殺生・矛盾/愛と知恵を深めていく | 目覚めて生きる!喜び無限大∞

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愛・自由・喜び・豊かさ・叡智
無限の可能性である自分の本質を知り
その自分を大いに発揮して生きましょう♪

わたしたちの本質は

無条件の愛であるからこそ

 

さまざまな生命体に対して

その形を通して

その美しいいのちの本質が

より大きく輝くことを願うものですよね

 

特に、身近な愛する存在

人間に限らず、動物・植物などの

いのちの形が、

はぐくまれ、成長し、その可能性を

発揮し、美しく喜びの光が

輝いて生きることを望み

 

そのための役に立つことができる

なら、うれしいものです

 

そんな拡大成長はぐくむこと、

分かち合うこと、より大きな可能性を

引き出し、喜びの光が大きくなるような

パワフルな創造エネルギーは、

 

いのちという私たちの

本質の純粋なエネルギーであり

 

それを「愛」と表現するかと思います

 

そんな「愛」のエネルギーに

促されて生きるありさまは、

美しく、インスパイヤリングで

 

それこそ、自身の本質を

思い起こさせられるからこそ

力を感じるものです

 

わたしたちは、日々

さまざまなコントラストを

経験することを通して、

 

より大きな愛と自由の光が

発揮されていくよう、意識が

ひろがり、より高い波動へと

アクセスしていく経験をしているわけですが

 

時に、単にコントラストというよりも、

その愛や自由が

侵害され、阻まれ、ゆがめられるような

 

物理マインドから考えるなら

矛盾とか、理不尽ともいえる

事柄を、わたしたちは多々遭遇します

 

ひとつのよく、耳にする例は

殺生して生きることなどです

 

たいてい、殺生というと、動物を

指すかもしれませんが、

 

何を「殺生」とするか、

また、どう意味づけるかは

その人の属する集合意識や

個人の価値観に

よってかなり左右されているものかと

思います

 

形としての生命体の現れを

大きく分けて考えてみるとき

 

たとえば

第一密度と呼ばれる「在る」という

意識状態

土や水などのエレメントや石などの鉱物

 

第二密度の源へ向かう・生長していく意識

状態の、植物や野生動物の生命体

 

また第三密度と呼ばれる

セルフアウェアネス・自己認識が

備わっているヒト・また、その意識に芽生えて

いるペットなどの生命体として

とらえてみるなら、

 

たいてい、第二密度、第三密度の

生命体に関して、「形が変わること」「殺生」

といったことにチャレンジを感じるものです

 

 

実質的には、いのち・意識でないものは

なく、すべてはいのちであり、

 

ひとつの意識・命の形としての

細胞をとらえてみても、常に、死と再生が

繰り返され

 

さまざまな物理次元での形の

移り変わりは、

意識であり、そのダンス、動きを、

経験しているととらえることができる

わけですが

 

わたしたちは

「死」という言葉を通して

感じる「失われる」無くなるという

不足のエネルギーにフォーカスした

とらえかたをすることに慣れてしまって

いるので、

 

そこから、真に、

「いのち」という本質と

その流れを感じたり、その神秘

無限さ、永遠さ、美しさ、すばらしさ

 

広がりと拡大の喜びの本質

無条件の愛と無限の叡智と

創造の豊かさに気づくことをふさいで

しまいがちであることかと思います

 

 

すべての事柄は、意識をひろげ

それぞれの本質への気づきと

いのちの豊かさ・愛・叡智に

気づかせる機会であり

 

 

「死」に関する事柄は、

最大の恐れ・不足のエネルギーが

現れることであり

もっとも、目をそむけたくなる闇で

あるからこそ、

 

それを通して、真に、「いのち」に

自身の本質に目覚める機会と

なるものかと思います

 

形あるいのちを尊び、愛し

はぐくみ、大切にしていくことと

矛盾しているように思える

 

ような状況や物事、また

「殺生」して生きることとといった

事柄に直面するとき

 

わたしたちは、物理次元・表層意識を

超えた、より深いリアリティーへの

気づきが促され、

 

より深い無条件の愛と

より大きな叡智をさぐる機会と

なるものかと思います

 

形として現れている部分も

実際は、エネルギーであり、常に

変容しているのであり、

 

