黒いシャツの「少年」 2024 8.7

 

  私の朝の散歩は5時過ぎから始まる。足腰、特に膝を丹念に手入れして出発する。夜が明けるのが少しずつ遅くなってきてはいるが、5時すぎになると辺りは白んでくる。至福の時間だ。

 約8000歩が日課だ。骨盤の上をズボンのベルトで締めて歩く。腰痛予防である。歩きすぎると腰が痛くなるからだ。

 

 暑い日が続くせいか、以前のように多くの人と出会わない。今日は、以前教えを頂いた書道の先生にであった。御夫婦で歩かれているが、奥さんは先生の一歩後を歩かれる。先生のみポールウオーキングだが、大分脚が弱られたようにも思う。挨拶を交わす。

 

 それ以外誰にも会わなかったが、藩の陣屋跡の手前を歩いているとき、後ろから「ドサ、ドサ、ドサ」という足音が迫ってきた。直感的に「黒いシャツの少年」が思い浮かんだ。少なくとも彼は10年以上(20年以上かも分からない)、毎日走っている。私は今は膝の痛みを懸念して歩いている。走れるのではないかと思うこともあるが、膝が駄目になってしまうと困るので自制している。

 

 「黒いシャツの少年」(今は壮年か)の名は知らない。普段どんな生活をしているのか知らない。話したこともない。走っているという事実を除いて、何も知らない。それにいつも会うわけでもない。しかし、妙に気になるランナーだ。決してスマートな走り方ではない。彼に声は掛けないが、挨拶はする。私が片手を挙げると、彼も片手を挙げる。声を掛けても彼は戸惑いの表情をみせるので、体で挨拶するのが一番よい。いつの頃からかそうしている。彼は少年から青年・壮年へと変わっていく。

 

 ドサドサドサという音が私を追い越していった。やはり彼だった。追い越し、二・三歩走った後。彼は振り返って私を見た。「ニコッ」と笑った。私も軽く会釈した。すぐに彼は前に向き直り走りながら、振り返った側の右手を挙げた。

 

 彼の方から積極的に挨拶をもらったのは初めてだった。出会ってから二〇年程?経つが、初めてである。明るい気持ちになった。長い年月が、私たちを何かで繋いでいた。

 

 

 私は「黒いシャツの少年」と呼んでいるが、今は茶色のシャツを着ている。体つきは頑丈になってきた。少年は壮年となっている。私は衰え、彼はより強健になる。朝の散歩も、「生々流転」の一相を表している。

 

 「『ここ何年か、柏原の街を、勇ましく走っている黒いジャージの少年に、今日は青年の趣を感じた。』2013 1 26 」。当ブログの記事である。当ブログは2012年の12月から始まっている。私も元気だったし、走っていた。年間15000キロを目標にしたこともあった。

 

 あの記録から11年半が過ぎた。(2024 8.7に記す)