進士五十八の造園・ランドスケープ人生(第2回)
4.日比谷公園と私 ●卒論・授業・演習課題・2つの学会賞で完 私にとって日比谷公園は、江山先生に卒論の相談に伺ったところ「日比谷公園の改造プラン」をテーマにせよと言われたことから始まりました。1964年東京オリンピックの頃の土木分野では、古くなったものはすべて造りかえるのが当たり前だったのです。私は深川の実家から日比谷に毎日のように通い、現場から発想することの大切さを実感しました。多くの人は研究者とは研究室で研究するものだと考えがちですが、ランドスケープの仕事はすべてが現場、すなわちフィールドにあると確信したのが、日比谷での経験でした。日比谷公園はリアルに物事を考えることの大切さを教えてくれました。フィールドワークから得た日比谷公園は、どのような利用者も受け入れる多様な空間が共存する「幕の内弁当」のような16haの洋風公園だということはテレビ東京の『新・美の巨人』で私がアピールして点です。日比谷公園の歴史を調べると、近代日本史の舞台には常に日比谷公園がありました。伊藤博文の国葬、大隈重信の国民葬の会場にもなりました。そういう意味でも、国家的広場としての役割を果たしてきた公園でもありました。また、野外音楽堂、公会堂といった集会施設、松本楼(カレーライスで有名)などは文化人のサロンとしても機能しました。まさに、政治、経済、社会、文化、アートの舞台として社会と時代の縮図でした。一方、生活史(life history)的に造園空間(庭・公園)を調べていくと庭や公園は「生き物だ」と認識されます。時代の変化を受けて変容、成長もしくは破壊され変貌していくのが「造園」です。完成されたときだけでなく、自然、立地・社会背景、財政事情、時代の風景観、政治経済、社会福祉など多面的な社会条件に規定されながら構成され、完成後もそうした諸条件と関連しながら変遷を重ねるのが「造園・ランドスケープ」というものだと認識で、モノとコトを考えなければなりません。なお、私は卒論で膨大な文献調査、現地調査を実行しましたが江山先生は卒論の一部、占有空間調査のみを評価されました。そこで定年後『日比谷公園』を公刊し、2つの学会賞を手にしました。●日比谷公園の再生整備計画をめぐる進士の見解を『都市問題』で表明 日比谷公園には「市政調査会」があります。これは後藤新平と安田善次郎によって、「都市の行政は科学的研究に基づかなければならない」という思想のもとに設立されたシンクタンクです。日比谷公会堂の持ち主でもあるこの市政調査会は、市政会館の収入源としてコンサートや政治集会などに貸し出しています(現在、公会堂の家主は東京都)。機関誌『都市問題』では戦前から都市に関する課題を取り上げてきました。本来、都市行政は人気取りではなく、政策論を積み重ねることで成り立つべきものといった考えから、市政調査会の設立と雑誌が発行されてきたのです。 私はその都市問題116号(2025年4月)にも、論文「大規模都市公園のメタボリズムを考える」を寄稿した。何本かこれまでも論文をかいていますのでバックナンバーをご熟読願えると幸いです。私は、日比谷公園のグランドデザイン検討会の委員長をお引き受けし「日比谷公園グランドデザイン~5つの提言~」(2018年12月)としてコンセプトメーキングを行いました。その後、日比谷公園開園130周年(2033年)を完成目標とする「都立日比谷公園の再生整備計画」答申(2021年3月)がなされ、事業が始まっています。色々と新聞誌上などに反対意見も出ていますが、今回の再生整備計画は十分に意義・価値があると私は確信しています。今回の再生整備計画は単なる修復整備ではなく、将来の公園都市・日比谷を見据えた都心の新陳代謝(メタボリズム)です。都市も公園も変化するもので、計画は、歴史・文化、公園デザイン、緑など、120年を超える「歴史的公園」の重みを認識・継承し、老朽化した施設やインフラなどの設備を更新し、バリアフリー化を進めます。また遮蔽樹林の一部を伐採、デッキ等で周辺施設とも連結し、都市に開かれた公園に変えるものです。現実を直視して、次の時代に向け公園が持つ多面的な魅力をもっと引き出し、地域全体のQOLを高め東京のシンボルにふさわしい公園に再生すべきです。 大切なことは日比谷公園のみを見るのではなく、「風景の目・ランドスケープの目」で東京都心の在りようと未来を見なければなりません。