私は、すぐ忘れてしまう。
久々に会った友人に、「〇〇って言ってたことあったの、もう大丈夫?」と聞かれた。
〇〇は、私が仕事でお客さんに些細なことで怒鳴られて、嫌な思いをしたこと。
「…???それ、私だっけ???」
これは、未だに思い出せない…。
内容的に、〇〇の相手がその場でしか会わないような人だからかもしれないけど、記憶のかけらも残ってなかった。
この間は、別の人と話していて(気心知れた仲なので言い合うこともある)、むっときたことがあったから反論した。少し経って、相手がどこにむっとしたのか聞いてきたけど、すぐに説明できない(笑)
えーと、どこにだっけ、ちょっと待ってね、となってしまう。
夫からされた嫌なことも、嫌だという感情は残っているけど、具体的なことは、そういえばこんなことあった!とぽつりとたまに思い出すくらいで、忘れてしまってることもある。
それに、相手から理不尽に責められたり怒られたり、嫌な思いをすると、聞いてるのに一時的に意識が薄くなる(もやがかかるような)ことがあったり、急激に眠くなったりする。
でも、仕事の出来事はわりと覚えている方だ。
あの時はこうだった、この時はこうした、等々。
私は感情が深く、相手と真剣に向き合ってしまう。
それゆえに、相手の感情を読み取りすぎて、自分が削られる。
だから、ダメージを軽減するために、脳のシャットダウン機能が働いているんだろうな、と理解するようになった。
実は、日記も苦手。
言葉の整理に時間がかかるから?
後で読み返した時に負の感情が湧き上がって、結局読み返すことがないから?
その時の赤裸々な感情を残すのは、なんだか恥ずかしいから?
残しておきたくないから?
ここはまだこれから解明の余地ありだ。
私は、小さい頃から母親のヒステリックな感情に晒されて、学校でも辛いことが多く、立ち向かうものが多かった。
でも、真面目に、それなりに頑張って自分を保ち、ここまで来たつもり。
これは、悪いことばかりではなく、言葉の外も読み取り、背景に思いを馳せ、相手の心と深く繋がれる機能でもある。
でも、多くの場面ではそれは求められないので、自分が削られるという気持ちになることが多いのだろう。
圧がない、純粋、と言われることもある。
それも良し悪しだ。
普段はぼんやりのんびりしてるんだけど、自分を守るため、随分しっかりしてしまったなぁ。
深く繋がれるパートナーがいれば、私はもっと楽しく、安心してのびのび生きられるのだろうな、と思う。
ま、それは今の現実にはないものなので、将来の希望に取っておこう。
未来がどうなるかはわからないからね。
お正月は、一般的には親戚で集まる日と考えられてるけど、私にはそのようなイベントがない。
でもだからこそ逆に出かけられる。
自分で毎日を楽しく
(と、自然に思えるように)
今日は子どもたちと電車に乗って遊びに行ってこよう。