同時に、エネルギーは失われたり

なくなったりすることはなく

 

個として物理次元で認識された

そのユニークな美しいエネルギーは

いつでもアクセスできるだけでなく

 

そのエネルギー・その存在は

ひとつの形に制限されることなく

より自由に物理次元の創造に参加

することができ

 

形の上での「死」は、本来の自分

大きないのちに入ることであり、

 

また、新たな形への機会でもあることを

思い起こすことができ

 

かつ

 

すべての「死」は、大きな意識である

自身を含めてとらえるなら、自ら選んでいる

ということを、思い起こすことができます

 

わたしたちは、まさしく

ひとつの意識、ひとつのいのち

ひとつのエネルギーであり

 

それぞれは自由意志のうちに

愛と叡智のうちに、形として

転生していること

 

この地球という惑星の

特定のタイムライン、特定の集合意識へ

転生することは、

 

当然、殺生も同意のもとであり

どのような役割を果たし

どのような「死」を経験するのかも同意の

もとで、

 

あえて、物理次元の経験にわくわく

して飛び込んできていることを

思い起こすことができるかと思います

 

特に、第一密度(在るという意識)、

第二密度(生長する意識)

の存在にとっては、

 

自己認識という、第三密度のヒトや

ペットとして転生している存在のような

意識でないからこそ、

 

ヒトとしてのわたしたちが

一般的に認識するような「死」ではなく

 

より大きないのち、すべてである意識

と調和している、大きな「恵み」が

伴っているものであるかと思います

 

その「いのち」の本質

愛と叡智の豊かな創造エネルギーの

流れをブロックさせ

 

あたかも、そこから切り離された

かのうような、分離のエネルギーからの

創造、

生命体の自由をうばい、むやみに殺し

コントロールするような、ふるまいを

見聞きしたり、

 

殺生だけでなく、さまざまな

環境問題といったことを含めても

「理不尽」「生きていくための矛盾」

と思えるような、

物理次元でのありさまに直面するとき

 

そのうちに

全き善・全き愛・全き知恵を認め

無限の可能性に意識をむけ

より高い波動にアクセスし続け

示されたことを行動し続けることには

 

まさしく「強さ」「力」が必要であるかと

思います

 

恐れること・落胆すること・無力さを感じ

非難すること・戦うこと・ネガティブに

なることは、より簡単であり、

慣れ親しんでいるからこそ

 

さまざまな物理次元のコントラスト

によるチャレンジに直面するときには

余分の力が必要であり

 

それにはやはり、真の力

源につながらざるを得なくさせるものです

 

そんなときこそ、

 

「思いを休め・てばなして」

今、ここのうちに、静まり、安らぎ

ただ、純粋ないのちのエネルギーを

感じるままに、自分につながることを通して

力を見出すことです

 

何であれ、いつでも

 

すべては、愛と叡智のうちに

生み出され、取り計らわれていて

 

何事も、それぞれの存在の同意

と自由意思なしには起こっていないことを

 

思い出すことと同時に

 

この物理次元で、

ご自身の意識の内に、必要な気づきを

与えるために、現れてくれていること

 

そして、その現れはいつでも、

自分バージョンのものであり、その存在の

一側面であることを思い出し

 

感謝と畏敬のうちに

より大きな愛と知恵・光にアクセスしていく

という自分の分を、謙虚に果たして

いきましょう~

 

 

殺生すること・食べることに関していうなら

何を食するにしろ、いつでも、深い感謝と

愛と喜びのうちに、

 

それぞれの、もっとも、そのときに感じる

抵抗のないハートの導きに促されて、食する

ことが、大切かと思います

 

それぞれは、全体へ

全体は、それぞれに寄与しているからこそ

 

肉を食するにしろ、野菜を食するにしろ

身体をもって存在していくうえで

 

~すべきだと自分や互いを裁くかわりに

自身とのつながりにフォーカスし

 

それぞれが、そのときの、

愛と叡智の喜びの流れを感じ

促されて生きることを、大切にしていきましょう

 

より詳しいことは、音声で~

・・・音声はこちら

http://goo.gl/QZva4z

 

 

自分を知り自分を生きる
スピリチャル実践アカデミー
http://fujimiwa.jimdo.com/