「 誤解」と言わせないための稲田朋美入門  ~ハチ公前に来たお前の「誤解」だ~ | 渾沌から湧きあがるもの

「 誤解」と言わせないための稲田朋美入門

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森友学園問題や南スーダンPKO日報問題、さらに今回の「誤解」問題と、

連日マスコミを賑わせている稲田朋美防衛大臣。

もはや何を謝っているのか、または謝る気があるのかさえわからない答

弁に、辟易している人も多いはず。

そもそも稲田大臣の何が問題なのか、「誤解」が起きないように、武田砂

鉄さんが読み解きます。

 

 

●まるで他人事のように繰り返すばかり

 

自分たちだけよければよい。

 

勝つためには手段を選ばない。

 

嘘をついても責任は取らず、傲慢なのに国民におもねり、テレビ映りを気にして、いかにすれば

自分が誠実で有能に見えるかばかり考えている政治家たち。

 

政治主導って本当は政治家が責任を取ることですよね。

責任を取らないで、官僚に責任をなすりつけておいて、官僚に任せない。

 

最近では眼がガラス玉のようになってきて、

「信じてもらえないかもしれないけれど、知らなかった」とか、

「なぜこんなことになったのか、私も知りたい」などと、まるで他人事のように繰り返すばかり。

 

と、ここまでの見解に対し、大半の方に、おぉ武田、全くその通りだよ、と思っていただけたのではないかと思うのだが、前段落は武田の見解ではなく、全て稲田朋美防衛大臣のこれまでの発言で構成されております

(「~考えている政治家たち」までが稲田朋美『私は日本を守りたい』。

「~官僚に任せない」までが女性国会議員9名×加藤清隆『時代が登場をうながす女性宰相待望論』。

以降が『渡部昇一、「女子会」に挑む!』)。

 

 

●ハチ公前に来たお前の「誤解」だ

 

都議会議員選挙の応援演説で「自衛隊としてもお願いしたい」などと発言した稲田大臣に批判が

集中すると、その後の会見で「誤解」という言葉を35回も連発して釈明した。

 

「防衛省・自衛隊・防衛大臣としてお願いしたい」と発言したことに対して、「私としては、防衛省・自衛隊・防衛大臣としてお願いするという意図は全くなく、誤解を招きかねない発言であり、撤回をしたということであります」と答えてみせた。

 

近年稀に見るパワフルな釈明である。

 

友人から「渋谷・ハチ公前・17時集合でお願いしたい」というLINEを受け取り、その時間に合わせてハチ公前で待っていたところ、「私としては、渋谷・ハチ公前・17時集合とお願いするという意図は全くなく」と新宿のアルタ前から19時にLINEがやって来たら、おおよその友情は壊れると思う。

 

でも、稲田理論では、それはあくまでもハチ公前に来たお前の「誤解」だというのである。

 

「誤解されかねない発言」という言い方を、政治家は頻繁に使う。

自分の発言が間違っているわけではない、でも、理解力が無いメディアや有権者が誤解しちゃいそうだから、撤回しておきますね、というもの。

 

受け取る側の能力不足を匂わせることで、自身の失言自体をうやむやにする。

 

しかし、「防衛省・自衛隊・防衛大臣としてお願いしたい」という発言を「私としては、防衛省・自衛隊・防衛大臣としてお願いするという意図は全くなく」と切り返すのは、さすがに誤解の限界を超えている。

 

もはや、誤解の新境地である。

 

 

●「『その国のために戦えるか』が国籍の本質」

 

説明不足ですみません、と陳謝したわけだが、説明はまったく足りている。

 

これほど説明が100%済んでいる発言も珍しい。

 

そもそも、誤解とはどういう状態・思案を指すのだろうか。

 

折角なので、引き続き稲田大臣のこれまでの発言から引用してみよう。

 

「左翼がこれまで進めてきた教育は、戦前の反省を口にしながら、子供たちに日本人としての自覚を失わせ、国を憎ませ、父母や祖父母に軽蔑、憎悪の念を抱かせることを企図してきました」

(渡部昇一・稲田朋美・八木秀次『日本を弑する人々』)

 

閉口する。

 

これまでの教育は、父母や祖父母に軽蔑・憎悪の念を抱かせてきたらしい。

そして、かつての日本が諸外国に対して行った行為を反省することは、彼女らにとっては「父祖の創り上げた国を弑虐する行為」なのだそう。

 

反省することがいつの間にか弑虐(しいぎゃく)=「臣下・子など目下の者が、主君や親などを殺すこと」(デジタル大辞泉)に飛躍していく。

 

そう、この飛躍こそが本来、「誤解」と呼ばれるものだ。

 

「『その国のために戦えるか』が国籍の本質」(同書)なんて発言もあるけれど、もはや誤解というか曲解というか、曲芸の部類である。

 

 

●「政治家ってそういうもの」という達観

 

持論の補強のために異なる要素を出すと「誤解」と片されるので、今回は徹底して稲田大臣の発言のみから引っ張るが、夫婦別姓運動は「秩序破壊運動に利用されている」(『私は日本を守りたい』)くらいの発言が、彼女を取り巻く人々の中ではいくらでも繰り返されてきた。

 

闇雲に国益を優先する人達は、主張する一個人をすぐに「何でもかんでも権利を求める個人」と規定する。国の力を膨らませる・取り戻すために、個人から放たれる申し出や問いかけを「誤解」と片付ける。夫婦別姓運動を秩序破壊運動、とするスケール感は、まさしくその象徴的な例だと思う。

 

昨今の政治家について「まるで他人事のように繰り返すばかり」と嘆いていた稲田大臣は、まるで他人事のように「誤解だ」と35回も繰り返した。

 

政治家の言葉が軽い、との印象はずっと続いており、ともすれば順番が逆転して、言葉が軽いのが政治家、との印象に落ち着いている感すらある。

 

それが「政治家ってそういうもの」という達観に到達すると、今度は政治家の失言について「いちいち指摘するメディアってどうなのよ」とメディア批判に励むのが、有権者にとって少々の快感にもなってしまう。

 

稲田大臣が「(メディアや有権者に)誤解されかねない」と連呼しとけば乗り越えられると踏んだのも、その手のメディア批判を予期してのことだったはず。

 

ふざけるんじゃない、と思う。

 

いちいち指摘するべきだ。

 

なので、とってもシンプルな結論を繰り返し投げる。

 

都議選を挟んでなぜだか議論が萎んでいるけれど、稲田朋美防衛大臣は辞めるべきだ。

 

 

以上、ワダアキ考 〜テレビの中のわだかまり〜

https://cakes.mu/posts/16802

さんより転載させていただきました

 

 

 

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