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東京出張 その2 靖國参拝編

■□■ お客様に利益と感動を!! ハトヨにはパンと愛情を!! □■□



じょんです、まいど。

まさか、東京で二日続けて靖國神社に参拝するとは夢にも思わなんだ。

森脇に指摘されたように、靖國に呼ばれたあるいは行くべき時が来たんかな。



靖國について多くを語るつもりもないけど、僕が生まれるわずか22年前に

終戦を向かえたこと、日本は植民地となっていたアジア各国を開放すべく

戦争を起こしたこと、そして何よりたくさんの先人達が後の日本の繁栄を祈り、

信じ、願って散って行かれたことだけは忘れてはいけないと。



一緒に行った [ じんちゃんも書いてくれたけど ]、先人達に対しては勿論、

何ごとに対しても感謝の気持ちを忘れず生きていかねば。



靖國から東京駅まで、じんちゃんと小一時間お散歩して帰ったで。

皇居のお堀端、きれーやった。

自転車で、でかけよう。





うーん、うららかー ヽ(´ー`)ノ





【追記】

あのね、以下は興味ある方、時間ある方だけ読んでみて。

遊就館 ] で上映されている映画の中で出てきた先人が遺した言葉達。

この映画が、靖國神社のプロパガンダであるとの意見も強く否定はせん。

せやけど、それでも日本人としてこれらの言葉に感動を禁じ得ないのです。

ちなみに、当時、大西中将以外はじょんよりはるかに年下の方ばかりやよ。



■特攻の生みの親、大西瀧治郎中将の訓示。
「この戦争は勝てぬかも知れぬ。しかし、ここで青年が起たなければ日本は滅びます。青年たちが国難に殉じていかに戦ったかという歴史を国民が記憶する限り、日本と日本人は滅びないのです」

■海軍中尉、宅島徳光。二十年四月九日、金華山沖にて殉職、二十四歳。
「俺の返信を待って落ち着かぬ日を過ごしていることと思う。早く返事をしなければと俺の責任感が叫ぶ。
はっきりいう。俺は君を愛した。そして今も愛している。
しかし俺の頭の中には、今では君よりも大切なものを蔵するに至った。
それはお前のやうな優しい乙女の住む国のことである。
俺は、昨日、静かな黄昏の田畑の中でまだ顔もよく見えない遠くから俺達に頭を下げてくれた子供達のいぢらしさに強く胸を打たれたのである。もしそれがお前に対する愛よりも遥かに強いものといふなら、お前は怒るだらうか。否、俺の心を理解してくれるのだらう。
ほんたうにあのやうな可愛い子供達のためなら生命も決して惜しくはない。
自我の強い俺のような男には、信仰というものが持てない。だから、このような感動を行為の源泉として持ち続けて行かねば、生きて行けないことも、君には解るだろう。
俺の心にあるこの宝を持って俺は死にたい。俺は確信する。俺たちにとって、死は疑ひもなく身近の事実である。俺たちの生命は世界の動きにつづいてゐる」

■海軍大尉、佐藤 章。
「子供も唯堂々と育て上げてくれ。所謂偉くすることもいらぬ。金持ちにする必要もない。日本の運命を負って地下百尺の捨て石となる男子を育て上げよ。小生も立派に死んでくる」

■陸軍大尉、渡辺研一。
「何時かはあなた達の上に、光栄の平和の日々がおとづれて来ることと思ひます。その日になって私の身を以てつくしたいささかの苦労を思ひやって下されば私達は、それで本望です」