地球人になったオムネク② 我々に神の優しさが戻る時彼らは姿を現す | ココのアセンション日記

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アセンションとは本当の自分に目醒めること。集合意識・地球全体が次元上昇すること。目に見える世界と見えない世界の統合をしながら私たちは5次元に次元上昇します。


②我々に神の優しさが戻る時彼らは姿を現す 

投稿者 zeranium 日付 2012年9月15日 
 ※画像を入れています。

 私が「ナナカマド」について研究を始めたのは、2000年の6月からでした。
 ナナカマドの実は初夏である6月に結実するのですが、翌年の2月まで実に保たれるソルビン酸という保存成分のおかげで、みずみずしく木に実っています。そして冬の終わりに鳥たちはその実を食べて命をつなぎます。ですから豪雪で雪解けが遅くなる年には、初夏からの実りが違うのです。つまり今年のようにナナカマドの実が豊作ならば、その冬は豪雪となることが分かってきたのです。



 2001年1月から2月まで、私は札幌のランドマークである手稲山で観察を続けていました。そこにはキツネやたぬき、えぞももんが、えぞしか、それにヒグマやテン、イタチなどが生息しており、そこは原生林がそのまま残る野生の宝庫でもあります。その近くの一番標高が高い位置にある、住宅街のごみ置き場のそばから始まる原生林に、ナナカマドは赤い実をたわわに実らせていました。


 しかしそのゴミ置き場で不思議なことが起きました。
 ゴミ置き場では水曜日は燃えないゴミの日ですが、毎週、その水曜日にのみ、出されたゴミ袋の一部が破られており、そこから足跡が山に続いていたのです。私は山を愛する人間なので、野生動物の足跡は一見しただけでその種類を判断できますが、この小さな足跡だけは何度見ても判断することができませんでした。なぜかと言えば、それはまさに小さいながらも人間の足跡だったからです。雪の沈み具合からすると、その体重はネズミかうさぎくらいだと判断できました。それはまったく人間の足跡なのですが、その大きさは私たちの手の指の第一関節までの長さで、2センチにも満たないものでした。私がゴミ置き場を調べてみると、彼らが持ち帰っているものは、すべてが「布」であることが分かり、ゴミに出されている布の一部が切り取られていることもありました。

 私は昔、たけのこ採りに行ってニセコの山中で遭難した時も、また雪山で方向を失って死にそうになった時も、聴いたこともないような美しい歌声が風に乗って流れてきて、その方向に歩き出して助かった記憶が脳裏に甦りました。そして、決して姿を現さない、あの歌声の人々のことが思い出されました。私は何日か後に再び山に戻り、その水曜日に足跡を追跡してみることにしました。

「あいつらは不思議な力を持っている。
声を出さずに言葉を話し、水や食べ物の場所を教えてくれる。やつらは「カムイ」(この世界の生命体)と通じておるんじゃ」。


   それはもう27年も昔のことでしたが、私はその頃、日高の沙流川(さるがわ)流域の二風谷(にぶたに)ダム建設予定地で地質調査を行なっていました。その原生林で私は、木こりを生業(なりわい)にしているアイヌの人々に出逢った時、その長老が話してくれた「ニングル」の姿を思い出したのです。




 2001年2月の中旬ごろ、澄み切った青空が鮮やかな朝に私はその場所に赴きました。案の定、その場所には点々と足跡があります。「よし!」。私は胸の高鳴りを抑えながらその足跡を追っていきました。雪に埋もれながらどれくらい進んだでしょう。森に足を踏み入れ膝まで雪に埋もれながらも、大きな栗の木へ足跡が続いている場所まで到着しました。足跡は、木の周りの雪のくぼみへ降りていったようです。「驚かせてはいけない」、そう思って私が慎重に眺めていると、あの日の歌声が風のように微かに流れてきたのです。それはかつて確かに聴いたことのある歌声で、それが遠くから聞こえる気がするのです。まわりを見渡して、歌声の主を探すのですが、それは空全体から聞こえてくるようでもあり、不思議な歌声なのです。

 そして、あの木の根元に目を移した時、「彼」が両手を広げて立ちはだかるように立っていたのです。彼と私の距離は目測で5メートルくらいでした。「彼」は長く黒い立派な髭をたくわえて、膝まである麻の布のような服を着た、とても小さな男性でした。私を見つめるその小さい人は、身長が20センチくらいで、頭にはターバンのようなものを巻いています。私は驚きと感動で身体が固まってしまいました。するとその男性の後ろから、白く長い髭をたくわえた老齢で威厳のある男がゆっくりと現れました。