そして、公園は都市計画施設の一つですから都市計画(日比谷のまちづくり)と都市公園(日比谷公園)を一体的に考えなければならないのです。 日比谷公園を東京・日比谷の座標軸の中心に相応しい再生を行うべきです。「外部に開かれた公園」にすることによって、周囲の高層ビルの形態、人の動線を変え、ビル群の外部空間、公園的雰囲気のモール、広場などオープンスペースを連続させ、駅等主要施設や官庁街の中までつながっていくことを意図すべきです。日比谷公園の雰囲気が周辺地域に連続、緑が広がる「公園都市・日比谷エリア」を目指したいと思います。 ●日比谷公園 航空写真(2025年3月撮影) 出典:Google Earth © Google, Maxar Technologies5. 上原敬二先生の神宮の森と私、そして農大造園 田村剛先生が明治神宮は、近代日本の造園学発祥の地であるとかかれています。 明治神宮の内苑と外苑を整理すると、内苑は「鎮守の森」づくりとして位置づけられます。後に、NHK総合テレビのNHKスペシャル番組で何回か(60分。120分等)神宮の森の100年特集が放送されました。2020年に鎮座100年を迎える明治神宮広報課長の福徳美樹さんから、東京湾百年の森とか社叢学会とかで相談を受けていたのとそれに私は日本学術会議環境学委員会の委員長を務めていたこともあって、神宮の森の境内総合調査の責任者を引き受けてほしいということになりました。そこで上原先生とのご縁から本多、上原先生ゆかりのメンバーなども加えて大きな委員会を立ち上げました。それまでにも毎木調査がなされていたのですが私としては、「生物多様性の時代」に巨大東京では神宮の森のような都市林(72ヘクタールの内苑)は、絶対に不可欠だと考えました。植物に加え動物、鳥、魚、微生物までを総合調査した結果、オオタカの生息も確認、生態学的にも重要な価値を持つことを明らかにしました。生物群の沢山の要素の調査員はもちろんですが、映像と生き物すべてを知る伊藤弥寿彦さんという名プロデューサーの努力や神宮スタッフやイオン財団の協力を得るように関わっていただけたことに大きな意義を感じております。ランドスケープの基本とは、全体のバランスと、目指すべきゴールを見定めることにあります。明治神宮の森は、生物多様性の観点からも極めて重要であり、一方で明治天皇を御祭神とするスピリチュアルな場でもあるナショナルモニュメントとしての性格も併せ持っています。政教分離の憲法上の議論もありますが、日本文化上の重さを考えれば「社叢造園学」は、日本の造園家にとって基本的素養であるべきで、政策的には「歴史的緑地」と呼ぶべき公共性をもっています。実際に見ればわかります。明治神宮内苑には世界中の人々が訪れています。日本人の自然共生理念が直感できる存在で、グローバルな価値を持つ空間です。多くの国家元首も参拝に訪れる「神宮の森」なのです。造園界にとっても大きな環境資産であると思います。内苑は、自然風景式と多様な土地利用と生物多様性、環境再生モデル。自然の時間経過による植生の遷移に任せる思想です。第47回IFLA大会の冒頭でも、神宮内外苑を対置して説明しました。内苑は「和魂」、日本古来の鎮守の森。外苑は「洋才」。西洋の権威表現手法によるランドマーク。明治天皇の一代記の絵画館を中心に4列のイチョウ並木のシンメトリカル軸線構成プラン。外苑は運動施設など現代都市公園でなら運動公園。メンテナンス、維持管理にマンパワーが必要な現代的緑地です。 上原先生は当初、大学院生でしたが、明治神宮の森の構想を真剣に考えておられたことは、私が編集し、タイトルをつけてエルデタイプ社で印刷した『人のつくった森』(1971)を読んでもらえばよくわかります。(後、東京農大出版会で刊行(2009))また、私の近著『進士五十八の日本庭園』でも、巻頭から明治神宮の森づくりに多くのページを割きました。それは、近代造園学の根幹がそこに凝縮しているからに他なりません。大地上に展開する自然風土を母体とする造園・ランドスケープの本質は各国がそれぞれ独自の造園様式を持つことです。上原先生は「御陵(古墳)」「鎮守の森(社叢林)」「日本庭園」の三つが日本の造園の柱と説いておられます。仁徳天皇陵のような巨大な墳墓は、世界遺産に登録されています。