2025年に入ってから新しい挑戦を2つ始めた。

一つは、英会話教室に行くこと。

もう一つは、マッチングアプリを始めたこと

英会話教室の話は前回少ししたので、今日はマッチングアプリの話を。

 

今日は、マッチングアプリで出会った人(3人目)と3回目のデートだった。

記憶が鮮明なうちに、デートを通して考えたことを書き綴る。

 

結論から言うと、今日に限らずこれまでのデート全てにおいて、

私の頭の中は金銭的な不安・苛立ちでいっぱいだった。

苛立ちは、相手の方に対してではない。

自分の経済力のなさに対して苛立っていた。

 

3回も会ったということからわかるように、お相手はとてもいい人だ。

居心地は良いし、喋りやすくて無言も気まずくない。

ご飯も映画も水族館も楽しかった。ほぼ不満がない。好きになれたらきっと楽しいんだと思う。

「好きになれたら」

恋愛感情を持つ前に、経済的な不安が邪魔をするのだ。

 

楽しい感情と同時に、

水族館2,700円、観覧車900円とか馬鹿みたいだな、

1,000円超えのランチとか馬鹿みたいだな、

500円のガチャガチャなんてするかよバーカ、と思ってしまう自分に苛立つ。

(ガチャガチャは勧められたけどやらなかった)(ノリ悪くてごめん)

 

お金を使う度に、「食費削ろうかな」「カードの請求やばいかもな」って。

頭の中がずっとお金のことだった。

 

相手にいかに好意を抱いてもらうか、よりもお金の心配。

経済的な不安がある限り、純粋な恋愛感情は生まれないと実感した。

終始、「あー使っちゃった」っていう感情が顔に出てた気がする。

社会人の恋愛って、金持ちの娯楽じゃね?

 

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恋愛ってなんでこんなにお金がかかるの?

お出かけの資金、交通費、馬鹿にならない。

ただでさえお金がないのに、

もしももしも好きになれたとしたら、

美容にもっと気を遣いたくなるだろうし、

脱毛したくなるだろうし、可愛い下着欲しくなるだろうし?(キモい?ごめん)

記念日や誕生日もせっかくなら大切にしたい。

でも彼氏ばっかりにならず、自分の時間や親友との時間も充実させたい。

 

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そもそも何故、お金がないのにマッチングアプリを始めたのかという話をする。

先に断っておくが、とてもネガティブだ。

 

彼氏がいない劣等感や肩身の狭さから逃げ出したくてアプリを始めた。

 

友人の結婚式で焦った。

座席の卓が私以外全員彼氏持ちかつ婚約済。

一方で私は、今まで彼氏がいたことがない(!)

 

これまでも友人との恋愛話で肩身が狭くて、逃げたかった。

 

「今はいらないかも」「忙しいかも」と言い続けて

その場を適当に流してきたけど、

人の恋愛話を聞く度に、

「彼氏がいない自分には愛される価値がない」

「人間としての難点がある」

と思うのがしんどかった。

 

私に恋愛話を振るのはタブーみたいな、

気を遣わせてしまっている空気を感じるのが気まずかった。

 

子どもは本当に欲しい。(可愛いからとかそんな理由じゃないよ)

子どもを生むためには、もう出会ってないと間に合わない。

そんな焦りもあるし。

 

お金を使うのは嫌だけど、こんなネガティブ感情にいつも悩み続けるのも嫌だった。

 

人に愛される愛されないとか恋人の有無で決まるはずはないと分かっている。

開き直って「1人で生きます!」と言えたら楽なのに、

自分はまだ人に愛される人間だと心のどこかで信じていたり、

多少なりとも「恋人」という幸せ(そうな)で安定した関係に憧れがあるから、劣等感を抱くのだ。

 

だったら1回経験してみれば良い。

「彼氏がいること」は、本当に自分が「人から愛される人間である」ことの証明となるのか。

私が憧れる「恋人」という関係は、本当に私にとっての幸せや安定となるのか。

友人が口を揃えて言う、「結婚したい」は私も本心から言えるようになるのか。

 

人生で「彼氏がいる」という経験をするために、アプリを始めた。

 

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あ、ひとつ前向きな理由見つけた。

一緒に海外旅行に行ける男性と出会いたい。

居心地良い人と世界一周したい。男の人がいると少しは安心だし。

(最後まで自分本位な理由を並べ立ててごめん)

 

お金の話から恋愛の話になってしまった。

お金は使いたくないけど、劣等感を払拭したい。

人生、葛藤しかない