この際なので東京オリンピックの負のレガシーとしてすべてを明らかにしてください | 渾沌から湧きあがるもの

 

 

「アスリートファースト」とか「コロナに打ち勝った証」とか「復興五輪」とか虚しいお題目と成り果てましたね… チーン

 

この際ですから五輪関係はもちろん万博とかのお金の流れも見える化してお友達利権屋に無駄な税金使わないで済むようにして欲しいです。

 

 





 

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KADOKAWAの角川歴彦会長を逮捕 五輪汚職事件で贈賄容疑

 

 

 

東京五輪・パラリンピックをめぐる汚職事件で、東京地検特捜部は14日午後、大会スポンサーだった出版大手「KADOKAWA」の会長・角川歴彦(つぐひこ)容疑者(79)を贈賄容疑で逮捕した。事件はKADOKAWAトップの逮捕にまで発展した。

 

KADOKAWAルートで特捜部は6日、大会組織委員会の元理事・高橋治之容疑者(78)を受託収賄容疑で再逮捕し、KADOKAWA側は元専務・芳原世幸(としゆき)(64)と元五輪担当室長・馬庭教二(63)の両容疑者を贈賄容疑で逮捕した。特捜部は同日、角川会長の自宅も家宅捜索していた。  

 

芳原元専務と馬庭元室長は、高橋元理事と元理事の知人でコンサルタント会社「コモンズ2」代表の深見和政容疑者(73)=受託収賄容疑で逮捕=に対し、スポンサー選定で便宜を図ってほしいと依頼。そのうえで2019年7月~21年1月、10回で計7600万円の賄賂をコモンズ2に振り込んだ疑いが持たれている。

 

 

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高橋容疑者、KADOKAWAの五輪スポンサー選定も仲介か

…電通に「枠」新設を提案

 

 

東京五輪・パラリンピックを巡る汚職事件で、大会組織委員会理事だった高橋治之容疑者(78)が、出版大手「KADOKAWA」(東京)が大会スポンサーに選定されるよう組織委側に働きかけた疑いがあることが関係者の話でわかった。同社がスポンサー契約締結後、高橋容疑者の知人が経営する会社にコンサルタント料名目で総額7000万円を支払っていたことも判明。東京地検特捜部は、少なくともこの一部は高橋容疑者への賄賂だった疑いがあるとみて調べている。

 

高橋容疑者は、紳士服大手「AOKIホールディングス」のスポンサー契約などで便宜を図った見返りに、AOKI側から5100万円の賄賂を受け取ったとして8月17日に受託収賄容疑で逮捕された。高橋容疑者が大会スポンサーの選定に関し、複数の企業を仲介していた疑いが浮上した。

 

KADOKAWAは2019年4月、「書籍及び雑誌の出版サービス」の分野で、「オフィシャルサポーター」の契約を組織委と締結。東京大会の公式ガイドブックなどについて公式ライセンス商品の承認を受け、21年4月から順次発売した。

 

関係者によると、同社は東京大会の開催決定後、スポンサーになることを目指し、大手広告会社「電通」幹部だった高橋容疑者の知人に相談。知人からKADOKAWA側の要望を伝えられた高橋容疑者は、スポンサー枠に出版部門がなかったことから、組織委やスポンサー募集を担う「マーケティング専任代理店」だった電通に対し、出版部門のスポンサー枠を新設するよう提案した。

 

その上で、高橋容疑者はKADOKAWAを含む出版2社を候補として挙げ、1社が辞退し、KADOKAWAがスポンサーに選定された。同社は組織委と契約した翌月以降、知人が経営するコンサル会社への支払いを始め、総額7000万円が支払われたという。

 

特捜部は知人のほか、KADOKAWAの角川歴彦(つぐひこ)会長ら、スポンサー選定に関わった電通担当者らから任意で事情聴取を実施。電通側は「高橋容疑者から、KADOKAWAがコンサル会社に金銭を支払う案を提示された」などと説明したという。

 

角川会長は7月末、読売新聞の取材に対し、「高橋氏とは組織委で一度面会し、あいさつしたことがあるだけ」とし、「高橋氏との金銭のやり取りはない」と話した。

 

 

 

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「絶対に捕まらないようにします」

元電通“五輪招致のキーマン”への安倍晋三からの直電

 

 

 

 

◆「中心になってやって欲しい」

 

東京都が2016年五輪の招致に敗れ、再び次の2020年五輪招致に向けて正式に立候補を表明した約1年3カ月後。12年12月に、それまで下野していた自民党が再び政権に返り咲き、第2次安倍晋三内閣がスタートした。

 

