っとその前に…
このブログ、たまにしか更新しないのもあって
久しぶりに読み返していたら、書こうとして書けていなかったことがありました。
この続きです。
入学式の思い出についてさっと書きます。
長男は、無認可保育園を2年、比較的小規模な認可園を3年経験したのですが
保育園は、今思えばインクルーシブでした。
単級だったしクラスの人数も少なかったので、どのクラスの先生も長男に関わってくださっていました。
そうそう、入園前にちょっぴりいじわるなことを言った主任先生も
入園後は温かく接してくださっていましたよ。
保育園生活でも、色々あるにはあるのですがあんまり細かいエピソードを書いてもな…と思うので何か機会があればまた。
そんな保育園から就学をして。
私が突き当たった壁は「学級経営」でした。
クラスの意識とか、先生方が学級運営にかけるプライドとか責任とか
※子どもを健やかに育むためには、変なプライドなんていらないとかそういう話は今は抜きにして…
いちいち予防線すみません。
ま~ったく理解できていなかった私は、
支援学級へ入学しても、交流学級の先生も担任の先生くらいに思っていたのですね。
入学式時のクラス写真は、支援学級と交流学級と2枚撮影しました。
今なら分かります。
でも、その当時はそれが学校の配慮だったということには気づいていませんでした。
ですので、後日、写真販売のときに「本来、支援学級の生徒は支援学級だけで撮影するのだけれど…」というような説明を聞いて
ものすごくショックを受けました。
笑
ショックを受ける必要はないのですが、今までがインクルーシブすぎて、初めて「分けられる」経験をしただけです。
その「分けられる」は、差別もされてないし、むしろ守られているはずなのに
当時はまだ「みんなといっしょ」にこだわっていたのかもしれません。
今では、交流学級と支援学級を同じクラスの扱いにするクラス編成(授業は別)も見かけるようになってきましたし
入学式の写真撮影については、親の思いより子どもの希望が叶えられることが大切だなと思いますので、今よりだいぶ若かったいち保護者の思い出ということで読んでいただければなと思います。
さて、前置きが長くなりましたが
長男の小学校時代、大切にしてきたことのふたつめをお話します。
それは、「自己理解」です。
自分を知ることの大切さに気付いたのは、きっと発達に凸凹のある子どもたちを育てる保護者さんたちからたくさん話を聞いたことで気づいたのだと思います。
あと、保護者向けの研修をたくさん受けたこともあるのかも?
この、発達に凸凹のある子どもを育てる保護者とどう出会うか
どのように情報収集を行うのか
これも相当書きたいことのひとつなのですが、今はまだ触れずにおきます。
ママ友と情報交換のためにランチやカフェを重ねてきて気づいた
「自己理解」の大切さ。
発達年齢に合った自己理解は、子どもが自分自身を救い、自己肯定感を損なわないことに繋がると思いました。
私たち保護者は、「××してはダメ」ではなく、「〇〇しようね」と声掛けしましょう。と教わってきたかと思います。
まさにそのまんまを長男に伝えていきました。
「〇〇するやり方を試してみようか」
「〇〇という方法があるけど、どう?」
少しずつ、自分で考えて選択できるようにステップアップしていきました。
自然と、”自分の不得意は××だけど、得意な〇〇を使うと、ここまでできる”
のような理解ができ、できたことを自分自身で評価できるようになっていったと思います。
余談ですが…
もちろん、常にこんなに冷静に対応していないのでご心配なくです。
めっちゃイライラさせられることも多かったし、できない、やってないことにキレることもありますよ。常に考えていることが実行できないのは、当たり前です。私たちは支援者ではないです(笑)
母親であり、一人の大人であり、わたし、あなたという個人なんです。
自己理解は一生続く
小学校時代から始めた「自分を知る」ことは、一生続きます。
今でも続いています。
成長もするので変化もあります。
実際に、今では少しずつ自分で得意な方法を考えて選択できるようになってきました。
この視点は、私自身にも良い効果があったと思います。
ストレングス(強味)な視点を持ち続けることで
できないことより、できることを先に考えられるようになりました。
(自分自身にもこの視点がほしいところ)
私は、よく子育てにおいて「安定している」「いつも迷いがない」「おだやかな感じがする」と言われることが多いのですが
中身は、ぐっちゃぐちゃでそんなことないのに何でだろ?と考えたとき
これかな?と思ったので書いてみました。
こうやって書いていると、色々と思い出すことがありますね。
学校であったいろんなことより、長男が長男らしく成長してきた生活面を思い出します。
小学校時代は、
学童クラブと放課後等デイサービスを利用したり、
移動支援サービスを使ってお出かけしたり
愛着関係を築いた時期でもあったし
発達障がいがある子どもの性教育も難しかったし
告知に向けて準備もしてきたし、
学習も頑張っていたけど、ほとんど家ではフォローする暇がないくらい忙しかったような気がします。
学習面をフォローしなくても良い環境であったことに感謝しなくてはいけませんね。
次は何を書こうか、決めていないけど
まだ多分小学生時代のことを書くだろうな。