わたしは仕事で帰って来てからほぼ毎夜、録画したマージャン番組を見ています。
どんだけマージャンが好きやねんとお思いでしょうが、確かに好きなんですが最大の原因は今のテレビ番組の内容が誠に詰まらんからです。

本題に入ります。
マージャン愛好家なら知っていると思いますが、マージャンの考え方にデジタル派とオカルト派というのがあります。
これは何かとかいつまんで言いますと、マージャンにおいて「流れ」を認めてそれを自分の打ち方に取り入れるかどうか、という点になります。

簡単に説明しますと、
オカルト派(このネーミングは良くないね)とは、マージャンには「流れ」というものが存在しそれを無視してはマージャンを極めることが出来ないという考え方を持った雀士。

反対にデジタル派とは、マージャンには「流れ」など無く全ては偶然でそれを考慮にいれる必要などないと言う考えの雀士。

もちろんこの2派の中間的な考え方もありますし、派の中には考えの濃淡も存在します。

わたしは中間派です。
麻雀には確かに不思議な巡り合わせや理不尽なほどの一方的な勢いを感じることがよくあります。
その前でなす術のない自分がいたりすることもあります。
ですがそれが自分の打ち方に大きな影響を与えるというほどではありません。
こんなこともあるだろうと言う程度ですね。

もう少し具体例を出しますと、
連盟会長の森山茂和氏は、まさしくオカルト派(だからこのネーミングはダメだよ)の代表格の雀士です。
モンドTVでの解説を聞いていても「ここでこれを上がったんだから今回は突っ込むべき」だとか「こんなツモの来方は良くないから控える方がいい」というような言い方をよくされます。
なのですが、わたしが聞いている限りその場面にあまり関係がなさそうに感じています。
当たっている時もあるしそうじゃない局面になることもあります。
どちらとも言えないんですよね。
なのであまり説得力がない気がします。

もう一人オカルト派の代表、トイツ王子こと土田浩翔氏がいます。
この土田氏はマージャンには人の及びも付かない不思議なチカラが存在するという考え方で、この人こそがオカルト派という名前に相応しいのではないかと思っています。
牌の山は偶然に積まれているのではない、神のチカラが働いている。
サイコロの目の出方、席の東南西北もマージャンに影響を与える。
こんなことを言うほどの人です。
でも彼の場合はそれを楽しんでる感じがありますね。
ある時言っていましたが、マージャンをそんな風に捉えた方が面白いでしょ、ってね。
そんな人です、この人は。

そしてその反対側のデジタル派の代表が、モンド王者でもある最高位戦の村上淳氏。
先の牌山は神が作ったものとは逆の「牌山は偶然に出来上がったもので、誰もどこにどの牌があるなんて分からないでしょ」と。
その通りですね。
イカサマをしていない限り誰にも知り得ない牌山に何で右往左往しなければならないのかと、そんなこと考える事自体意味ないでしょ、て言っているのです。

わたしは先に言った通り、中間派です。
両方の言ってることが分かるし打っていて実感もあるのです。
不思議なチカラの存在も感じたこともあるし、偶然の産物だと割り切っている時もあります。

結局どちらも正解だと言っときます。
結論はないですね。
自分の信じた考え方で打てばいいだけなのです。
番組放送の中ではお互いのことを批難したりケチを付けたりする場面が見られますが、マージャンファンとしてはちょっと見苦しいですよね。
お互いの考えを尊重しましょうね、いい大人なんだから。

最後に、学生の時よく徹マンで雀卓を囲んでいた友人の言葉で終わりにします。
「マージャンとは人生の縮図だ。あの時こうすれば良かったとかこのタイミングで何故だ、とかは人生そのもの」
反省と後悔、そして歓喜と自信の繰り返し。

奥が深いね、麻雀って。