人生 死に対する前提/いのちへの理解を深める | 目覚めて生きる!喜び無限大∞

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愛・自由・喜び・豊かさ・叡智
無限の可能性である自分の本質を知り
その自分を大いに発揮して生きましょう♪

先日、友人が

「気づくべきことを気づかずに

やりのこして死んで、すべてが

リセットされてしまって、また、

もどってきて初めからやり直さなくては

ならないなんて、まっぴらだし

もう、もどってきたくないから、

スピリチャルな追求をしている・・」

というようなことを話していました

 

スピリチャルな領域

意識である自分の大部分の領域への

気づきを深めていくことの動機が

何であれ、自分という意識の本質への

気づきが深まることは、

 

喜びであり、より大きな自由を

与えるもので、友人もそれを実感

しているからこそ、追求し続けて

いるようですが、

 

死について、また、人生に

ついての信念、前提が、

役になっていないようでした

 

いわゆる、身体を持って

この次元を経験することが

苦難、試練、であり

 

なんらかの及第点のような

ものがあって、やりのこしが

あるなら、

 

この同じ「わたし」だと

思っている個人としての意識を

もって、

もどってきて、

はじめから、

合格できるように、試練を味わいながら、

やりなおさなくてはならないなどなど

 

過去、現在、未来と

直線的に時間を捉え、

さまざまな制限や不足が

存在するかのように認識する

三次元的な考えを土台にして

 

非物理次元や、いわゆる、

身体を脱いだ後の意識について

捉えることは、

 

たいてい、そういった、

怒りや、フラストレーションなど

ネガティブな感情を引き起こす

ものです

 

それらの考えは、さまざまな

人々の口から表現されたり

また、書物、映画などなどを通して

見聞きしたりして、

 

無意識にそういうものだと

鵜呑みにしたり、受け入れたり

しているかもしれませんが

 

いつでも、それも、ひとつの

見解、考えであることを

思い起こすことができます

 

非物理次元、形として

現れてきていない事柄、

 

いわゆる、

スピリチャルなことというのは、

 

五感で見聞きし、触れたり

できないからこそ、

 

不確かに感じて、

誰かの言葉や情報、

長年、言い伝えられてきた考えや

宗教の概念などを

自分のものとして、受け入れて

しまいがちであるかもしれませんが

 

それこそ、あいまいであり

不確かであり、いってみれば、

誰も答えを持っていない、

わからない、からこそ

 

それぞれが、人生を通して

「生きる」ことを通して、

「生」「いのち」の本質に気づいて

いく、センスし、感じ、確かめ

ていくことをとおして、

 

悟っていく、知っていく、

答えを受け取っていく、ことが

できるわけです

 

意識である自分は、多次元であり

無限であるからこそ

 

ヒトが思いつくことができる

ことは、すべて、在るのであり、

 

どう人生を捉え

身体を脱いだ後の状態を捉えようと、

自由であり

それぞれが、そうだと受け入れ

信じたとおりに、経験されて

いくからこそ

 

何を前提にして、

何を土台にして、

物事を捉えているのかに

 

気づくことはとても

大切であるわけです

 

そして、最も、確かな道は

あらゆる、イメージ、考え

あらゆるバージョンのパラレル

ワールド、次元、存在

あらゆる波動を生み出している、

源に向かうことであり

 

その何も無い、かつ、

すべてが在る、自由な

意識の領域にアクセスして

みることです

 

つまり、マインドを鎮め

あらゆる思いをリセットして

 

時空を超えて「在る」

わたし、永遠である、いのち

という本質を感じてみること

 

意識である自分が、それ自身に

気づいていっているという動き

 

さまざまな

考え、イメージを通して、

さまざまな物理次元での

形の経験を通して、

さまざまな

波動に触れることを通して、

 

意識である自分が、

それ自身に気づき、経験して

いることを思い起こし、

 

何を選んでも、何を信じても

何を真実だととらえても、自由であり

そのとおりに経験されていく

ユニークな創造を生み出す力である

ことを思い起こすことです

 

自然界を見ても、その本質の

エネルギーの愛と叡智は明瞭であり

 

波動、意識、エネルギーは、

満ち満ちて不足は無く

失う、損ねる、無くなる、ことは

ないからこそ、

 

そこには、失敗、後悔は無く

ひたすら、創造、拡大、進化

の動きがあり、その動き、

エネルギーの流れは、

 

明らかに、この身体を通して

「喜び」「快」として感じられる

ものです

 

個人としてあらわれてきている

自分の意識も、

 

多くの人には、形という実体として

とどまっているように見えても

 

実際、一瞬、一瞬、

変容し、動いているエネルギーであり

 

身体という形を

超えて、ピクセルのように、

粒子の動きとして見えたり

 

さまざまな物体も、幾何学

模様のように見えたりする

ヒトもいるわけです

 

いってみれば、あらゆる

形として現れてきている

ものは、マインドが生み出した

イメージであり、

 

マインドに浮かぶ、言葉

考え、イメージといったもの

すべてが、意識が生み出した

イリュージョンのようなものである

わけで、どれも、来ては去る、影の

ような、不確かなものであるわけです

 

フォーカスし、関心を注ぎ

考え続けたり、語り続けたり

エネルギーを注ぐほど、

それは、形をおびてきて

よりリアルに、確かに感じ

経験されていくもので

 

そのように、

この二元性を経験する

物理次元を用いて、

物理次元にフォーカスする

意識を用いて、

 

意識である自分が、

それ自身に気づき

経験し、楽しんでいるわけです

 

 

そんな永遠の意識のダンス、動きを

楽しんでいる、いのちの本質を

思い起こすなら

 

人生や、物理次元の経験を

修行やら苦難のように、

ネガティブに捉えたり

 

死についてや、

身体を脱いだ後の意識について

などに対して

 

強制されたり、裁き

罰を与える何かがいるように

恐れたりするのも

 

それは、ただ、物理マインドが

慣れ親しんできた波動の癖の

想像、創造物であり

 

ネガティブに感じるなら

本質的な流れには沿っていない

と気づいて

 

それを自分のものと

し続けなくていいことを

思い起こすことができます

 

すべては、源から、起こってきて

存在の本質、純粋な意識の動き

愛と叡智のエネルギーという本質が

土台となって生み出されて

きているからこそ

 

イメージ、考え、概念を含めた

あらゆる形として

あらわれてきているものは

 

そのビーイングを根底にした

いのちの創造、表現であり

 

死という概念、身体を脱ぐ経験も

同様に、いのちのひとつの表現、

創造であるわけです

 

いのちという、永遠の

セレブレーションの本質をセンス

しつつ、

 

日々、その波動と共鳴しない

さまざまな考え、概念、

信念に気づき、識別し、

 

いのちそのものである自分

いのちの創造であるすべてを

謳歌していきましょう~