ミュシャと言う人を知りませんが、おそらく近代の人かと思います。チェコスロバキアが独立十周年のときの記念の絵を書いていたことから推察するに、ということですが。
私は偏見を持たないで、その人の世界観を見に行きたくて、事前学習抜きでミュシャ展へ赴きました。
彼は中世の宗教戦争の絵や女性の絵を多く書いていました。そして、数々の宗教画が飾られていました。
そこですごく思ったことを書かせていただきたいと思います。自分のページなので、他人の目をガン無視で書きますね。
まずはじめに思ったのは、神は人間にとっての異質な存在であるということ。
それは、ミュシャの人と神の描かれ方が異なっているということから思いました。
神のような存在は、その時の絵に応じて暗く描かれたり、むしろ明るく描かれたり、対比となる人間と比べて、何か特徴のあるかかれ方をしていました。
そこから、作者の意図には、もしかしたら神というものは異質なものであり、人とは違うものであるというメッセージが込められているのかと思いました。
神というものは人間に見えない影の形なのかもしれませんし、もしかしたら人間の意識の深くに根付いている精神の奥にあるものなのかもしれないです。
神という存在が本当にいるにしろ、いないにしろ、人間の想像の産物のように感じます。
次に、神と人間をつなぐ聖職者たちもまた異質であるということです。
彼らの描かれ方は、すごく偉い立場のようにかかれたり、中心人物のようにかかれたり、大衆といるときは、偉そうな目つきであったりしていました。
そこにはもしかしたら、神を利用して人々を引き連れている一個人に何か悪を感じていたのかというふうに感じます。
私にはあの聖職者は美しく見えなかったのです。どうしてもドロドロとしている何かを持っているような気がしました。
そう、かかれている彼は多分存在し得ないもので、想像の中にいる空想の誰かなのかもしれませんので、もしかしたらミュシャの潜在的に意識している神父像が見えたのかもしれません。
まあ、適当なことを言ったのであっているとは言えません。全体的に絵は綺麗でしたが、ミュシャ自体のメッセージ性というものをあまり感じることのできない絵が多く、芸術家の本質というものを見ることはできなかったように感じます。
綺麗なだけでは芸術ではないです。
キレイな絵ですが、通り過ぎるような綺麗さで、心の奥底に刺さるようなメッセージがなかったのです。
最終日近く人が多かった故か、凄まじく民度の低い方々が来ているように感じますので、ご注意くださいね。
最後になりますが、画像は撮って良いとされていたところで記念に撮った写真です。
お疲れ様でした。