≪音楽と私≫シリーズ。
年末年始の、演奏活動が少ない時期。
ネタがないから〈音楽歴〉でも載せようか、と軽い気持ちで始めた企画でした。
数話のつもりが、長文、長期連載に…。
反響の大きさに、私のほうがびっくり!!
楽しみにして下さった皆様、本当にありがとうございました。
本日、最終回。
よろしければ、お読みくださいね。
(1)~(13)話は、こちらからどうぞ↓
http://ameblo.jp/aya-piano-organ/themeentrylist-10094437564.html
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
遠い日のかすかな記憶。
初めてエレクトーン教室。
母に連れられ緊張しながら、4才の私。
初めてお会いする、「いずみ先生」
それが苗字であったか、名前であったかすら定かではありません。
でも、お教室に通うのが楽しい。音を出すのは面白い!
〈引っ込み思案〉 の私に、そう感じさせてくださる、
とても幸せな出会いでした。
それから21年間。
10名以上のエレクトーン先生にお世話になりました。
今も年賀状のやりとりがある、最後のお二人には特に。
大手音楽教室の楽器店でしたから、講師はご結婚やお引越しで交代され、
幼いころの先生はほとんど覚えていないのですが…
今の私があるのは、この頃に音楽の基礎を築いてくださった、歴代の先生方のお陰です。
残念ながら、幼少期のテキストは残しておらず、
手元にある最も古いエレクトーンの楽譜がこちら。
初めて大会参加した、小学4年生の時のもの。
出産のためにエレクトーンのレッスンを辞めた頃。
「ここが私の音楽の限界」と思っていました。
でも、そこは「私の音楽の〈第一章〉の終わり」
ブランクを経て幕が開いた〈第二章〉には、さらに音楽の世界が広がっていて。
「エレクトーンプレイヤーになりたい」と思っていた子供の頃の夢は、球場オルガンプレイヤーという形で実現したし、
「いつかカフェやレストランで演奏できたらー」と当てもなくピアノアレンジしていた子育て期の想いは、今まさに活動している内容です。
“真摯に向き合った事は、未来のどこかに必ずつながる”
今、取り組んでいることも、きっと。
☆
〈引っ込み思案〉 と称されることはさすがに無くなった私ですが、
本質は今もそう変わらないのかもしれません。
変化を面白がるよりも、戸惑うし、
勢いで進むよりも、時に立ち止まり考え込んでしまう。
およそクリエイティブなお仕事には、向かないタイプ…?
……いいえ。学びましたから。
自分の考える〈限界〉も〈向き/不向き〉も、当てにはならない。
それに躊躇する私には、いつも背中を押したり、引っ張り上げてくれる方がいるのです。
音楽の師や仲間。演奏の場で出会う方々。友人。そして家族。
☆
今から4~5年前でしょうか。
当時高校生の次男に言われたことがあります。
「かーさんにとって音楽は、〈これがあればブレずに生きていける〉っていう 『軸』 なんだね」
これまでも、これからも。
私は音楽を 『軸』 に成長していくのでしょう。
一歩ずつだけれど、着実に。
長い長い私の履歴書、《音楽と私》
最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。
これまで、私と関わってくださった方々と、
この画面の向こうで繋がっている皆様へ。
感謝を込めてー。
(おわり)