感覚に注意を向けて違いに気づく、といっても感覚にはいろいろな種類の感覚があり、どういった感覚に注意を向けるのかということになる。

感覚という言葉を聞くと、一般的には「五感」という単語に馴染みがあり、見ることや聞くこと、味覚と嗅覚、そして触覚などの皮膚の感覚を思い浮かべることが多い。

しかし生きていくのに生物はもっと多くの種類の感覚を使っている。

解剖学などの専門書をみると、いろいろな感覚が載っている。

運動感覚、内蔵感覚、平衡感覚、空間定位その他。

これらの感覚はからだの内部的な感覚で、五感とはその性質が多少違う。

五感はからだの外部の刺激や情報を感じとる感覚で、音や画像など外部の情報を感知するための感覚。

それに対して運動感覚や内蔵感覚などは、からだの外部ではなくからだの内部もしくはからだ自身の状態や情報を感じるための感覚。

臓器の違和感や痛みというのは、からだの外部からの刺激によるものではなく、それ自体の状態がどうなっているかという感覚。

また運動感覚はからだの各部位の位置や腕などの角度、力の入れ具合など、筋肉や関節を中心とした動きの調整に関わる感覚のことで、これも外部からの刺激によるのではなく、自分自身が動いたりからだの状態を保持したりしているときに感じている感覚。

目をつぶって腕を上げたとき、その腕が肩の高さに挙げているのか肩より上の方に挙げているのかの違いがわかるのは、この運動感覚を中心とした内部の感覚による。

また鉛筆を持つときと、ペットボトルを持つときでは、力の強さや持ち方が違ってくるが、そういったことも運動感覚的なものによるもので、動きや力の調整を通常は無意識的におこなっている。

重い箱だと思って持ち上げたら、軽い箱だったりする場合などは、最初にイメージしていた力の量がズレていたケースで、人は常に力の入れ方を無意識に調整している。

そして無意識に調整しているので、その感覚的な違いにはほとんど注意を向けないし、その感覚自体も五感などと違ってはっきりしない。

それは目や耳のように特定の感覚器官があってそれが刺激を感受する、といったものとは違い、筋肉や関節やからだ全体に関わるやや広範囲の感覚であるため、感じたとしてもなんとなくの感じであることが多い。

そしてATMのワークでは、この運動感覚をベースにしてアプローチしていく。
また皮膚感覚における圧の感覚などや、立ったりしたときのバランス(平衡)感覚などにも注意を向けながらすすめていく。

なので、違いを識別する(気づく)ために注意を向ける感覚は、主に運動に関する感覚で、動きを行いながらそういった感覚の違いや変化に注意を向けることで、動きを改善しようとするのがATMのメインの手法となっている。