そこは、当時住んでいた北総の千葉ニュータウンと成田に行く間にあった。

時折、まだ今のように便利になっていなかったニュータウンでは得られないものを

成田のボンベルタという大きなスーパーまで買いに行った。

 

途中、宗吾霊堂とかいうところを通る。

なんでも、とりたての厳しかった年貢を減らすようお上に陳情に行って処分を受けた

とかいう、地元では恩人と祀られている人物のようだった。

 

そのそばに、変な名前の神社があった。

麻賀多、と書かれていて、まがた?まかた?と思いながら素通りしていた。

が、ある日、その前にある大きな杉の木にふと目を止めたら

どうみても、幹に顔が、、おじいさんのような男性の顔?が浮き出ている。

はじめて車を駐車して降りてじっくりと前で眺めた。

どうみても、顔だ。うーーーん、誰も気づかないのかしら。

と、思いながら境内に足を踏み入れた。

桔梗の模様が屋根にあるふつうの神社。

あの変な名前は何と読むのだろうと思って見渡したが人気もなく

聞けそうもない。

先に細い道が上がって続いていたのでついでに行ってみた。

小さな木の社が並んでいるだけ。

。。あら、右の社の中では鏡が倒れてしまっている。

たぶん、神道では、鏡がご神体とかのはず。

でも、触って直すのも憚られると見ていたら

さっと、黄色と白の本当に小さな蝶々がやってきて

私の右手首のあたりでひらひらと飛び回りはじめた。

なんだか、フツーではない感じ。

これは、やめろというのか、やれというのか、どっちなの?と思いながらも

私は手を差し入れて鏡を立てかけた。

 

以来、成田へ行く際にはそこに立ち寄って、杉のおじいさんに挨拶をして 

またあの蝶々たちが来ないかなと見まわした。

 

けれど、夏休み、息子たちの世話に追われてご無沙汰したのち

久しぶりに行ってみたら

奥の社へとの登り口に字体も乱暴に、黒い大きな字の看板があり

そこには

『危険!!立ち寄るな!』と書かれていた。

きっと、工事のためか何かだったのかもしれないと思いながらも

いやあな気がして、その神社にはそれっきりいかなくなって

やがて、千葉からは越して忘れてしまった。

 

東京で出版社に勤めて、そこが精神世界系のものをたくさん扱っていて

何かで、日月神事というもののことを知った。

何とかという画家に降りた自動書記ということで

降りた場所は神社で写生をしていた道で、佐倉の麻賀多神社と。

???で、思い出した。この変わった名前!!あの神社だ!!

よりによって、そんな場所だったのか?

辺鄙な、誰もいないところだったぞ、と。