あのような大規模な古墳を築く力を見せることで、「あの大君と戦争はできない」と思わせ戦争抑止力となる。大衆に対して政権の安定を示す役割を果たしたのでは、というのが私見です。殺し合いをする軍人や政治家は下の下。平和的に政治を進める価値観です。もう一つが「鎮守の森」。これはまさに、コミュニティグリーン、コモンスペースです。私は、日本の公園の原点は「鎮守の森」にあると、ずっと主張してきました。地域の氏子、住民が土地を提供し、神社を囲む森を育み手入れをし、氏子らは年中行事として、春夏秋の豊穣の祭り、相撲大会、盆踊りを楽しむ、鎮守の森は祈りも娯楽も含む包括的なコミュニティー文化の場です。結婚式は教会で、葬式はお寺でとか、斎場かホテルかというビジネスに分断された文化ではなく、本来日本人の文化はトータルでした。現代の都市公園もそうしたあり方が理想です。このように、歴史から学びどれほど深く考えるかで、私たちの現代都市や公園の未来も大きく変えることができるのです。上原敬二(1889年生)先生は造園学校を1924年に創設しました、「東京の震災復興を成功させるためには、土木家や建築家だけでなく、造園家の知識と能力が必要だ」という強い信念に基づいています。そのときの上原青年は、わずか34歳でした。 上原先生は深川木場の材木に縁のある家に生まれ、東京帝国大学農科大学林学科、同大学院にすすむのですが「死んだ材木」より、「生きた樹木」を対象にしたいと、本多静六の下で「森林美学」の研究を目指します。それが当時の恩師本多静六先生の助言で明治神宮内苑の計画に参画、その後、『神社林の研究』(1920)により林学博士号を授与され、同年、海外へ遊学しました。ハーバード大学やアメリカ諸都市の緑地計画を訪問調査、さらにはキューバにまで足を運んでいます。そして帰国、専門家養成の構想を練ります。大正12年関東大地震発生。「今こそ、この構想を実行に移す時だ」と判断されて造園学校の設立に踏み切ったのでしょう。当初は本多静六先生をはじめ、多くの方々は反対でしたが、井下清、龍居松之助のお二人は賛成。そして、この若い三人の手によって、東京高等造園学校は創立されたのです。丁度去年の2024年5月には、農大造園科学科が100周年、2025年5月の今年は造園学会が100周年を迎えました。上原先生は、明確な戦略を持っておられました。新しいプロフェッションとしての「造園」を社会に定着させるには、「学校をつくり」、「学会をつくり」、「専門家の団体、や資格制度をつくる」ことが必要と考えました。蓑茂先生らが現在、推めている登録ランドスケープアーキテクト制度とは異いますが、「日本造園士」という登録資格を創りました。また、児童文学者や保育学者などで「日本児童遊園協会」を立ち上げたり、日本庭園協会(1918年設立)創設メンバーにも加わりました。これは財界人と造園界を結びつけるハイソサエティー組織でして藤山雷太の藤山財閥の応援を得て海外との交流も広がりました。たとえば、高等造園学校3期生の高村弘平氏も日本庭園協会雑誌の編集者で力を発揮し、後に五島慶太氏の東急電鉄の子会社高村造園を設立し、二子多摩川園をつくりました。高村造園は現在の東急グリーンシステムです。 先生は上原造園研究所を設立しコンサル業務と後継者育成を図るなど総合力を発揮。造園分野の基盤を築きました。学校は人気もあり、ヤル気のある人材が入学しましたが、戦争の激化で卒業生が徴兵されると造園はゼイタク産業とみなされ、戦争の最前線に行かされるなどし、学校経営は困難となり、学校は存続の危機に直面。井下先生が母校の東京農業大学専門部に統合する形で生き残りました。これが、現在の造園科の礎となっているのです。造園は平和な時代を必要としていることを忘れないでください。●明治神宮 航空写真(2025年3月撮影) 出典:Google Earth © Google, Maxar Technologies6. 上野公園グランドデザイン進士委員長の発想と都市計画学会石川賞 上野恩賜公園のグランドデザイン委員会は、今から二十数年前、石原慎太郎都知事の示唆にもとづき発足しました。知事は、「文化の杜構想」を上野に提案されました。それで東京都の公園担当も検討を始めました。当時、造園家の多くは、上野公園は美術館や博物館に占拠されていて、オープンスペースとしては?と考えていました。造園史研究者は、上野公園は「過去のもの」と見なしていたようです。