音楽と私(14)最終回~『軸』となるもの。 | 札幌のピアノ弾き ayakoのブログ♪もっと気軽に生演奏を!

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ピアノ・ケンハモ プレイヤー大塚綾子です。
札幌を拠点に活動しています。

日常の中でホッと一息ついたり、ちょっと元気になったりー。
演奏でそんなひとときをお届けします♪

演奏活動、日々感じた事など綴っていきます。

≪音楽と私≫シリーズ。


年末年始の、演奏活動が少ない時期。

ネタがないから〈音楽歴〉でも載せようか、と軽い気持ちで始めた企画でした。

数話のつもりが、長文、長期連載に…。


反響の大きさに、私のほうがびっくり!!

楽しみにして下さった皆様、本当にありがとうございました。


本日、最終回。

よろしければ、お読みくださいね。


(1)~(13)話は、こちらからどうぞ↓

http://ameblo.jp/aya-piano-organ/themeentrylist-10094437564.html


☆      ☆      ☆      ☆      ☆


遠い日のかすかな記憶。

初めてエレクトーン教室。


母に連れられ緊張しながら、4才の私。

初めてお会いする、「いずみ先生」 

それが苗字であったか、名前であったかすら定かではありません。

でも、お教室に通うのが楽しい。音を出すのは面白い!

〈引っ込み思案〉 の私に、そう感じさせてくださる、

とても幸せな出会いでした。


それから21年間。

10名以上のエレクトーン先生にお世話になりました。

今も年賀状のやりとりがある、最後のお二人には特に。


大手音楽教室の楽器店でしたから、講師はご結婚やお引越しで交代され、

幼いころの先生はほとんど覚えていないのですが…


今の私があるのは、この頃に音楽の基礎を築いてくださった、歴代の先生方のお陰です。


残念ながら、幼少期のテキストは残しておらず、

手元にある最も古いエレクトーンの楽譜がこちら。

初めて大会参加した、小学4年生の時のもの。

力強い書き込みから、当時の先生の熱意が伝わります。


出産のためにエレクトーンのレッスンを辞めた頃。

「ここが私の音楽の限界」と思っていました。


でも、そこは「私の音楽の〈第一章〉の終わり」

ブランクを経て幕が開いた〈第二章〉には、さらに音楽の世界が広がっていて。


「エレクトーンプレイヤーになりたい」と思っていた子供の頃の夢は、球場オルガンプレイヤーという形で実現したし、

「いつかカフェやレストランで演奏できたらー」と当てもなくピアノアレンジしていた子育て期の想いは、今まさに活動している内容です。


“真摯に向き合った事は、未来のどこかに必ずつながる”


今、取り組んでいることも、きっと。



〈引っ込み思案〉 と称されることはさすがに無くなった私ですが、

本質は今もそう変わらないのかもしれません。


変化を面白がるよりも、戸惑うし、

勢いで進むよりも、時に立ち止まり考え込んでしまう。

およそクリエイティブなお仕事には、向かないタイプ…?


……いいえ。学びましたから。

自分の考える〈限界〉も〈向き/不向き〉も、当てにはならない。


それに躊躇する私には、いつも背中を押したり、引っ張り上げてくれる方がいるのです。

音楽の師や仲間。演奏の場で出会う方々。友人。そして家族。


今から4~5年前でしょうか。

当時高校生の次男に言われたことがあります。

「かーさんにとって音楽は、〈これがあればブレずに生きていける〉っていう 『軸』 なんだね」


これまでも、これからも。

私は音楽を 『軸』 に成長していくのでしょう。

一歩ずつだけれど、着実に。


長い長い私の履歴書、《音楽と私》

最後までお付き合いくださり、本当にありがとうございました。


これまで、私と関わってくださった方々と、

この画面の向こうで繋がっている皆様へ。


感謝を込めてー。


(おわり)