ちょっと尖ったタイトルでごめんなさい。
このブログは
手術や治療、その後の経過など
同じように治療を受けることに躊躇したり
その苦しみに孤独を感じ
悩んでいる人たちの救いになればという
気持ちではじめました。
きっとこのブログにたどり着く方たちは
悩みがあって検索している中で
偶然にといった方も多いと思うので
少しそんな趣旨とは離れてしまうのだけれど
私の闘病マインドについて
完全個人の主観で吐き出させてください。
私は32歳で癌になりました。
そんな大病とは思うけれど
いまどき珍しい話ではないのか
SNSで検索すれば同じ年頃の
癌サバイバーが想像以上に存在することを知りました。
癌と診断されたとき、
ぶーーーっっちゃけめちゃくちゃ動揺しました。
贅沢なもので
ステージⅡって今の医療では完治が
充分期待できるステージで。
もちろん再発への恐れはつきものだけど
それでも、ありがたいことに
私は「死ぬことはないだろうな。」
と、なんとな〜くそこへの
根拠のない自信がありました。
でもね、じゃあ幸せかというと
これまた難しく、
ガンとともに生きるというのも
なかなかやっかいなもので。
5年後生きてるかもしれないし
死んでるかもしれないし。
そんな中で大手術の決断を迫られるわけです。
いっそ、これをしなければあなたは
100%死にます!と言われたほうが
決断できそうなものなんだけど
(実際そうはいってもきっと簡単じゃないよね。)
生きれるかもしれないのにという
希望もある中で
大事な臓器を一つ失うか残すかの
決断を迫られる。
赤ちゃんを産めるか産めなくなるかの
治療方法を迫られる。
余命を宣告されない側としては
治った場合、完治した場合。
その後生涯その身体と付き合っていく
可能性だってある。
それこそ何十年と。
そこには自分一人の兼ね合いじゃなく
仕事、恋、パートナー、趣味、
人生観といろいろ
進路変更が出る可能性がある。
それこそ独身30代の
市場価値を意識し始める年頃の私にとって
容姿の変貌や生活様式の変更、
妊娠力のリスクは
今後の恋愛市場をもっと
狭めてしまうのではという
恐れが大きかった。
なにより、
そのことを誰にも打ち明けられない
闘病期間でした。
SNSを見てると、
心優しい旦那さんが懸命に
奥様の歯磨きを手伝ったり
毛がなくなった奥様の
頭をなで、背中をさすり、
闘病をサポートする動画を目にするけど
本当に私はひとりぼっちだった。
抗がん剤治療のための通院は片道50分。
病院には9時について
病院を出る頃には17時すぎていた。
頭を冷やす何キロもの冷却材たちは
たった一人で駐車場から検査室、
診察室、ケモ室へと持ち歩いた。
帰って気持ち悪かろうが
吐こうがうずくまろうが
39度台の熱が出ようが
一人で夕飯の準備をし、洗濯、
風呂洗い、ゴミ捨て、食器洗い、
あらゆる家事を一人でした。
心配してくれる友人たちの前では
心配かけまいと
明るい言葉や姿だけを見せるようにした。
病院に行くと
ご高齢の入院患者のおばあちゃんひとりに
3、4人もの家族が見送りに付きそい、
寄り添う姿をしばしば見てきた。
私は母親が精神的に不安定なので
すぐに苛立ちやすく、
人や物にあたるので
病状説明でどうしても家族の立ち会いが
必要で呼び出さなければ
ならなくなった日も
母親が待ち時間のストレスで苛立つことが
ないようにと
必死で母親の機嫌を伺う
がん患者でした。
暑くないか寒くないか。ジュースでも飲みに行くか。
大学病院は夕方までかかるのはざらだから
家で寝てきてはどうか。
なんかそんなことを必死で
母親の顔色伺っていたように思う。
父は学生時代に亡くし、
父方の親族は疎遠。
わたしには家族が少ないので
病院に来たのは
というよりも来れるのは母親ひとりだけでした。
そんなこんなな生活を送ってきたので
私はめっきり癌のおかげで
心を鍛えていただき(笑)
「ガンになって大変でしたね」
「ガンになってかわいそうなわたしだった」
といった考え方に違和感を感じるように
なりました。
というか、
かわいそうに生きようとしてるのは
他の誰でもない私自身で。
世の中みーーーんな
何かしら大変で、何かしら抱えていて。
たまたま私はガンという病名を
抱えただけだけど
他の人は家族問題、離婚問題、
職場のパワハラ問題と
多様に大変な人生を送られている。
総じて見てみれば
みんな大変=みんな大変なのは一緒
=かわいそうな人、特段大変な人なんてこの世にいないんじゃない?