しかし私はそうは思いません。好き嫌いは別として石原慎太郎の「文化の杜構想」は率直に正しいと思いました。なぜなら、明治以降の東京には文化施設が少なかった時代、上野には美術館や博物館が次々に設けられました。自然の緑もちろん大切ですが、歴史や文化、アートも同様に大切です。本来世の中には、そうした多様な要素がバランスよく存在することが必要です。ですから、上野公園は、日本の文化芸術を世界に発信する拠点にできるのです。私は逆転の発想で、上野公園全体を一つの「日本の文化空間」としてとらえ、美術館や博物館はその「大切な基本要素」として位置づければ良いと考えました。造園家としては、全体をとらえるべきだ。そういう見方ができることは、ランドスケープのキ-ポイントだと思います。設計屋は図面しか描かず、材料屋は材料しか知らない。その結果、トータルなランドスケープの価値が見えなくなってしまいました。我々造園家はゼネラリストです。しかし世の中はスペシャリストばかりになってしまいました。ゼネラリストの目線、風景の目、ランドスケープの目で世の中を見ることはきわめて大切です。そうすれば、すべてが自分たちの仕事だととらえることができ、達観した大局的な視点で何が本当に重要か、が見えてくるのです。そのように考えると、「文化の杜構想」という発想はアーティストの視点だと感心しました。こうした考え方は、公園管理の専門技術者からはなかなか生まれないものです。グランドデザイン委員会の委員長として私は委員の選定にこだわりました。上野公園内外の責任ある立場の館長、学長、寛永寺の貫首、上野観光連盟、台東区幹部などを網羅しました。これら各館・各機関の総合力が上野文化構成の基本だからです。従来の公園計画委員会だと、公園に直接関与するメンバーに限定していました。隣接立地の東京芸大も活かしたいし、上野の下町文化性。たとえば二木の菓子、アメヤ横丁などすべてが大切です。私は深川木場に住んでいたので、深川から本所、向島、浅草、上野ヘと下町は一体だと実感してました。ふつう東京に来ている大学生の多くは地方出身なので、下町全体のイメージは意外に見えていないようで川向うは東京でないと思っている人さえいます。本当の江戸の歴史は下町から始まり、少しづつ山の手へ拡大していったのです。上野公園の価値は、上野の山下に広がる不忍池は勿論下町一帯が眺められ、又、向岡の台地上の東大本郷キャンパスに続く眺望的地形が見てとれる位置にあります。そういう公園と地域全体の関係を考えることが重要です。大内(18期)さんも東京都の公園管理事務所長としてグランドデザインに参加していたので良く知っていると思いますが上野公園地には、行政、博物館、美術館、芸術大学、寺院、などハイレベルな文化施設が存在しているので、その敷地全体のサクラはじめ各施設の動線やインフラ、広報等を公園部門が調整仲介しながら各機関を連携、協働して国内外に日本文化芸術を発信してゆく色々なイベントや施策を推進していくミュージアムコンソーシアム(共同事業体)の設立を提案したところ各々主体的に積極的に賛成してもらえました。上野公園にとどまらず周辺の地域に広がることが大いに期待されます。 途中で、コルビュジエ設計の国立西洋美術館が世界遺産に登録されたことに伴い、上野駅舎の改修が必要となりました。それはJR東日本が担当の「公園口の新設駅舎」に合わせて、公園口広場設計も見直し、動物園正面への軸線も整えられ、竹の台の噴水とイベント空間の整備、多摩産材活用のカフェやオーガニックレストランの建築、桜の新植と再生も行われました。こうして上野は都市公園から公園都市へと発展、地域全体に広がりました。こうした公園の担当の範囲を超えたトータルな取り組みは、本当に行政内造園家らしい最高の生き方だと思っています。このような視点からの地域再生が評価され、上野恩賜公園は開園150年の記念すべき2024年に、日本都市計画学会大賞の「石川賞」をもらいました。この受賞は、個人名は私だけで、東京都東部公園緑地事務所、台東区、JR東日本、上野桜守の会などの連名によるものでした。 かって私は都市計画学会長も務めましたが、この学会から受賞したのは初めてで、これまでに「井下賞」、「田村賞」、「北村賞」、「今和次郎賞」、「上原敬二賞」に「石川賞」も加えられてうれしいのです。