先日動画フォルダーを眺めていたら、フォルダーの底の方の隅っこに見覚えのないファイル名を発見。
見てみるとなんと松浦亜弥さんが歌ってるではありませんか。
わたしのフォルダーなので松浦亜弥動画があって当たり前なのですが、全然覚えのない忘れ去られていたこの動画にしばし見入っていました。



(マイチャンネルにアップ)


なんとなくですが、動画の存在を忘れていた理由が分かりました。
この曲が松浦亜弥さんにしっくり来ていないからだと思います。
どうも歌いにくそうですよね。

この曲は山口百恵さんに宇崎竜童/阿木耀子夫妻が提供したものですが、大人のこわもて女性を想定した歌詞内容でやはりドスの効いた低い声が合うのかと思います。
曲調が低い音が中心なので高音が持ち味で細い歌声の松浦亜弥さんには苦しい楽曲ですね。
それに歌詞内容が松浦亜弥さんの当時のあややキャラとは程遠いし。

最高の松浦亜弥を知っている者としては、見ていてちょっと辛くなってきます。




この松浦亜弥さんは顔付からいって18-9歳くらいだと思うのですがどうでしょうか。
方や山口百恵さんはこれで19歳です。
同い年だからと言って歌わされたとしたら不幸なことです。

さすがの天才松浦亜弥にも苦手な楽曲はあるのは確かで、何も無理して歌わなくても良かったんじゃないかと思います。番組の企画だから仕方ないとは言えね。
その意味で、天才松浦亜弥失敗の巻きとして貴重で希少な歌唱シーンになるかと思います。
永久保存版です。

しかし何といっても百恵ちゃんの存在感は半端ないです。
わたしはほんとうに百恵ちゃんが好きでした。
それも歌手としてではなくて女性として大好きでした。

ですが小学低学年のわたしにとっては手の届かない憧れのお姉さんでした。
当時わたしは好き過ぎて百恵ちゃんの弟になりたいと真剣に考えていました。
実の姉貴を横目で見ながら、自分は本当は百恵ちゃんの弟でこの家に預けられているんだもうすぐ迎えに来てくれるんだと本気でその状況を妄想しているような子どもでした。
大人になってこの百恵ちゃんへの想いを友人に話したところそんなファン心理は考えられないとバカにされた記憶があります。
恋人ではなくお姉さんになってほしいと思うほどの子どもでした。

ファンになったきっかけは実の姉(百恵ちゃんではなく?!)に連れて行かれて観た百恵ちゃん主演の映画「伊豆の踊子」でした。
湯場から裸のままで飛び出し主人公役の三浦友和に手を振る場面は子どもにとってはあまりにも刺激的でいまだに脳裏に焼き付いています。
この映画からも伺い知れましたが、デビュー当時の百恵ちゃんは可愛くて無邪気でそれでいて気が利いて頭が良くてみんなから好かれている綺麗なお姉さんでした。

しかしながら晩年(まだ二十歳前後ですが)の大人路線の楽曲は、子どものわたしには難解過ぎて歌を聴かなくなってしまいその結果だんだんと百恵ちゃんから遠ざかってしまいました。
そのため、引退ラストコンサートの名シーンを感動を持って見ることが出来なかったのが今になって思えば本当に悔いが残っています。
あのマイクを舞台に置いてステージを去っていく名シーンが自分の中にしっかりとした感動の基にないのです。
山口百恵ファンだった者としてはこれは大失態の極みなのです。
今では悔いても悔い切れない事実としてわたしの中に残ってしまいました。

ネットで検索すると現在の百恵ちゃんのお姿を見ることが出来ます。
もうすっかり肝っ玉母さんにおなりになり、京塚昌子さんかと見間違えるほどの貫録をお持ちになりました。
人生悔いなし、でしょう。

思い付きで書き殴って申し訳ないですが、もうひとつ。
わたしは芸能人が引退する時は、ファンのみなさんあるいは世間のみなさんにお礼方々そのご挨拶の機会を作るものだと思っていました。
キャンディーズしかり都はるみしかりそれなりに名を持つ歌手はそのイベントをするのが当たり前だと思っていました。

だから、松浦亜弥さんの現状に以前から違和感を持っているのです。
本人も事務所も引退したと言っていないのでそんなイベントをする必要もないのですが、どうもしっくりきません。
しかしながら休養するとも言っていませんから始末に負えませんよね。
よく分からない状況です。
ま、いいです。

それにしても、百恵ちゃんはわたしの人生でもっとも印象深く影響力のあった女性のひとりであったことは間違いのない事実です。
百恵ちゃんが理想でした。


追記:
松浦亜弥さんのタイトル記事なのに知らぬ間に山口百恵さんの内容になってしまいました。
まことに申し訳ないと思っていますが、このまま掲載しておきます。