あけましておめでとうございます...
ってもう一月も残すところあと2日!
ブログの更新がまた遅くなってしまい、読んで下さる方に本当に申し訳ない事をしたと思ってます。。。
前回の記事では、蟻(アリ)から人間の生き方にまで壮大に話を広げましたが、
とりあえず気楽に書いていきたいと思います。
2013年もさっき始まったと思いきや、もう一ヶ月経とうとしてるのかと思うと、
これはきっと、すぐに大晦日がきて、来年がきて、何年も経って。
うわ~、時間というのは容赦ないですね。
休む事なく一分一秒刻んでいきますから。
たまに「オマケして一日増やすよ」とかあったら、嬉しいですね。
朝起きて、目覚まし時計より一時間早く起きたような感覚でしょうか。
やっぱり時間は貴重ってことですね。
今年はどれだけ時間を無駄にせずに過ごせるかな。
前の2つの記事の続きです。
読み返すと、何かえらく堅苦しい評論文みたくなってしまいました…。
考えすぎてお腹が減るので、今回で完結します。
適当に読み流してください。
↓
「最善を選ばない」とはどういう事だろう。
「最善」を選ぼうとするのは、それを選んだときのメリットを見越しているときだろう。
始めから、こういうメリットがある、と分かっているから「最善」として選べるし、
メリットが少ないと思われるものや、どうなるか分からないものは、
不安だし、あとで後悔したくないので、
手をつけないのではないか。
でもこの選び方では、絶対に後悔する事のない蟻にはかなわない。
本能で、本当の意味での「最善」を選択し続ける蟻に対して、
理性を持った人間は、
どこまでいっても迷いや不安が付きまとう。
しかし人間らしさは、まさに理性そのものであり、
どうなるか分からない不安をあえて選択する事は、
人間にしかできないと思う。
その選択をした人間は、絶対に後悔するまいと思うのではないか。
人間にとっての、
本当の意味での「最善」は、
あえて選んだ、どうなるか分からない不安の先にあるのではないか。
〈終わり〉
読み返すと、何かえらく堅苦しい評論文みたくなってしまいました…。
考えすぎてお腹が減るので、今回で完結します。
適当に読み流してください。
↓
「最善を選ばない」とはどういう事だろう。
「最善」を選ぼうとするのは、それを選んだときのメリットを見越しているときだろう。
始めから、こういうメリットがある、と分かっているから「最善」として選べるし、
メリットが少ないと思われるものや、どうなるか分からないものは、
不安だし、あとで後悔したくないので、
手をつけないのではないか。
でもこの選び方では、絶対に後悔する事のない蟻にはかなわない。
本能で、本当の意味での「最善」を選択し続ける蟻に対して、
理性を持った人間は、
どこまでいっても迷いや不安が付きまとう。
しかし人間らしさは、まさに理性そのものであり、
どうなるか分からない不安をあえて選択する事は、
人間にしかできないと思う。
その選択をした人間は、絶対に後悔するまいと思うのではないか。
人間にとっての、
本当の意味での「最善」は、
あえて選んだ、どうなるか分からない不安の先にあるのではないか。
〈終わり〉
前回の記事の続きで、ぼんやり考えていた事をそのまま書きます。
適当に読み流してください。
↓
人間はどうすれば本当の「最善」を選択できるのか。
逆に、「最善」と思って選択したものが、そうでなくなってしまう理由を考えると、
人間は迷いや疑問を持ち、後悔できるため、
そんなとき過去に「最善」のつもりで選択したものが、あるときから「最善」と思えなくなってしまうのではないか。
そして、「あのときはそうするしかなかった」と、自分に対して必死で弁解し、言い聞かせ、あたかも「最善」であったかのような暗示をかけて、
またあるいは、
「最善ではなかった」と素直に認め、今後の糧とする事で、
自身の精神を守ろうとするのだろう。
これも全て人間が、考える事ができるからだと思う。
さて、ここまでは人間が「最善」を選ぼうとする前提での話だったが、
人間は考える事ができるため、あえて「最善を選ばない」事もできるはずだ。
もしかすると、蟻が「最善しか選べない」とすれば、
これは最も人間らしいかも知れない。
では、あえて「最善を選ばない」とは、一体どういう事だろう。
そしてこれは、人間にとっての、本当の意味での「最善」を選ぶ事に、何か関わってくるのだろうか。
〈続く〉
適当に読み流してください。
↓
人間はどうすれば本当の「最善」を選択できるのか。
逆に、「最善」と思って選択したものが、そうでなくなってしまう理由を考えると、
人間は迷いや疑問を持ち、後悔できるため、
そんなとき過去に「最善」のつもりで選択したものが、あるときから「最善」と思えなくなってしまうのではないか。
そして、「あのときはそうするしかなかった」と、自分に対して必死で弁解し、言い聞かせ、あたかも「最善」であったかのような暗示をかけて、
またあるいは、
「最善ではなかった」と素直に認め、今後の糧とする事で、
自身の精神を守ろうとするのだろう。
これも全て人間が、考える事ができるからだと思う。
さて、ここまでは人間が「最善」を選ぼうとする前提での話だったが、
人間は考える事ができるため、あえて「最善を選ばない」事もできるはずだ。
もしかすると、蟻が「最善しか選べない」とすれば、
これは最も人間らしいかも知れない。
では、あえて「最善を選ばない」とは、一体どういう事だろう。
そしてこれは、人間にとっての、本当の意味での「最善」を選ぶ事に、何か関わってくるのだろうか。
〈続く〉