造園家はゼネラリストであるベきだと考えて都市公園、自然公園、生活学から都市計画まで、幅広い分野に取り組んできたことが評価されたからです。 ちなみに、石川栄耀はかつて都市計画学会長を務めた方ですが、新宿の「歌舞伎町」という名前は彼が名付けました。彼は「人間は働くだけの都市でよいのか、人生には楽しみが必要だ」と考え、それがたとえば歌舞伎のような、「娯楽の街づくり」につながったのです。地主たちがこの提案に賛同し「歌舞伎町」が生まれました。まさか、現在のようにピンクの印象が強くなるとは、当時は誰も思っていなかったでしょう。ただ人は生きるために働くのではなく、楽しむことも含めたて人間らしい都市で多様なアクティビティを肯定すべきだという都市論はこれからの時代もっと大切になるでしょう。 ●上野恩賜公園 航空写真(2025年3月撮影) 出典:Google Earth © Google, Maxar Technologies7. みなさんへのメッセージ●スペシャリストとゼネラリストの両性具有 いろいろお話しました。あまりにもスペシャリストの目が強くなって、ゼネラルな目:ランドスケープの目を強調しすぎたかもしれません。トータルマンは、本当にその両方を持ち合わすべきですが、自分らしく生きることが一番です。私の場合、狭い世界に入ってのスタートでしたので広い視野の意義にウエイト(価値観)をかけたのかもしれません。ご自分に合わないと思えば私を反面教師にしてください。ともあれ私はこれまでいろいろなことを考え、多くの領域に取り組んできました。いってみれば「百姓・トータルマン」を目指したのです。 おそらく造園界では、私ほど幅広く研究し活動してきたものは稀でしょう。その希少性故に本日の講演ではまさに生前葬にふさわしく、遺言のようなつもりでお話ししたのです。授業でも研究室でも自分の人生のライフステージの全体をお話したことはなかったからです。こうした視点がみなさんにとって有意な日々につながるか、豊かな人生となるか、私には断言できませんが多少の糧となることを願っております。 それでもトータルに何にでも取り組む姿勢は、造園家らしい生き方に重なるとは思っています。組織上の役割分担が縦割りであるのは仕方ありませんが、一人ひとりが、標準レンズだけでなく、広角レンズで視野を広げ、望遠レンズで先を見ることで、他との差別化も自分らしい、より豊かな人生を送ることはできると思います。ぜひ、自分ならではの生きがいを持てるが故の、ストレスレスの生活を実現し社会貢献を果たしていただきたいと願っています。●近著『進士五十八の日本庭園』に込めた願い 近著は、私の「造園思想と方法」を、日本庭園を舞台に論理化・体系化・ビジュアル化したものです。副題の「技心一如で自然に順したがう」は「日本庭園は自然に敬意をはらい、アニミズム的精神と、そこから生まれた造園技法が表裏一体となり、自然に順ってそれぞれの場所や地域をデザインする」点に本質があることをコピーしたものです。日本庭園技術は自然と人間の共生関係の表出です。私の日本庭園研究のポイントをわかり易く言えば日本庭園、すべての日本庭園の空間・景観構成は次の5つが基本で、すなわち①囲繞(enclosure)、②縮景(shukkei)、③借景(syakkei)、④樹藝(arboriculture:)、⑤然(さ)び(agingの美)で成立しています。これを、科学的合理的に説明すると、世界中のランドスケープ(造園構成)に共通する普遍的原理ともいえますが、①空間(space)、②景観(landscape)、③眺望(view)、④自然(nature)、⑤時間(time)、の5つに対応しています。もう一つ、造園家の思想を日本庭園をたとえて深めると、その根底には「平和と安定志向」と「自然共生の知恵」があるということになります。造園の「平和と安定志向」。古今東西すべての庭園は、人間が生存していくために不可欠の安全安心そして、安定性のある環境・空間・景観を希求し続けてきた人間活動の結果で、美しく、奥深いミクロコスモスを目指し、人間が生きられる理想境の具現でもあったのです。各国の歴史とともにある庭園の本質は共通しており、エデンの園、パラダイス、極楽浄土等といろいろ呼ばれるが、平安、安寧、美しく平和な環境空間の実現に他ならないのです。造園に見る「自然共生の知恵」。