ここ最近はあまりにも怒涛の展開で、私生活がしっちゃかめっちゃかになっていました。
ハートおそるべしですね。
ハートに空間ができてから休まる日々がほぼなく、かなり不安定の状態でしたが、ようやく希望の光が見えてきています。
ハートとはなんて素晴らしい愛の装置なのか、かなり感動しています。
そこを開くにはやはり脳ではなくハートで生きることが重要になってきます。
ハートには絶対的な愛と信頼の大元のエネルギーとつながっているコードのようなものがあります。
それを何度も切って、また何度でもつながるようなトレーニングをかなりのスパルタの状態でやっていました。(たぶんガイドにやらされていた)
その間に前世を見たり、大元の愛の場所を感じ始めたり、かなりの大きな気づきもありましたが、そんなことがしょっちゅう起こるのでもうここに書き切れません。
大事なことだけ書いていきます。
ある時わたしの精神というか内側の世界が変わり始めました。意識の中のどこかにフォーカスすると、すごい勢いでその箇所が増大し出すのです。
ネガティブになると、この世の終わりのようになり、ポジティブになるとすぐに幸せが訪れるような、まさに起伏が激しい状態でした。
外部の波動によりそのようなことになるのは経験済みでしたが、内部にそのように踊らされるのはかなりきついものがあり、遮断することがどうあっても不可能な内部との付き合いは、まさにスパルタのような修行の日々でした。
絶望から希望、希望から絶望の両極を毎日のように行ったり来たりするほどでした。
しかも徐々に短いスパンで針が振れるようになるので、四六時中何度も何度も不安定になるような状況に、かなり疲弊していました。
そんな中仕事で仲間とやり取りをしている際に、突然にハートが目覚めた感覚がありました。
無意識的にわたしが一定のエネルギーを放出し、周囲と同調させているような感覚が見え出しました。
周囲の人のコードを見つけ出し、それを引っ張り出して自分のコード=大元の愛とつなげる作業工程をくっきりと感じられたのです。
それにより相手からハートのエネルギーが返ってきて、またわたしのハートが開きます。
みんな大元とつながることが目的なのですから、それ以外の循環は起こす必要がないのです。平和しかないのです。
ハートにつながる促しをすると、たちまちハートのコードがつながり、そこをエネルギーが流れていきお互いが安心と平和と幸福などに包まれます。
つながったコードを伝わって、それぞれの愛のエネルギーがコードを介することで何倍にもなってそれぞれに返ります。
何て体にいいのでしょうか。笑
そのようにして信頼関係のようなものが築かれて行くのを感じました。
これは言葉ではなく感覚で理解するものなので、説明はしきれないかもしれません。
誰か1人が大元のハートのエネルギーとつながっていれば、そこから永遠の愛の循環が起きるのです。
人種性別年齢なにもかも関係なくそのコードは存在しています。そして誰とでも何人とでもつながることが可能です。多ければ多いほど何倍にもなって返ってきますし、大きなチームになります。
そのコードは子供や動物などは苦もなくつながることができるし、とてもシンプルなので誰にとっても全く難しくはないのです。
ですがこの世の中では社会自体がコードと切れているで、つなぎ直すには少々コツがいるのだと思います。
常に常にハートとつなぎ直す作業をすることが、コツだったのですね。
つなぎっぱなしではなく、切ってつなげて切ってつなげて、をひたすら繰り返すのです。
不安定こそがゆるぎない愛にするための、確固たる安定の鍵なのです。
しかし簡単に大元、と言いますがその大元がどこだかさっぱり分からず実はかなり苦戦したのです。
わたしは環境的にハートが安定しない状態で育ってきたので、人より幸せや安心などがわからない状態が当たり前でした。
その中で大元とつながるのはかなりのハードモードなトレーニングでした。
ここ最近はハートチャクラに集中することを毎日試みたら、ハートが開き出し、幸せがハートから芽生え、そこら中の全ての中に神がいることを感覚で理解しました。それもかなりの感動ものでした。
しかしそもそもハートに集中できるようになるまでが難しく、最低限の心の安定が必要になるのでそこまでを保つのも難しく、何度も泣いて何度も体調を崩し、うまくいかないので何度も人に八つ当たりをしました。笑
もう人としてダメダメです。
ですから周囲の人からの愛もしっかりと受け取ってハートを安定させることも大切です。
ハートの悟りというものは、1人では到達できないのではないかと予想しています。
これからいかにこの循環を周囲と大きくしていかが、ハートの悟りの肝になるのだと感じています。