ヒトラーにたとえるのは「国際的にご法度」か | 渾沌から湧きあがるもの

 

 

 

 

ヒトラーにたとえるのは「国際的にご法度」か

https://www.newsweekjapan.jp/fujisaki/2022/01/post-32.php

 

 

<菅元首相が橋下元維新の会代表の「弁舌の巧みさ」をヒトラーになぞらえたことに対し、橋下は「国際的にご法度」と反発。世間からははとくに異議も出ず、元首相の失言であるかのように事態は収束したが、それでいいのか>

 

1月21日、立憲民主党の菅直人元首相が、Twitterで元維新の会代表の橋下徹弁護士を「弁舌の巧みさでは......ヒットラーを思い起こす」と評した。これに対して橋下徹氏は「ヒトラーへ重ね合わす批判は国際的にはご法度」と述べ、また吉村洋文大阪府知事は「国際法上ありえない」と反発した。維新の会は、26日、立憲民主党に抗議文を送っている。

 

ヒトラーにたとえて批判することが「国際的にはご法度」というのは誤りだ。

 

ヒトラーにたとえられて喜ぶ人はいないので、今回の菅元首相の発言に橋下弁護士が反発するのは当然の反応だ。だからといって、ある人物をヒトラーにたとえることが「国際的にご法度」という存在しない常識を持ち出してよいということにはならない。

 

世界中、政治家など影響力を持つありとあらゆる人物が、ヒトラーにたとえて批判されてきた。アメリカ大統領でも、ブッシュ、トランプ、バイデン。ドイツのメルケルすら、ヒトラーにたとえられたことがある。もちろん個別的な妥当性は別なので、正当な批判から安易な批判、不当な批判まで様々あるが、たとえること自体は論評の範囲に収まっている。

 

 

◆国際法上の決まりもない

 

そもそも橋下弁護士自身が、2012年、民主党政権が公約になかった消費税増税を目指していることに対して、「ヒトラーの全権委任法以上だ」と批判していた。橋下氏はTwitterで、政党の政策を批判するのと個人を批判するのでは異なると弁明しているが、そのような微細な切り分けでたとえてよいかどうかが決まることはないだろう。

 

「国際法上ありえない」という吉村知事の発言は、さらに問題がある。国際法違反というなら、たとえば「批判目的でさえヒトラーの名前を持ち出してはならぬ」という、条約あるいは慣習があるはずだ。吉村知事は弁護士資格も持っているので、もし該当する国際法があるというのなら、具体的に指摘するべきだろう。

 

さらに問題なのはメディアだ。この「国際的にはご法度」という根拠のない発言について、ほとんどのメディアは無批判に垂れ流すだけであった。テレビではコメンテーターがよく調べもせず、「国際的にはご法度」を当然のことのように発言していた。繰り返すが、発言の当否については様々な考え方がある。よく言った!という人もいるだろうし、的外れだ!と考える人もいるだろう。しかしヒトラーにたとえたこと自体が菅元首相の非であったことになる。

 

ヒトラーへの言及そのものが国際的に禁じられる場面もある。それは、ヒトラーやナチスをたとえ部分的にでも肯定するような発言だ。「ヒトラーやナチスは良いこともした」「ナチスの手口に学んだらどうか」といった発言は、政治家であれば即座に辞任ものとなる。

 

また、ハーケンクロイツを掲げるような政治団体と懇意にしている場合も大きな批判の対象となる。

昨年の自民党総裁選に出馬した高市早苗候補は、2014年、ネオナチ団体の代表とツーショット写真をとり、また1994年には『ヒトラー選挙戦略』という本に推薦文を書いていた

 

批判対象をヒトラーやナチスでたとえるのは、ヒトラーやナチスが悪いものであることを前提にしているのだから、それほど問題にはならない。ただし、ヒトラーやナチスに別の悪いものを対置することで、ヒトラーやナチスの犯罪を相対化することは許されない。

 

 

◆「ヒトラーを思わせる」は論評の範囲

 

1980年代にドイツで起こった「歴史家論争」は、この問題に関わっている。ヒトラーはユダヤ人虐殺を行ったが、スターリンも多くの人々を虐殺した。従ってナチスは悪かったとしても、ソ連と戦ったドイツ国防軍には理がないわけではなかった、という主張をドイツの数人の歴史家が主張し、他の歴史家たちによって厳しく批判された。実際はナチス党だけでなくドイツ国防軍も様々な犯罪行為に加担しており、ソ連の虐殺との比較はドイツの戦争の擁護であり、ひいてはナチスの犯罪の相対化につながるとみなされたのだった。

 

菅元首相の発言は、少なくともそのような相対化を目指した発言とはいえない。ヒトラーの弁舌がドイツを破滅に追いやったことへの危惧から、維新の会の政治に反対する立場として、橋下弁護士の弁舌に同様のものを感じとった、ということだろう。

 

そのような危惧が妥当かどうかは論者の立場によって分かれるだろうが、これは論評の範囲内といえるだろう。少なくとも党が前面に出てきて対応する問題とはいえない。

 

ところで、「国際的にご法度」なことを避けたいという維新の会の考え自体は正しい。維新の会に限らず、あらゆる政党人は当然国際感覚を持つべきだからだ。しかしそうであるなら、まずするべきは、ヒトラーやナチスを肯定的に扱うような発言を批判し、維新の会であれ立憲民主党であれ、自分たちの政党がナチスにならないために注意を払うことだろう。

 

ナチスやヒトラーは確かにデリケートな問題で、軽々に発言してよいというわけではない。しかし一方で、腫れ物に触るように全く触れてはいけないというのもまたバランスを欠いている。負の歴史をしっかりと見つめることで、現在への教訓になるからだ。その意味で、政治家もメディアも、正しい国際感覚を身につけておくべきなのだ。

 

2017年、「ナチスの手口に学んだらどうか」と発言した麻生太郎財務相(当時)の発言を、当時維新の会の代表を務めていた橋下氏は「憲法改正論議を心してやらなければいけないというのが(発言の)趣旨だったのではないか」と擁護した。本来はこの発言こそ「国際的にご法度」なはずだったのだ。今回攻撃されたのは橋下氏自身なので強く反発するのは理解できるが、過去の発言との重さの違いの整合性は問われるだろう。

 

また、ある維新幹部は、「立民が逃げ回るならば党本部に乗り込む。維新を怒らせたらどうなるか徹底的に思い知らせる」と述べたという。国際感覚では、こうした発言こそナチスの突撃隊のような準軍事組織を想起させるものであり、「ヒットラー発言」への批判をしたいなら絶対にしてはならないコメントだろう。

 

 

 

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菅直人議員のヒットラー発言を批判するテレビ番組の歪んだ国際感覚とメディアリテラシー

 

 

 

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