庭園は単なる装飾ではなく、人間生活に不可欠の環境デザインであり、そこに人間と自然との美しく豊かな関係性と知恵をたくさん内蔵している。例えば、世界の庭園の中でも、日本式庭園が多彩なのは地場材料、異なる自然材料を活用するのが美事で、その結果あらゆる面で景観多様性に富む。無機材料中心の現在建築景観は世界中を画一化してしまう。世界各地それぞれの魅力を世界市民が共有するには、景観多様性のランドスケーピングが強く期待されます。「美」を追求するため、「学術・技術・芸術の三位一体」が特質だという点は環境学の中で造園学にとり最も大事な点です。かねて私は「日本庭園は美しいビオトープ(生き物生息空間)」と強調してきましたが、現代建築家の石上純也作品「ボタニカルガーデン アートビオトープ『水庭』」は、エコロジーのみならず美しい自然再生にもチャレンジしている。これからの時代、生物多様性はもとより、感性的文化でもあり、美しいアートでもあるランドスケープデザインは不可欠。地球環境社会の造園・ランドスケープの未来に、美しいビオトープであり自然共生が基本の日本文化は、深刻な地球環境問題を救う意味からも大いに有効なのです。世界中の環境デザイナーが、そうした豊かな地球環境の創造と地域社会の「景観多様性(landscape diversity)」の実現に向かって協働できればと願っています。●造園・ランドスケープと平和と自然:世界を「景観多様性(ランドスケープダイバーシティ)」ワールドに私の造園観の根っこには東洋の自然観、風景観、天人合一や風水地理説にもとづく土地利用観があります。造園学会では、かなり以前から「東アジアの日・韓・中」3カ国が仲良く定期的に学術交流やシンポジウムを重ねて相互理解を深めています。鈴木忠義先生のお話で、観光と戦争のどちらを選ぶかを考えようという問いかけがありました。世界の軍事費総額と観光活動の消費総額がほぼ同じ2)ということです。観光とは、他国を訪れ、多様な風景を楽しみ、相手国の人々と交流し、地域を理解する。そういう体験の全体像を指し、平和の為には意外に重要だとわかるでしょう。それが観光です。もちろん観光は風景を経済化するものですから、発展途上国でもそのままの風景で誘客が可能で、その結果経済も潤うのです。紛争地や灰色の街で観光は成立しません。平和で安全、そしてランドスケープダイバーシティ(景観多様性)に充ちた社会こそが理想です。究極の世界平和は、軍事の強化ではなく、ランドスケープダイバーシティを実現し世界中の人々が観光交流することにより可能になるのです。ミサイルを打ち上げ、人命を失いCO2対策を叫びながら大量の炭酸ガスを排出し、美しい風景も、一瞬で灰燼に帰す。こんな愚かな現代社会は、どこかおかしい。「戦争か平和か」。私が実現に関わった中野区の「哲学の庭」は、ワーグナー・ナンドールというハンガリー動乱で西側に亡命した彫刻家の作品群がみられる場で、中野の哲学堂公園の一角に設けました。ナンドール未亡人の千代さんからの依頼で実現したもので、本日、会場にいる加園(21期)さんに設計施工管理を担当してもらいました。彫像は、世界の宗教の祖、老子、キリスト、釈迦、アブラハム、エクナ-トンの彫像が同心円上に並び、すべて全員が中央の同じ「球」を見つめています。 球は、「真実・平和」、「大切なモノ」を意味します。現代の政治家は宗教戦争を使う。例えばイスラムのハマスが悪い、ユダヤのイスラエルが悪いとアピールしますが、元来、世界宗教の祖たちはみんな「平和」や「真理」を追求するもので皆おなじだという人類共通の目標を象徴するのがナンドール作品なのです。前にも触れましたが、東京高等造園学校の設立時から、造園界は常に「戦争と平和」と隣り合わせで来ました。昨今の世界的状況下、平和や自然共生について真剣に考えるべきではないかと自問します。自然や生命を基本に置く農学系の分科の造園は平和と自然との産業で、造園家たるもの、観光、景観多様性、地方創生、生物多様性や地球環境など多くの社会的課題に対し、使命感を持ってする職能として「造園・ランドスケープ」を捉えることが、ますます重要になっているのではないかと考える次第です。ありがとうございました。 ----------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 〈注〉 1)受益者負担公園とは、公園整備による受益者が整備費の一部を負担するもの。