すきになってしまうと

よけいな事を求めてしまう。


本当はともだちだから

そんなとこでイライラしちゃだめなのに

どうしようもなくなってしまう。

おねえちゃんみたいに甘えたいのに

ほんとの妹を前にしたら

私なんて家族でも彼氏でもなんでもないんだなぁって

なんのつながりももてないんだなぁって


すごく当たり前なのに悲しくなってしまう。


すきでもすきでもどこにもいけないんだな。

ずっと一緒にいることもできないし、

ずっと線路のむこうがわにいるみたい。



だいすきな大事な大事な親友なのに

大切な音楽のパートナーでもあるのに


私の彼女に対する愛情が

家族愛や恋愛をイッショクタに求めてしまうために


友情までおかしちゃいそうになる。




結局いつも苦しみぬいて何かが振り切って

ゼロになってしまう。本当は大好きなはずなのに、友達は何も悪くないのに。




人を大切に思うのが破壊行動に思えてしまって

苦しいのに耐えられなくなっていつか裏切る自分が

こわくてこわくてしかたなくなるのに


抱きしめられたあったかかった幸せがわすれられないなぁ。


昔からシャケフレークがものすーごくすき。

一人暮らしをしてからは、ご飯にかけないでおつまみみたいにしゃけオンリで食したりもする。


ややしょっぱいけどあぶらがのってておいしい。

ふだん肉をかわないので(調理方法がいまいちわからない)

私の動物性蛋白質の源なんだ、きっと。


若造にはまだまだ大きすぎる「社会」

今日はそれをかいまみれた大事な一日だった。


「おとな」って太陽みたいだ。

すぐそこにあるようにみえるのに、おいかけてもおいかけても届かない。

友達が五人くらいしかいなかった五歳の頃、小六なんてすごい「おとな」にみえたし

もっさい田舎の中学一年の頃、高校三年生の先輩は異世界の重鎮にみえたし

21才なんて昔の私がみたら立派な大人だったのに

実際になってみると60才の方とお話すると

なんて、何も知らないんだろうとなんて狭い世界で生きているんだろうと、

あまりの「子供」加減に驚いてしまう。




とにかく沢山、考えよう。

動くのも大切だけど、何か行動を起こすには

必ず「責任」が伴うのだ。

まだばかな若造だけど

そこにはちゃんと「大人」の義務が発生しているのだ。




本日の教訓

「その人脈には一対一で済まない責任が張りめぐっている、人の好意は大切に。」

新学期が始まった。


昨夜はおなかがすいて眠れなかったけど

一限にちゃんとでて、非常に満足だった。

ただ、夜中の四時と朝ごはんに

空腹に耐えかね仕方なく食べたヨーグルトのせいで

ものすごく腸がへんだった。火山みたいに。



あんなにあこがれて入学した学校ももはや

家が近すぎて庭みたいなものです。




親友と、「しかるべき距離」を維持しはじめている。




深すぎる悲しみを宥めるのはまた彼女しかいない


それを私も彼女も知っている


彼女が笑って私と話す以外に私はこの半年間何の幸せも感じなかった

何かがマイナスになったり

何かが事態を動かすことはあっても


私が心の底から幸せに感じることはなかった



生まれてはじめて抱きしめられ

生まれてはじめて好きな人に好きだといったそんな相手が



友達になろうとしている


私の心は異常に静かで落ち着いているけど


彼女がいた部屋がからっぽで


彼に対する思い出が時たま噴出してきて



彼の彼女をみる優しい笑顔に首を絞められるような痛みを覚えて

一ミクロンの入り込む隙がなくなった大好きな人達を見ながら


どこかに歩き出そうとしていたら

一歩目までにまた半年もかかっていたみたいだ。