という究極の思想が完成しました。笑笑笑
なので私は
辛よねと共感を求め合うような言葉に
ちょっとだけ抵抗があって
「え、いや別に?」
「私は大変だと思って生きようと思ってないよ!」
と、どうも天邪鬼になってしまうようになりました笑笑笑
これは私たった一人個人の
気持ちだし
人それぞれって思うから他人に
同じ考え方を求めるつもりは
ないんだけれど。
いうなれば
あたしはいつも弱音を吐きかける自分に
「悪く考えるのは自分次第。」
とストップをかけるようにしています。
ガンがあるから大変なんじゃない。
食道をとって胃を取った。だからかわいそうなんじゃない。
完治したといえども再発の可能性があるから大変なんじゃない。
大変。辛い。人と違う。かわいそう。
まだ30代なのに。
そうやって
''私自身がそう思うから''
''その通りの自分''が
生み出されてしまうだけ。
と思うようになりました。
ちょっぴり棘があるけれど
1年前に完治したわたしにとっては
ガン闘病は
とっくに終わった話であって。
とっくの過去の話であって。
私はもうとっくに前に進んでいるんですよね😊
元がん患者。というよりも
もはや今となっては
みんなとなにひとつ変わらない
普通のわたし。なんですよね😊
ご飯が食べれない、
痩せている、
思うように身体が動かせない、
女性で身体に大きな傷が残った。
こういうの全部大変と思わなくなったんです。
腰痛、ヘルニアの人と同じ、
ぐらいの感覚なんです(笑)
だってもう治った。これが
事実なんだから!(笑)
ただね、病気の受け入れ方も
考え方も
その期間もきっと人それぞれ。
だから私は
他人がどう考えているかは
全く興味がありません。
というより踏み込めるわけないというのが
本音。
でも自分は
どうやって生きていきたい?と思いながら
生きるようにしています😊
5年前に子宮体癌を完治した
60歳の方が
職場の人が私のしんどさを理解してくれないとぼやき、
ガンってこんなに大変なのにね。
と共感を求められたことがありました。
私は厳しくも
共感を求められる行為に対して
「わたしはちがうかな。」
と、そっと心の中で思ってしまいました。
心無いかもしれないけれど
私からすれば
同じ病気になったことない人間に
理解しろと望むこと自体
方向性が違うのではと
思ってしまったのです。
それは子育てや結婚したことない私が
子育てや結婚のことで悩んでいる人たちの
真の痛みがわからないのと同じで。
なにより、前向きな方向に
人々が手を取り合って行く姿はとても
好きです。
だけどいつまでも
病気だった自分にしがみつき
痛みを分け合うために
手を取り合う姿は
私は!!!
あまり好きではありません。
まるで、光に向かって進むことを
自分自身が拒絶していることに
気づいていないように見えて
ならないのです。
仲間を見つけてはその人の足にしがみつき
決して一人で暗闇に残ることがないよう
引き止めているようにしか
私には見えないのです。
私はね。
病気を治すのは
抗がん剤でも手術でも名医でもないって
思ってます。
(とんだあばずれヤブ医者は除き!笑)
やっぱり、
そうなってしまった自分をいちはやく
受け入れて
一緒に抱えて生きていく。
その覚悟が一番の治療法だって
私は思ってるんです。
病気はたしかに憎いです。
だけど、わたしはやっぱりそれでも
運のせいにも病気のせいにも
したくない。
降り掛かったすべてのできごとを
自分で背負う覚悟を持って
生きていける大人を目指していきたいんです。