「人間が私たちを見つけるのは珍しいことだ。それはこの子が生まれた頃以来のことだ。だからこの子には、人間の物に興味を持っては駄目だと言っていたのに・・・。」

「こんにちわ、すいません」

  私は緊張のあまり、心に言葉が伝わったのか、声を出したのか定かではありません。


 しかし不思議な静寂が私たちを包み、木々のざわめきや野鳥の声も途絶えていました。そして、はからずもその老人は雄弁に語ったのです。

「あれは70年も前のことだろうか。この子が生まれた頃には、この山の近くに住む人間たちの食べ物が無くなり、人間たちはわしらの山へ入り込んでは「カタクリ」(人間の言葉で)を採り、子供を養っていた。その頃の人間たちはみな心が優しく、「カムイ」とともに生きている人々だった。」

「はい。それは戦争の食糧難の時だと思います」

   北海道の人々は戦時中の食糧不足から、美しき春の妖精の花と呼ばれる「カタクリ」の根を掘り出し、それをすりおろして「デンプン」を作っていたのです。北海道では今でもデンプンのことを、「カタクリ粉」と呼ぶことが多いのです。



「突然にすみませんでした。誰にも言いません。もう帰ります」

 私は、してはいけないことをしたような罪の意識を覚えました。
 きっと若いほうの小人の男性は恐怖に打ち震えているに違いなかったのです。その証拠に、未だに微動だにしないでいます。しかし、私の言葉を無視するかのように老人は語り続けます。

「あの頃は人間とわしらは友人だった。
 うん、あの頃はお前のような人間がたくさんいたが、今は違う。おそらく人間から「カムイ」が抜けてしまったのだろう。お前は山のカムイを愛する者だから、何も心配はしていない。この子は今まで人間とじかに逢ったこともないし、人間の言葉も知らんから臆病になっておるだけだ」

「ありがとう、おじいさん。

またいつか逢えるんですか? そしていつも山で聞こえる歌声はあなた方の仲間の歌声なんですか?」

「そうだ。わしらは「カムイ」を信じる人間を誘(いざな)うことがある。それは人間の生命が危ない時にだ。お前にだけ教えてやろう。わしらに逢いたければ、山に流れる小川に花を流せ。たくさんの花を。そして祈るのだ」

 それから老人は、彼らに逢いたい場合の呪文を教えてくれたのです。
 それはどんな意味なのか私にはさっぱりわからなかったのですが、とても嬉しいプレゼントだと思いました。最後に私は、聞かずにはいられなかった質問をしました。

「おじいさんは、いつごろからここにいるのですか?」

「わしが生まれたのは、この栗の木と同じころだ。そうだな、カムイに祈る人間がいなくなった頃だ。わしはお前たち人間がこの大きな島へ来るずっと前に生まれた」

 小人の二人は一瞬かがんだように見えて、消えたように見え、姿が見えなくなりました。私にはもう彼らを追うことに意味がなくなったので、道のほうへ歩き出しました。するとその瞬間、山のざわめきや小鳥たちの声が再び優しく響き始めました。エゾ松の木にはシマリスが忙しく走り回っていました。

  自由詩人 松尾多聞氏の体験手記より


訳者の益子祐司氏より: ここでご参考のために、オムネクと似た体験をされた札幌在住の「自由詩人」松尾多聞(まつおたもん)氏の体験手記をご紹介しました。「木の根元」、「白い髭の小人」、「プレゼント」という共通した要素が見られることも興味深いです。元全日本スキー選手の松尾氏はさまざまなボランティア活動に携わるとともに、宇宙船との遭遇やヒューマノイド型宇宙人とのコンタクト体験もお持ちです。宇宙人女性から詩を世の中に発表するように告げられて40歳から詩を書き始め、後にブログや無料電子書籍『僕の声が聞こえるかい』などで公開し、2010年に「詩のボクシング」全国大会で準優勝(団体戦)もされています。


📘「地球人になった金星人オムネク・オネク」 オムネク・オネク著 徳間書店

                           抜粋

http://8729-13.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-813e.html








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