先日の帰省中に
施設にいるばーちゃんに会いに行きました

私と息子たち(小2&3歳)と
弟夫婦と姪っ子たち(小4&小1)の
大人数あせる


たしか90歳くらいになったんだっけかな?

と思ってたけど
よくよく聞いたら94歳ポーン

そうなんだ…
あのばーちゃんが。
もう94歳ぐすんぐすん

なんか。

なんかなー。

そういうの嫌だな。。


そりゃボケるし
耳も聞こえないわな〜。。


私と弟はほぼ
ばーちゃんに育てられたようなもんで
(あ、じーちゃんにも)
もう1人の母ちゃんみたいな存在で。

昨年までは寒い冬の間だけ
施設にお願いしていて
暖かくなったら家に戻ってきて

自分でトイレも
ゆっくりゆっくりだけどできて
ご飯も自分でゆっくりたくさん
食べて。

私と息子が遊んでるのを
目を細めて穏やかに見てたばーちゃん。

なのに、
今年から暖かくなっても
帰って来れなくなって。
トイレも行けないからオムツだし、
ご飯も咳き込むからトロトロのものを
あーんしてもらってる状態。

その変わり様に
父ちゃんから聞いて覚悟はしてたけど、

でも、ほんとに
嫌でショックショックショック
でも受け入れなきゃ。
笑っていなきゃ!って思いながら…




ずっと「これ誰?」ゲームを
してましたてへぺろ

2、3年前からなぜか
弟のことだけすっかり忘れ去っていた
ばーちゃん笑い泣き

今年は私も怪しいぞ、
と思ってたけど

ギリセーフ!

年に1回しか会えない私。
「あゆだよ!」と言ったら
ビックリした顔をしてから
ニコニコ笑ってくれましたえーん

私が弟を指差して
「これ誰?」と質問しても
「さぁ?」
と首をかしげてくれて
安定の爆笑を取っていました笑い泣き


すっかり体も細くなって、
畑仕事や山仕事でゴツゴツで太かった
指もすっかりスラっとしちゃってて。

車椅子で談話室に来てくれていたんですけど
話してるうちに傾いてきて、
もう疲れたね。また来るね。
と言うと、

ハッとした顔をして

「行ぐなぜぁえーんオラもえーさ帰りてぁえーん
連れでってけろぉえーん
(行かないでよ、私も家に帰りたい、連れてってよ)

って泣くんです。

私も弟夫婦も
動けなかったえーんえーん
ばーちゃん疲れるから早く行かなきゃって
みんな思ってるんだけど
無理なんですよね。
辛かったですえーんえーん

その後も何回も
これ誰ゲームをしましたニヤニヤ

弟がばーちゃんの顔の近くで

「俺は誰だ?」

(じっくり見てから)
ばー「いづばん息子だぜぁ」
「いづばん息子だら、Kが?」
ばー「ふんっえー

※解説
いづばん息子とは、一番息子。
いちばん大事な息子、みたいな意味。

ばーちゃんの子供は、
長男はだいぶ前に他界。
次男がそのKというおじちゃん、
次に長女のYおばちゃん、
三男の私の父ちゃん、の4人。

次男のKおじちゃんは県内だけど
遠いところで所帯を持ったため、
地元に残った三男の父ちゃんが
跡継ぎになったそうです。

そのKおじちゃんは
浪費癖があり、うちにも借金の催促の
電話が怖い人からかかってきたりも
ありましたびっくり
その度にばーちゃんが
お金を工面した苦い思いは
根強く残っていたんでしょう汗
Kという名前を聞いた途端

ふんっ!ですよ笑い泣き笑い泣き
ケッえーって顔してて
これもまたみんなで笑いました。

弟のことは忘れてるくせに
そこは覚えてんのかーい!
ってねてへぺろ
結局、弟のことは
うちの父ちゃんだと思ったみたいですウインク
それにしてもあの時期、
よっぽど辛かったんですねショボーン

それ以外にもいっぱいいっぱい
苦労してきた人。

昔の東北の山奥に住む人たちなんて
ほんとに自給自足で暮らしてて、
でもお金の必要な時代に少しずつなってきて
お金を手に入れるために
畑や山や家畜のことをして
雨ニモマケズ風ニモマケズ
4人の子どもを命がけで育てて。

やっと子どもたち全員が巣立って
三男も所帯を持って安定してきたところで
やんちゃでわがままな
孫たちの面倒を見ながら
それでもまだ畑仕事を続けて。

ある時、初期の脳梗塞で入院して
血圧の薬が手放せなくなり
止まらない謎の咳と何十年も付き合い、
可愛がって面倒を見た孫たちは
反抗期でロクに会話もしてくれなくなり
なんなら孫娘(私)は遠くに行ってしまうし。

そして最後は
自分の家に帰ることも叶わなくなり。。


ばーちゃんを見てると
ばーちゃんの人生って
どうだったんだろうってすごく気になって

聞いてみたかったけど
聞けるわけないし
聞いたところで、帰りたいって言われても
そこに住んでない私には何もできない

遠くで実家の家族と離れて暮らしていて
これほど悔しいと思ったのは初めてでした。

(こっちに出てくるときにみんなに
家族の死に際には会えないと思いなさいよ、
と言われて出てきたんだけどね…)

母ちゃんも数年前に脳梗塞して
左半身が不自由だから
介護できない、
父ちゃんもまだ仕事をしないといけない

やっぱり施設にお願いしないと。

ばーちゃんの介護のために
親族の誰かが仕事を辞める、とは
簡単にはいかない。
田舎の低所得問題。。



はぁショボーン


ばーちゃんにまた来年も会いたい!
でも、嫌だけど少し覚悟をした
帰省となりましたぼけーぼけー

長すぎなのわかってるけど
残しておきたかった話ニコ



※ばーちゃんの言動や表情にみんなで笑うのは
うちのスタイルです。
決してバカにしてるものではなくて
愛情表現みたいなものです。