日本初の船岡山公園の場合は整備費の1/4を誘致距離4丁約430mの住民が負担しました。(土井勉 1991)2)鈴木忠義先生の試算では、ほぼ同額であったようですが、世界の軍事費総額は観光活動消費総額の1.4倍(2024年現在)になっているようです。(世界の軍事費総額390兆円(2024年.ストックホルム国際平和研究所.出典:朝日新聞2025年4月28日)。世界の海外旅行者総支払額272兆円(2024年世界旅行ツ-リズム協会.出典:トラベルボイス.2025年4月10日)。なお観光活動費総額に国内観光は含んでいません。)〈配布資料〉①進士五十八「私の東京物語」(東京新聞2015年9月29日~10月6日、連載、全10話) ②進士五十八「学会百年、造園原論からの3つの覚書-学会誕生の志・学技芸三位一体・景観多様性」(日本造園学会100周年記念誌・素稿・2025)③進士五十八『進士五十八の日本庭園』(市ヶ谷出版社、2024年)。本の表紙妻美保子の油絵作品「禅定憧憬」を使いました。世界中の“JAPANESE GARDENS”の本の表紙が、たいてい石組や灯篭など。そうした概念をひっくり返したい思いも重なっています。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー編集後記:この「進士五十八の造園・ランドスケープ人生」は、辻馬車会の交流会を2025年3月22日、東京農業大学榎本ホールで行われた進士先生のスピーチを踏まえた上で、大幅に先生が補足、加筆したものを編集したものです。進士先生の農大や造園・ランドスケープにかける思い、考え方や生き方を感じとって、みなさまの仕事や人生に生かしていただければと思います。進士先生によると、この「辻馬車会」は、恩師江山正美先生の退任を記念して集まった進士先生門下のOB・OGの会の名称で、辻馬車は、まちの辻で乗りたい人を拾い、降りたい人を降ろす、誰でも乗れる町全体の乗り物、いわば、乗合バスのようなもので、少し格好よく言えば「大乗仏教型」の乗り物といえ、広く包容力のある会とのことです。なお、編集を担当した、渡部章郎は今回の辻馬車会交流会の世話役30人の一人にすぎませんが、農大や造園を志す若い人にもぜひ伝えねばと考え編集を希望しました。この講演録を「辻馬車会交流会だより」や渡部のブログ “Landscape.love.”( http//ameblo.jp/aw5800/ )にも掲載を予定しています。※渡部章郎:大林組定年退職後、パリのENSP(ベルサイユ景観学校)大学院で学び、現在、渡部景観研究所長。技術士。博士(環境共生学)。博士論文「景観概念の変遷に関する研究」も進士先生の指導を受け、博士号を取得することができ感謝しております。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 編集後記:この「進士五十八の造園・ランドスケープ人生」は、辻馬車会の交流会を2025年3月22日、東京農業大学榎本ホールで行われた進士先生のスピーチを踏まえた上で、大幅に先生が補足、加筆したものを編集したものです。 進士先生の農大や造園・ランドスケープにかける思い、考え方や生き方を感じとって、みなさまの仕事や人生に生かしていただければと思います。 進士先生によると、この「辻馬車会」は、恩師江山正美先生の退任を記念して集まった進士先生門下のOB・OGの会の名称で、辻馬車は、まちの辻で乗りたい人を拾い、降りたい人を降ろす、誰でも乗れる町全体の乗り物、いわば、乗合バスのようなもので、少し格好よく言えば「大乗仏教型」の乗り物といえ、広く包容力のある会とのことです。 なお、編集を担当した、渡部章郎は今回の辻馬車会交流会の世話役30人の一人にすぎませんが、農大や造園を志す若い人にもぜひ伝えねばと考え編集を希望しました。 この講演録を「辻馬車会交流会だより」や渡部のブログ “Landscape.love.”( http//ameblo.jp/aw5800/ )にも掲載を予定しています。 ※渡部章郎:大林組定年退職後、パリのENSP(ベルサイユ景観学校)大学院で学び、現在、渡部景観研究所長。技術士。博士(環境共生学)。博士論文「景観概念の変遷に関する研究」も進士先生の指導を受け、博士号を取得することができ感謝しております。