こんばんは、おおばよしおです。
今日は何か急に冷え込んで、夏から一気に冬になるような気がしました。
事務所はコンクリート打ちっ放しのせいか、冷え込んでて暖房付けようかなと思うくらいでした。
さて、先日もNLPの勉強会に参加しました。
カズ姐さんのNLP講座を修了した卒業生や受講生が集まる勉強会で、
最近は毎回オープンセッションをやるのですが、
ちょっと思うところがあって、オープンセッションに手を挙げて、自身の問題を取り扱ってもらいました。
扱ってもらった問題は、コミュニケーションというか関わり方について。
感情解放のセッションになるのかと思って望んだのですが、
まぁ、思っていたような流れにはならず・・・。
(そこがセッションの面白いところでもあるのですが)
子供の頃の家族配置というか、それぞれがどういう立場にいたかを再体験するセッションになり、
自分でも気付いていなかった家族の想いや感情を知って、
衝撃というか驚きを感じました。
自分で(他にアシスタントがいなかったので)用意していた感情解放セット(クッションとタオル)は使わずじまいでしたが(笑)
セッションをするだけではなく、時には受けることも大事ですね。
セッションでの気づきもさることながら、
一番印象に残ったのは、
終わった後に感想を話した際にカズ姐さんから説明を受けた
「自己重要感」について!
みなさん、「自己重要感」と「自己肯定感」の違いってわかりますか?
正直、私は言葉の違いはあっても、さほど意味合いは変わらないものだと思っていました。
ところがどっこい!大違い!
「自己肯定感」の上に「有能感」というものがあり、
両者を合わせたものが「自己重要感」であると!
(あくまで、一解釈でいろいろな捉え方があるとも思いますが)
「有能感」とは、何かができるとか資格とか地位とか立場とか、
能力がある自分をすごいと感じる想い。
「自己肯定感」とは、なにかができるとかできないとか関係なく、
どんな自分であっても存在すること自体が価値があると感じる想い。
生きていることだけで幸せと思えること。
それらを合わせたものが「自己重要感」であり、
「自己肯定感」の上に「有能感」があり、
「自己肯定感」が8~9割で、残り1~2割の「有能感」があるのが理想的な状態だということ。
なるほどなぁ~!
勉強会の後、カズ姐さんと食事をしながら話をしていて更に納得したのは、
「自己肯定感」が小さくても「有能感」が高くても「自己重要感」は高いと思ってしまう人がいて、
それはとても大きな落とし穴だと。
「自己重要感」が高いと思っていても、そのほとんどが「有能感」だとすると、
突然、交通事故で手や足を失ってしまったり、何かの病気になって仕事ができなくなってしまったり、
何かのトラブルで地位や名誉を失ってしまったりすると、
一気に「自己重要感」がなくなってしまい、
廃人のようになってしまったり、
死にたいと思うようになってしまったりするのだと。
「有能感」っていうのは、ある意味ペルソナの自分ではないかと思います。
会社の社長だからとか、
一流企業に勤めているからとか、
大企業の部長や課長だからとか、
年収○○千万円あるとか、
テレビに出てるとか、
立派な家に住んでるとか、
(あっ!やっかみ入ってる?)
そういう何かの仮面や鎧があるから自分はすごい、価値があると思っている部分が大きすぎると、
仮面や鎧を取った自分はちっぽけで価値がない。
だからいつも仮面や鎧を取ることができない、
逆に言うと、あまりにも自分がちっぽけだから何重にも仮面をかぶったり、
頑丈な鎧を身につけるために、ひたすら頑張ってしまう。。。
そして、ちっぽけな自分を見られないようにするために、
権力を使って弱い立場の人を攻撃したり、
ペルソナの自分を使って人を集めて自分の周りを取り囲んだり、
はたまた、ちっぽけな自分を自ら攻撃して苦しめてしまったり、
パワハラやうつも「自己肯定感」の低さが原因ですね。
逆に「自己肯定感」が大きい人は、
「有能感」は自分にとってのプラスαだと思っているので、
いつでも仮面や鎧を取ることができるし、
人との関わりにおいても対等な関係でお互いを尊重したコミュニケーションが取れる、
何より人のことをジャッジ(評価)することがないのだと思います。
そして、自分のことを責めたりすることもなく、どんな自分でも○(マル)、OKを出すことができる。
私も昔は「自己肯定感」が低くて、過度に自分を責めてしまったり、他人を攻撃してしまったりすることがありました。
まだ、今でも昔のクセが出てしまうことがありますが、
そんな自分に対してもOKを出せるくらい
「自己肯定感」を高くしたいなぁ~と思う今日この頃でした。
みなさんも、「自己重要感」を取り違わないように気をつけましょうね。