パパが死んでから
もぅ3ヶ月近くなってきた、
慣れるわけがない。
けど涙は制御出来るようになった、
ただそれだけのこと。
ふと考えて、
あ、そーいえばパパ死んだんだ。もぅおらへんわ~~
って考える。
うちは21歳。
そこんじょそこらの女子大生と父親の
関係みたいに
まったく話さない、とかじゃない。
うちは本当に本当にパパが大好きで、
街中で手をつないで歩くのだって
ぜんっぜんへーきだった。
2人で映画もよく行ってた。
むしろ仲良しなのを見せつけてやりたいってくらいだった。
今ふと我に返ると、
ほんとはパパが居たことが夢のようにも
思えちゃう。
だけどそんなの悲しいから、
存在してたことを認めたいから、
また泣いて、写メ眺めて、おかーさんに電話したりする。
もぅ家族を失いたくない。
うちが守る。
パパが残していった血筋。
おじーちゃんおばーちゃんのことも
大切にしなくちゃね、
一番死ぬはずじゃなかった人やったのに。
パパが死ぬくらいなら、
自分が死ねば良かったのに
パパも一瞬の出来事で自分が死んだなんて
分かんなかっただろうけど、
うちらも分かんなかった。
パパが居ない今、思い出すように死んでることを思い出す。
一番ツライのは、お母さんだってことも
知ってる。
もぅ誰も失いたくない、、
東日本大震災のとき
ビートたけしが言ってた。
自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。って。
2万人の死者、じゃなくて
そこには一人の死が2万件あった、って。
こーしてパパが居なくなって
この言葉がかなり胸に響く。
身近に死んだ人がいない人には
分からないだろうけど、
別にイヤミな言い方でもなく、これは
実際パパが生きてた頃自分が思ってたこと。
友だちの親が死んだときも
かわいそーだな~としか思わなかった、
そんな自分が惨めだけど
それがフツーなんだと思う
ひねくれでも何でもなくて
ただの一瞬の諦めってゆーか、
ほんとにほんとに自分の身に起こらないと、そーゆーことはわからないことなんだとおもう
この日記を書くことで、
パパが死んだってのは認めた。
分かってるよ、パパは居ない、知ってる。
いずれにせよ、
パパはこの世には戻ってこない
夢の中でしか会えない
夢の中でしか、あの幸福感は一生味わえない
家族みんな居て、だからこそ
自分がこーして生きられて
好きなことできて…って
感謝は伝えれるときに伝えとかなきゃ!って
分かってたことなのにね!
今は少なくとも週一で
実家に帰ることが
唯一の自分の励み。?みたいな
とにかく
おかーさんのそばにもっと居てあげたい
同情なんていらない
分かってくれなんて滅相もない
ほんとにほんとに、
人がいつ死ぬかなんて分からないって
本当だったんだよ、
最後に喋ったのかがいつかも
わからないなんてホントにあるんだって笑
家族、もっと大事にしてください、
家族と仲良くない人は
分からないかもしれないし
しょーじきどーでもイイって思ってると思う。
まあそれならそれで
身近な誰かが死んでから悔やめばいい
家族と仲が良い人は
今よりも、もっとそばにいてあげてって思う。
結局大人になるにつれ
家族より友だちが優先されがち。
家族なんていつでも会えると思ったら大間違い。
たまには家族全員で、ってゆーより
おかーさんと2人で、とか
おとーさんと2人で、とか
さしで家族と向き合ってみて(*´▽`*)
なんかこーやって
死を利用?って言い方わるいけど
何か伝えられたらな、って思った。
自分は別に全然へーきなわけじゃない
むしろつらい笑
家族ほど心にやすらぎを与えてくれるものないと思う、
充分愛されてきたから
こーして家族のやすらぎを知ってるのかもしれないけど、
愛されたいならまず自分から愛してみて
うちもたっくさん伝えたつもりだった
もぅあのときの幸せは
手にできないけど、
別のカタチで築いていけたらいいなとも思う