前回の記事に頂いたコメントの返信を書いてる時にハタと気付いたことを今回は記事にしたいと思います。


まつうらさん 


このことは漠然と考えていたこと、意識の下の置いていたこと、あるいは当たり前すぎてなおざりにしていたことのようです。

わたしは松浦さんを聴くときにほとんどと言っていいくらい動画であればビジュアルを観ていません。
現に観ている時もあるのですが、歌声に集中しているためビジュアルが目に入ってこないのです。

音楽を楽しむこととは、奏でられる音そのものは勿論ですが演者の一挙手一投足もその要素に入るのは音楽を楽しんでいる者にとっては当然のことですよね。
ですがわたしの場合、松浦さんに限って視覚は要らないのではとさえ思っています。

例えば色んなアーティストのプロモーションビデオを観ていますと、歌と映像の合作でその楽曲をアピールをしています。
歌声と映像の有機的な融合がその楽曲を良くも悪くも形を作っていくのでしょう。

こんなことを言ってしまうと、見た目を自他ともに認めていると思われる(笑)松浦さんにとても失礼な言い草なのですが、これがわたしの松浦さんを聴いている現状なのです。

ひとまずの結論、歌っている松浦亜弥にビジュアルはいらないと言うこと。

で、STB「純愛ラプソディ」に戻りますが、歌主が松浦亜弥だという先入観がなくこの歌声に引き込まれたことそのことが、わたしにとってこの歌声が本物である証拠なのですよ。
歌声が先にあって歌主が後に来るという奇跡的な出逢いがここにありました。

それと、先入観は良くも悪くも影響するということ。

松浦さんの場合はちょっと特殊で、アイドル「あやや」の先入観を持っている人が今の松浦さんの歌声を聴いた時の衝撃というのがあります。
この場合の先入観の影響は、予期せぬことに裏切られた喜びというものでしょう。

そして今回言いたいのは、松浦亜弥だとの先入観もなく聴いた歌声が松浦亜弥だったという衝撃は途轍もなく破壊的なものだということなのです。
これはトラウマになります。
わたしの中で今でもこの衝撃の余波は残り続けています。

わたしは松浦さんを聴くときは動画無い方が正直言って集中出来ていいです。
松浦さんを聴く時はこれがベストです。

ごめんなさい、松浦亜弥さん。
だって仕方がないんですよ。
それは余りにもあなたの歌声が素敵過ぎるからです。