安倍政権が肝煎りで推進した五輪招致のキーマンとなる男は、当時の状況について知人にこう話している。

 

「最初は五輪招致に関わるつもりはなかった。安倍さんから直接電話を貰って、『中心になってやって欲しい』とお願いされたが、『過去に五輪の招致に関わってきた人は、みんな逮捕されている。私は捕まりたくない』と言って断った。だけど、安倍さんは『大丈夫です。絶対に高橋さんは捕まらないようにします。高橋さんを必ず守ります』と約束してくれた。その確約があったから招致に関わるようになったんだ」

 

しかし、その五輪招致が実を結び、大会が無事終わった後、約束の主、安倍元首相は凶弾に倒れ、招致のキーマンだった男は司直の手に落ちた。

 

東京地検特捜部は8月17日、受託収賄の疑いで東京五輪・パラリンピック大会組織委員会の元理事、高橋治之容疑者(78)を逮捕した。高橋氏は大会スポンサーだった紳士服大手の「AOKIホールディングス」から総額5100万円の賄賂を受け取っていたとみられている。

 

高橋氏はゴルフを通じてAOKIの創業者で前会長の青木拡憲と知り合い、17年9月に自ら経営するコンサルタント会社「コモンズ」でAOKIと顧問契約。その後、AOKIが東京五輪のスポンサーになる過程で、便宜を図り、他にもAOKI側から競技団体へ拠出された寄付金の一部、2億3千万円が高橋氏の元に渡っていたことも発覚した。

 

贈賄側も青木前会長、実弟で前副会長の青木寶久氏や寶久氏の秘書役だった専務執行役員も逮捕された。

 

「AOKIは後発で始めたカラオケの『コート・ダジュール』や結婚式場の『アニヴェルセル』は好調ですが、肝心の洋服事業が苦戦しており、五輪の公式スーツの受注などを浮上の起爆剤にしたいと考えていた。青山の『アニヴェルセル』には会長や副会長が使うプライベートラウンジがあるのですが、そこで高橋氏や大会組織委員会の会長だった森喜朗元首相などをもてなしていたそうです」(青木前会長を知る会社役員)

 

高橋氏は、元電通専務で、スポーツビジネスに精通し、絶大なる影響力を持つ大物として知られていた。

 

だが、彼は13年9月にブエノスアイレスのIOC総会で開催都市が東京に決まり、翌年1月に大会組織委員会が発足してもすぐには理事に選ばれなかった。

 

35人目の最後の理事枠に彼を押し込んだのは森元首相だったが、高橋氏には計算もあった。五輪のスポンサー選びを担う専任代理店には4社が手をあげ、最大手の電通が指名を受けた。実質的にその下に広告大手のADKグループが入る形になったが、電通の受注に関与した疑惑を持たれないよう、高橋氏は結果を見極めたうえで理事のオファーを受けたのだ。もちろん、冒頭の五輪招致への関与に消極的だったとの発言も単なる“ブラフ”に過ぎない。

 

 

◆IOC総会に突然現れた高橋氏

 

09年10月、デンマーク・コペンハーゲン。16年の五輪招致活動に関わった幹部の1人は、雌雄を決するIOC総会を目前に控え、現地に高橋氏の姿を見つけ驚いたという。

 

「招致活動にほぼ関わっていなかったはずの高橋氏が突然現れ、票の行方を握るセネガル出身のラミン・ディアク国際陸連会長(当時)に接触し、『ラミンはアフリカの16票を纏めたと言っている』という情報をもたらしたのです。結果的に日本は敗れましたが、初めから高橋氏を頼るべきだったという後悔だけが残った。次の五輪招致は、高橋氏頼みになることは目に見えていた」

 

そして高橋氏は招致委員会のスペシャルアドバイザーに選ばれた。

 

スポーツマフィアが跋扈し、生き馬の目を抜く世界で、高橋氏が力を持ち得たのは、彼の1歳違いの弟の存在を抜きには語れない。それが「環太平洋のリゾート王」の異名をとり、バブル期に数々の伝説を残しながら、のちに「長銀(日本長期信用銀行)を潰した男」と呼ばれた故・高橋治則氏である――。

 

 

◆ペレ引退試合で頭角を現す

 

治則氏は終戦の年、1945年に父親の実家がある疎開先の長崎県平戸島で生まれた。高橋家のルーツは平戸藩の藩士とされ、母方の遠戚には元運輸相の大橋武夫や「ライオン宰相」として知られる元首相の浜口雄幸がいるという。

 

