今日、小松菜奈さん主演の

『余命10年』

という作品を映画館で観た。

 

私は中学1年生の時に初めて死にたくなってから、

「死」にまつわることに興味を持ってきたように思う。

 

今回もその1つだった。

「余命10年」と自分が死ぬ目安が明確になっている場合、

人はどのように過ごすのか?

それを知りたくて映画公開の前に小説を買って読んだ。

 

私はどちらかというと「死にたい側」の人間で、

主人公はいわゆる人生を充実してきた人で「生きたい側」の人間だったから、

所々わからないところがあったけど、

それでも読み進める手は止まらなくて一気に読んだ。

 

最後の最後は、電車の中で涙ぐんだ。

 

生きることの何かについて強く強く伝えられた気がした。

 

それは映画を観たらより強く伝わってきた。

小説と違うところがあったけど、それはきっと現実に近いことなんだろうなと勝手に解釈した。

 

映画を観終わって帰り道、自転車に乗る気になれなくて歩いてた時、

私が最初に思ったこと、

「私の寿命はいつなのか知ってみたくなったな」だった。

 

途中で終わらせるつもりだった。

だから寿命なんて自分が決めるものでしかなかったはずなのに。

私は今27歳になったばかり。

30歳まではとりあえず借金のこともあるから生きていないと、とは思ってる。

だけどそれ以上に生きる意味なんてどこにもない。

 

もしそれより前に寿命が来るなら万々歳だけど、

大きな事故もなく病気や怪我もなく元気に逞しくここまで過ごせてきたから、

きっと30歳までは生きてると思う。

 

きっと私は子どもが産めない体だから、出会いも期待していない。

だけど、もし寿命がまだまだ先なんだとしたら、

その間に一体どんな出会いがあるのか、少し興味が湧いてきた。

 

毎日仕事して、愚痴言ったりストレス発散したり、

好きなことに夢中になったり、

そんな日常が「夢」になる人がいるということ。

 

余命10年という長さに

さっさと逝かせてくれないかなって思ってたというセリフに

生きたいけど辛くてさっさと死にたいという矛盾に

彼女の人を想う逞しくて懐の大きい優しさに

生きなきゃ、とただ思った。

 

そして彼女はきっと選ばれた人だったんだろうな、とも思った。

目安が与えられた病気になったこと

生まれ持った文章の才能と性格

本当の優しさからくる人望

 

和人ができることから始めたように、

私もとりあえず今は30歳に向けてできることから始めてみようと思う。