赤い大地 (7)
花輪本家
「芙美さんの漬物は味がいい」
そういうとカチカチ入れ歯を鳴らしながら、紺色の茄子をうまそうに噛んだ。
「姉さま……」と、改まって芙美は勢伊に言葉をかけた。
「先ほどの村長は腹を決めてかかれ、のお言葉ですが、それは端的にいえば分村などせずに家を守れということでしょうか?」
「そうじゃ、いよいよとなったら知事さんに辞表を出せばよいことじゃ。満州へ行くも行かぬも自分の自由だ。強制的とはいくめえ。物事を決めるには万機公論に決すべしと、明治天皇様も言っておられる。村民大会でみんなが駄目ならそれに従うことが村長の務めじゃ。武文にもそう言うときい」
勢伊の意見を聞いて、これは大変な事になる、と心配したのだろう、芙美は顔を曇らせた。そして自分の夫が村長として率先して村人に呼びかけ、何百人という移民家族にみんなこのような思いをさせるのか。その責任の重大さに芙美はしだいに打ちひしがれた顔になった。
開拓移民団の運命は先頭に立つ村長の手に委ねられているのだが、さて村長の武文にどんな心構えがあるのだろうか。知事さんの命令だから断れないと言っても、それは官選村長の個人的立場に過ぎない。自分以外の何百人という家族の将来について、本当に責任がもてるだろうか。一身を投げ打つ覚悟はいいが、前途の見通しを明らかに示すことが出来るのか……。
満州という見も知らない外国へ大勢の人に行くように勧めて、もしその移民が失敗したら、失ったものは何によって償われるというのだろうか。分村者の生命財産の保証は、ソ連、中国、それを取り囲む国際状勢の中でどんな見通しが立つというのだろうか。田舎暮らしをしている一介の村長が何を頼りに決断するのか、芙美は考えると本当に不安が募ってくるばかりだった。