一家はその後、東京に移り住み、高橋兄弟は慶應幼稚舎から慶應高校へと進んだ。兄、治之はそのまま慶應大に入ったが、治則は一度、高校を中退し、世田谷学園に転入した後、再び大学で慶應に入り直した。2人にとって慶應人脈はその後の人生のベースになっている。治之氏は旧皇族の竹田家の次男、竹田恒治氏と同級生で、のちにJOCの会長になる3歳下の三男、恒和氏とも幼少期から親しく付き合う仲だった。

 

大学を卒業した高橋兄弟は、兄は電通、弟は日本航空に就職した。

 

67年に電通に入った兄が配属されたのは大阪支社の新聞雑誌局だった。3年後に開催される大阪万博関連の仕事で、和歌山県選出の山口喜久一郎衆院議員の秘書だった中西啓介氏と知り合ったとされる。のちに中西氏は衆院議員となり、高橋の弟、治則氏と刎頸の友となるが、最初の出会いは兄の方だった。

 

高橋氏がスポーツ事業で頭角を現したのは、サッカー界の英雄ペレの引退試合を成功させた77年だ。

 

ノンフィクション作家の田崎健太氏の著書『電通とFIFA』には、その時の様子がこう描かれている。

 

〈ペレの引退試合の話を耳にした高橋は「自分に任せてくれれば必ず成功させる」と手を挙げたという〉

 

結果、ペレの引退試合は国立競技場が超満員となる大成功を収める。噂を聞きつけたサッカーのワールドユース大会のスポンサーだったコカ・コーラ社が高橋氏を直々に指名。その後、日本で開催されるワールドユース大会の事務総長として来日したのが、ブラッターだった。彼はサッカー界に君臨するFIFA会長、アベランジェの側近であり、自身ものちにFIFAの会長に就任している。高橋氏はスポーツ界の中枢に繋がる鉱脈を引き当てたのだ。

 

高橋氏が、ペレの引退試合を成功させた年、弟の治則氏は日本航空を辞め、電子部品を輸入販売していた「イ・アイ・イ」(EIE)に入社する。日本教育テレビ(現テレビ朝日)の取締役だった高橋兄弟の父、義治氏が、EIEの再建を頼まれ、社長に就任。治則氏は副社長として実業の世界に足を踏み入れた。

 

 

◆安倍晋太郎との蜜月ぶり

 

治則氏は、日本航空時代に“北海道の政商”と呼ばれた北海道テレビの創業社長、岩澤靖の次女と結婚。結婚披露宴には後に首相に就任する三木武夫や福田赳夫ら大物が挙って出席し、政治家志望だった彼は次第に政界に人脈を伸ばしていく。

 

EIEは、円高の追い風に乗り、危機を乗り切り、業績は上向き始めた。そして治則氏は、その手腕を見込まれ、82年に協和信用金庫の立て直しを依頼されるのだ。

 

彼はそれまで培った人脈を駆使して瞬く間に10億を超える預金を集めてみせた。その中には田中角栄の金庫番で、「越山会の女王」と呼ばれた佐藤昭子の名前もあった。佐藤の元には前述した中西啓介氏が頻繁に通っており、中西を通じて治則氏も出入りするようになったという。当時、自民党の実力者だった小沢一郎衆院議員とも佐藤を通じて近しくなった。

 

その頃、治則氏と同じマンションに住み、のちに事業で深く関わった山口敏夫元衆院議員が語る。

 

「私はノリちゃん(治則氏)もハチ(治之氏)もよく知っていますよ。ハチは電通で派手にやっていましたけど、あれはEIEのカネでうまくやっていただけ。兄弟は全然性格も違います。政治家とメシを食う時にはノリちゃんを呼んでいろいろ紹介しました。安倍晋太郎とは以前から関係があったようでしたが、私のお陰で仲良くなった」

 

高橋治則氏にとって安倍晋三の父、晋太郎は政治家のなかでも特別な存在だった。治則氏と20年来の付き合いだった知人が明かす。

 

「2人は頻繁に会食をしていました。『次は自民党の幹事長になる』と治則氏が嬉しそうに話していたことを覚えています。『普通の人だけど幹事長になれちゃうんだよね』と肩肘を張らない関係だった。一度お互いに古い家系図を持って来て突き合わせてみたら、どこかで繋がっていたという話もしていた。平戸がルーツの高橋家とは遠戚関係にあるようでした。秘書として晋太郎さんに付くようになった晋三さんのことも可愛がっていて、『経済のことを何も知らないからな』と言っていろいろと教えてあげている様子でした」

 

 

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東京五輪招致で組織委理事に約9億円 

汚職疑惑の人物にロビー活動も

 

 

 

 

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角川の競合を排除「私は絶対認めない」森喜朗「天の声」音声

 

 

 

 

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