画像には『R15指定』の文字があった。
着物の裾をはだけて妖艶に横たわっている女性が綾子ではなかったことに、なぜか、ほっとした。

小さな劇場は満員御礼状態だった。観客席の一番後ろにパイプの補助いすを出してもらった。
休憩を挟んだ後半、三角巾をかぶった割烹着姿の女中役で綾子が出てきた。
セットの階段を降りてきた彼女は、舞台中央の後方から橙色のライトを照らしたスクリーンの中に入っていった。
スクリーンには綾子の影が大きく写っていた。
影は衣服を一枚、また一枚とゆっくり脱いでいった。
そして、横からの乳房から乳首先端までのラインのシルエットが、両側ともくっきりと映し出された。
それと同時に男優が、スクリーンに入って、二つの影は混ざりあってゆらゆらと動き出した。

かつて16号線でざわつき始めた胸の中は、オートバイを走らせた夜に整理したはずなのに。今再び、暴風雨となって暴れまくっている。

そのまま僕は、舞台袖近くの出口から、そっと、外にでた。





    5



繁華街の中をどれだけ歩いたのか、わからない。
熱いものがこみ上げてきて、車のヘッドライトや信号が、カラフルな提灯のように膨らんでゆらゆらしていた。
横断歩道の信号は青変わった。渡る理由も気力もなく立ちすくんで、『誰か助けて』と、音を立てて崩壊し続けている胸の奥で叫んでいた。

右側から外車が、派手にタイヤを鳴らして歩道前で止まった。まぶしいくらいのイエローのロータス・エリーゼ ロードスターだった。

「いつまで落ち込んでんのよ」

さっきまで、舞台の上から聞こえていた声がした。

「さっさと乗りなさいよ。」

「綾子…」
「あんたの車よ。 わけわかんない、もう。
 なんでエアコンないのよ、この車! ハンドル重いし」

右側に回って、僕は助手席に座った。
綾子は信号青をフライング気味に発進させた。

「この前、夜。うちに来たでしょ」
「なんで...」
「うちのイヌが尻尾ふって吠えるのよ、いまだに。あんたのバイクの音がすると」
「いや、なんで、男が」
「勇太よ、わかんなかったの? 弟!」
「えっ?あんなに小さかったのに」
「もう、中3よ。部屋交代したの」

大橋ジャンクションから首都高に入り、綾子は車を加速させた。声が自然に大きくなった。

「4人乗りだからね。文句いわないでよ。だから、子供は2人までだからね!」

ロータス・エリーゼは首都高を羽田方面へのレーンを走行していた。
さっきとは別の涙があふれてきて、風で目尻の横に伝った。

「どこに向かってんだよ」

「さあね、何個かふりだしに戻ったけど
  …
 今は、ゴールかな。」

前方に、滑走路のランプが見えてきた。

(了)

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