感謝が足りないと言われたことがある、
『ありがとうございます』と
いくら口だけの感謝の言葉を口にしても、
もしかしたら相手には、口だけとわかるかもしれない。
それに、口だけの感謝をしている自分に
自分が心がこもっておらず、口だけということを何より一番知っている。
今ならわかる。
感謝は湧き上がってくるものだというけれど、本当に湧き上がってきて、ありがたいなって気持ちになって、泣いた。
2.3日前に、継続的な寄付をしようと寄付先を調べていたら、ワールドビジョンジャパンのページに行き当たった。
そしてその広告を見て、私たちが当たり前だと思って過ごしている日常が、あの子達にとっては夢のような世界であることを知った。
綺麗な水が飲める。
保育園や幼稚園といった幼少期から、学ぶ機会が与えられている。
安心して住める家がある。
大好きな家族がいる。
それなのに私は、まだ足りない、まだ足りないと足りないものばかりに目を向け過ぎて、当たり前にあると思っている物事に感謝すらしてこなかった。
今朝いつものように、瞑想CDを聴きながら瞑想していたら、ふと私の両足が不自由になり車椅子生活をしている様子が浮かんだ。
車も運転できず、子供を保育園に送ることも出来ない。
近くに住んでいる祖父母にお願いしようにも、自分から行けないので毎日子供を迎えに来てもらう。
家事をすること、料理をすることすらままならない。
お風呂だって、今までみたいに子供と入れない。
むしろお風呂に入るのも介助が必要かもしれない。
買い物は車椅子に乗って、近くのスーパーになんとか行けるかもしれない。膝の上に籠を置いて。
でも高いところや奥の商品が取れない。
レジに並んでも、自分でレジ台に籠を移動できない。
祖父母に感謝。スーパーの店員さん。
何より旦那や子供に。そして関わる人全てに感謝の気持ちでいっぱいになり、涙が出て来た。
他人に迷惑をかけてはいけない。
そういう観念が私にはあった。
そして今もまだあるかもしれない。
だけど、車椅子の自分にはやりたくても出来ないことが多いから、みんなに迷惑をかけまくっても、お願いするしかない。
そんな私が出来ることは、ありがとうと心から感謝すること。
五体満足で生まれ、当たり前のように手足も動く。
私の通っている整体の先生に、自分の体に『ありがとう』と話しながら、撫でたり、教えてた体操するといいよ。と言われた。
口酸っぱく。
だけど、自分の体に、ありがとうだなんて。
と、恥ずかしいと思う部分があった。
車椅子の自分をリアルに感じたことで、
当たり前に動いてくれる手足のおかげで、車に乗れ、立って料理や掃除も買い物も出来ているということを改めて思った。
それをありがとうと言わず、なんと言うんだ!と。
車椅子の私の夢は、
子供と一緒にお風呂に入ることや遊んだり、立って料理をすることだった。
まさに五体満足の私は、その夢を叶えている現実を生きているではないか。
生まれてから、当たり前と思って見て来た光景は、どれ一つなくても困る、まるで奇跡のような日常だったのだなと、涙ながらに思った。